牌がささやく : 麻雀小説傑作選メモ

短編名著者生没(年)出典(書名)出典(出版社)出典(年)初出(書名)初出(年)
新春麻雀会阿佐田哲也1929-1989色川武大 阿佐田哲也 全集10福武書店1992週刊文春昭和62年1月1/8合併号1987
三人の雀鬼清水義範1947-蕎麦ときしめん講談社文庫1989蕎麦ときしめん1986
雨の日の二筒五味康祐1921-1980雨の日の二筒廣済堂文庫1986暗い金曜日の麻雀1967
カモ大沢在昌1956-賭博師たち角川文庫1997賭博師たち1995
摸牌試合山田風太郎1922-2001くノ一紅騎兵講談社ノベルス1996忍者六道銭1980
麻雀西遊記横田順弥1945-2019銀河パトロール報告集英社文庫1981銀河パトロール報告1979
雀鬼三好徹1931-2021雀鬼集英社文庫1978雀鬼1968
東風吹かば黒川博行1949-麻雀放蕩記双葉文庫2000麻雀放蕩記1997
他力念願生島治郎1933-2003悪意のきれっぱしケイブンシャ文庫1989悪意のきれっぱし1980
九蓮宝燈清水一行1931-2010九蓮宝燈徳間文庫1996銀の聖域1970

麻雀小説収集

麻雀が登場するテキスト・創作、特に作品数が少ないと言われる近年の小説について集めてる。麻雀が主題になっていないものや一部のシーンに使われているものについても印象的な使われ方をしていれば収集したい。
今のところは集めて読んでいるだけだが、物語の中で麻雀が果たす役割、牌活字の意義、囲碁小説や将棋小説との関係、麻雀漫画に対する麻雀小説の事情なども知りたいと思っている。
小説については読んだものを太字にしていく。

小説

魔都 (1924) 村松梢風(著)※「賭博館の娘」収録
第二の接吻 (1925) 菊池寛(著)
大道無門 (1927) 里見弴(著)
アクロイド殺人事件 (1926) アガサ・クリスティ(著)
白蟻 (1935) 小栗虫太郎(著) ※「完全犯罪」収録
暗い金曜日の麻雀 (1967) 五味康祐(著) ※他著書多数
アンドロギュノスの裔 (1970) 渡辺温(著) ※「象牙の牌」収録
麻雀放浪記 (1969) 阿佐田哲也(著) ※他著書多数
麻雀水滸伝 (1972) 野村敏雄(著)※他著書多数
悪徳学園 (1974) 平井和正(著)※「星新一の内的宇宙」収録
一生に一度の月 (1979) 小松左京(著) ※「一生に一度の月」収録
緑一色は殺しのサイン (1977) 藤村正太(著)
亜空間要塞 (1977) 半村良(著)
大三元殺人事件 (1979) 藤村正太(著)
麻雀小説傑作選 (1981) 阿佐田哲也他(著)、寺内大吉(編)
エロチック街道 (1981) 筒井康隆(著)※「われらの地図」収録
イルカの惑星 (1983) 豊田有恒(著) ※「大酋長のマージャン」「戦略麻雀司令室」収録
黄金の指 (1984) 石川喬司(編)、結城 信孝(編) ※「麻雀西遊記」横田順彌(著)収録
アクナル・バサックの宝 (1984) 半村良(著) ※「復讐のギャンブラー」収録
ムツゴロウの名人ブルース (1986) 畑正憲(著)
愛と青春のサンバイマン (1987) 藤井青銅(著)
麻雀を打つ剣豪 (1987) 松野 杜夫(著)
海野十三全集第1巻遺言状放送 (1990) 海野十三(著) ※「麻雀殺人事件」(1931) 収録
ジョイ・ラック・クラブ (1992) エィミタン(著)
麻雀放蕩記 (1997) 黒川博行(著)
病葉流れて (1998) 白川道(著) ※他著書多数
ピンの一 (1998) 伊集院静(著)
牌がささやく―麻雀小説傑作選 (2002) 阿佐田哲也他(著)、結城信孝(編)→メモ記事
祈れ、最後まで・サギサワ麻雀 (2004) 鷺沢萠(著) ※「祈れ、最後まで」収録
恋心はイーシャンテン (2005) 木村由佳(著)、田中実(監修)
砂漠 (2006) 伊坂幸太郎(著)
プロ雀士吉田光太の横向き激闘記 (2006~2020) 吉田光太(著)
牌の宿命 再会の中 (2007) 灘麻太郎(著) ※「小説 昭和マージャン伝 闘牌の絆」 (2013) に改題
ナナヲ・チートイツ (2009) 森橋ビンゴ(著)
アスカ ―麻雀餓狼伝― (2010) 吉村夜(著)
盤上の夜 (2012) 宮内悠介(著) ※「清められた卓」収録
ガッツン! (2013) 伊集院静(著)
雀―肌上の猛牌 (2014) 櫂末高彰(著)
中央線アンダードッグ (2019) 長村大(著)
トランプ殺人事件 (2012) 竹本健治(著) ※文庫化の際書き下ろし「麻雀殺人事件」収録
世界堂書店 (2014) 米澤穂信(編) ※「シャングリラ」張系国(著)収録
雀姫達の宴~すずめと燈~ (2017) なよ(著)
渚のリーチ (2022) 黒沢咲(著)
麻雀小説 (2022~) アメジスト机(著)
令和その他のレイワにおける健全な反逆に関する架空六法 (2023) 新川帆立(著)※「接待麻雀士」収録

