コピー本最高!一番好きな本の形態です!
コピー本の何が楽しいかというと全部自分で選べるところです。
紙替え本文色変え変型裁断オプション加工全部0円いぇーいやったね。

【必要なもの】

・中綴じ用ホチキス
無線綴じも家でできないことはないですが超面倒なのでオススメしません。
ミシンがあれば紐で綴じれるのでそのうちやりたい。
・プリンター
もちろんキンコーズに持っていってもいいけど、やっぱり落ち着いて作業したいので自宅に欲しい。手入れして長年使えばそんなに高くもないし。イベント時以外は使わなかったとしてもインクを入れて電源を差したままにしておきましょう。いざという時に動かなくなっちゃうぞ。
3Dプリンターに関して「自分の中のアイディアを形として実現できる夢の道具」みたいな褒めをよく聞くけど、それ3Dに始まった話じゃないですからね!?私は印刷所に出す原稿でも印刷して眺めてにこにこしたりしています。普通にゲラのチェックとして有用でもある。
・表紙の紙
どうぞ。選び放題です。
選びきれないなら2種類作ったっていいんだ。だってコピー本だから。
インクジェットプリンタ対応紙を選ぶことだけ注意。

梅原さんはサービスのつもりか注文してない紙をどんどん一緒に送ってくれる可愛い激推しショップです。ここで働きてぇ。
・本文の紙
特にマンガの場合はコピー紙だと裏が透けてしまうので、厚めの上質紙を注文したほうがいいです。表紙と一緒に梅原さんのところに頼みな。
厚みがあれば本っぽく見える。そして厚みは金で買えます。
【オプションのアイディア】
スプレー(ステンシルができる)、帯用の紙(A5本ならA3がいい)、切り取り線用カッター(袋とじ!袋とじ!)、裁断機、ホットボンド、etc
この手のアイディアの種はホームセンターでみつけることができます。皆ホームセンターに行こう。

ソシャゲと音楽

永遠意光とViva! Fantastic Life!!!!!!!を延々と聞いている。
ソーシャルゲームは可処分時間の奪い合いだとかアクティブユーザー数が大事だとか聞くけれど、そうはいっても物理的にゲームに手を付けられない時間は存在する。それを思うとソーシャルゲームに音楽が寄り添うというのは賢い手段だなと思う。
ゲームができなくても音楽を聞きながらできる作業はあるし(具体的に言うと原稿や原稿など……)、そうすると作業中も自ずからそのゲームへ思考の一部を割いているわけで、愛着も湧くというものだ。刷り込みというやつですね、私の大好きな。
さして好きなわけでもないのに頭から離れないという現象も音楽ではよくある。これは映像にはできない、音楽のアドバンテージなのではないか。

バラム戦なんてほとんどやっていないのに龍虎激突が流れるとあのにょろにょろした動きを頭の中に描けるのは本当に凄いことですよ、と書こうとしてバラムにはノーマルでもベリハでも相当苦労させられたと思い出した。記憶を捏造している。
これは最近味わい深いと思ったブログ
https://collectone.jp/blog/category/cat/

メギドアニメのサブタイトルにある「旅戦」。知らない熟語だな、とふと思って調べたら造語だった。
すごくありそうなのに、ない。認知の壁のセキュリティホールだ。

191009
征旅という言葉があるな。銀英伝を読んでいて気がついた。
読んでいなかったら気がつかなかったと思う。

好きな技術書

日本語の作文技術 (朝日文庫)   本多勝一

https://www.amazon.co.jp/dp/4022618450/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_Bx-oDbJ8Z5DG6

漫々快々―みんなのマンガがもっとよくなる (Comickersテクニックブック)   菅野博之
https://www.amazon.co.jp/dp/4568502241/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_1y-oDb21GBPNB
最近古本市で見つけたので日本語の作文技術の方を読み返してる。
水を飲むように見たり読んだりしているものが作り手の側から解体されていく様が好きなんだと思います。
こういう技術を人に伝えるまで落とし込むことは「上手い文章を書く」「上手い漫画を描く」とは全く別個の能力なので、作者の方々は尊敬できる。

新青森の勇者

エスカレーターに乗る際、歩く人のために片側を空けるという文化がある。あれが許せない。

厳密に言うとその文化そのものが許せないのではなく、その文化によりエスカレーター前に一時的な渋滞が発生している瞬間が許せない。さらに厳密に言うと許せないと言うか、据わりが悪い。見ているとぞわぞわしてきてしまう。
誰か最初の一人が空けられた片側で立ち止まればいいのだ。それで渋滞解消速度は2倍になる。
でも一度やってみるとわかるだろうが、これは頻繁に日常に発生するにも関わらず極めて高度な勇気を必要とする行為である。エスカレーターは本来立ち止まって使用するもので、正義は我が手にあるにも関わらず。
私も余程血気盛んな時しかできない。名古屋で立ち止まってやった際、後ろから無理矢理人に追い抜かされたことがあり、かなりトラウマなのである。
先日新青森で降りた時、新幹線のホームにこのエスカレーターの悪夢というべき状況が発生した。私は世界を少しでもよいものにするべく空いたレーンに足をかけた。
するとなんということでしょう。すぐ前のおじさんが立ち止まったのである。彼もまた世界をよりよくしようと試みる一員だったのだ。この協会に参加するメンバーは極めて少なく、こんな所で出会うとはすごい偶然だ。
私は前方に立つ勇者の背中を眩しく見下ろしたのだった。
下りのエスカレーターだったので。