この絵や特定の作者に対する批判ではないのだが、最近、麻雀プロという実在の人間のファンアート文化に触れて思うことがある。
女性麻雀プロ、同定しづらすぎ。
社会的な男女差
同定に必要なのは同属性、例えば女性麻雀プロ間の差分とその強調だ。麻雀格闘倶楽部のツイートに添付されたツイートならこの絵に載っているのは麻雀プロだと考えられるから、必ずしも日本女性全員との差別化が必要な訳ではない。
だから同属性の集団内の差分が大きい方が望ましい。わかりやすいところでは、年齢の幅は女性プロのほうが狭そうだ。上記の絵における男性プロの最高齢はなんと86歳。
女性麻雀プロは男性麻雀プロに比べてビジュアルが要求されると仮定すると、女性集団内のほうが特徴が減少するかもしれない。イケメンは描きづらいという話もよく聞かれる。
ファンは写真を参考にファンアートを描くわけで、日常的に女性が行う化粧の効果もあるかもしれない。ただ、後述するけれど、化粧でカバーされるであろう肌の質感や微妙な眉のラインがファンアートを特徴づける割合は多くはなさそう。
表現の上での男女差
身だしなみに気を使う女性プロの社会的な立場は描く側の心理にも影響する。女性プロは美人に描かなくては申し訳ないという気持ちになる。同定できること、似せることはファンアートの目標じゃない。
じゃあ女性プロが似ないのはファンアートを描く人間が素人だからなのだろうか。そもそもファンアートを描く人間はどういった人間なんだろう。麻雀ファンが誰でもファンアートという活動を行う訳ではなく、既にある程度マンガ・アニメ・ゲームオタクの素養をもっており、絵を描く活動が身近だからこそファンアートという手段を用いる描き手が多そう。この時、人間の描き方は描き手の習得してきた絵柄、即ち参考としてきた漫画やイラストレーションに影響されると考えられる。
私は漫画に詳しくないのでここは強く個人の感想とさせていただきたいが、少女漫画におけるキャラクターの描き分けなどを多い浮かべると女性が同定しづらいのはアマチュアの問題ではないと思う。特に自分で描いて思うのは、目の表現を均質化してしまうと相当同定に影響がある。
生物学的な男女差
本来一番シンプルな仮説はこれだ。「生物学に描きやすい人間のタイプが存在し、男性と女性には差がある」。漫画が線での表現である以上、線で表す特徴が多い人間が描きやすそうだ。例えば皺の多い老人、彫りの深い人種は描きやすいかもしれない。逆に、先に述べたように化粧による肌の表面の特徴は表現しにくそうだ。
しかしモデルに似るかとモデルを同定しやすいかは異なる問題だ。若者が多い人物の中に皺がある人物がいるからその人物を同定することが可能になる。つまり男性全体の顔面特徴量と女性全体の顔面特徴量を漫画向けの特徴で重み付けして、性差を調べる必要がある。こういうの画像認識で数値化できるんだろうか。人種✕性差の交互作用は?
最初は社会学的な男女差しか考えていなかったけれど、影響がありそうな要因を列挙してみると意外と興味深い問題だ。出発地点が印象な上に答えはわからんけど。
せっかくリアルの人間を眺めることが多い昨今なので、描く立場としても研鑽していきたい。