参考情報

出版書誌データベース
google books
Amazon
https://booklog.jp/q/8140
https://booklog.jp/q/8694
Yahoo知恵袋
Twitter
Wikipedia
国立国会図書館サーチ
各地の図書館のNDCで調べる

先行研究

クリスティと麻雀の夕べ 若島正 初出『ミステリマガジン』90/7より
編者解説 結城信孝 牌がささやく―麻雀小説傑作選 (2002) より
麻雀と文壇 馬場裕一 『このミステリーがすごい!』大賞作家書き下ろしオール・ミステリー (2011) より
初期竹書房のSF小説たち V林田 『本の雑誌』2019/9より

エッセイ・その他

麻雀好日 (1977) 吉行淳之介
ムツゴロウの麻雀記 (1977) 畑正憲
ムツゴロウ麻雀物語 (1984) 畑正憲
勝手にしやがれ (1989~XXX) 前原雄大
祈れ、最後まで・サギサワ麻雀 (2004) 鷺沢萠
「このミス」大賞杯麻雀激戦記 (2011) 綾辻行人、海堂尊、藤田宣永、茶木則雄 『このミステリーがすごい!』大賞作家書き下ろしオール・ミステリー より
東大を出たけれど (2013) 須田良規 無料版有料版
わかっちゃいるけど、ギャンブル! (2017)
阿佐田哲也はこう読め! (2021) 北上次郎

観戦記の書き方

鈴木聡一郎の今夜もツクねん
観戦記の書き方|沖中祐也
麻雀観戦記を書く際に意識していること|東川 亮
新聞記者の書き方が参考にされているのが印象的(個人的には「日本語の作文技術」が頭をよぎる)。

漫画

アカギ (1992) 福本伸行
天牌 (1999) 来賀友志・嶺岸信明
むこうぶち (2000) 天獅子悦也
オバカミーコ (2004) 片山まさゆき
咲 -Saki- (2006) 小林立
漫画は他多数。「近代麻雀」(元:「別冊 近代麻雀」)の影響か。牌姿を見せる関係上都合がいい?

調べ物

追憶の麻雀
イカサマ、賭博の変遷が知りたい
こっちはウェブより論文や本の方が強そう……

もしミステリ読みが「もし高校野球の女子マネージャーがドラッガーの『マネジメント』を読んだら」を読んだら

※「もし高校野球の女子マネージャーがドラッガーの『マネジメント』を読んだら」のネタバレを含みます

拙い文章だと感じた。小説を書くための基本的なルールが成立していない。神の視点や視点の乱れが小説内に遍在している。文章の修飾に独創性がなく、取ってつけたようである。
その文章の冷たさは、同様にストーリー仕立てのビジネス書というジャンルの有名作品であろう「The Goal」を感じさせるところもあるが、ビジネス書として書かれた小説などほとんど読んだことのない立場の私からは不当な評価かもしれない。
それでも私がこの小説を最後まで読み切れた理由は二つある。

第一に、本書がビジネス書だったからである。
小説には手厳しい私だが、この本が芥川賞を目指して書かれたものではないことくらいは理解している。この本を通じて『マネジメント』の内容は具体的に理解できた。修飾語もビジネス書の中に登場する比喩表現の一種と考えれば毒にはならない。

第二に、本書がミステリー小説だったからである(私はカテゴリーがどんでん返しされる小説に滅法弱い。参考:銀河英雄伝説感想)。
最大の謎は「みなみ(主人公)はなぜ高校野球の女子マネージャーになったのか」。伏線は張られている。答えを求めてページをめくる。終盤の謎解きパートでは主人公の親友が死ぬことになる。読者は親友が死ぬことに感動するのではない。死ぬことで謎が解かれ物語が展開するから、その死に意味があるから心が動くのだ。心が動くから小説が成立するのだ。
ワイダニットはミステリーに限らず物語を牽引するための一般的な構造だが、本書では冒頭で叙述トリックが使われている。物語の冒頭で、みなみは野球に縁もゆかりもない人生を送ってきたのだと読者は思い込まされる。しかし、謎解きパートでみなみに縁もゆかりもなかったのは「野球」ではなく「(高校)野球部」だったことが明かされる。

叙述部分では神の視点が用いられているものの、小説全体を通して主人公=犯人(読者に対して裏切りを行う人物)という形式に当てはめるならば、この物語は倒叙形式でもある。読者はみなみを信頼できずに物語を読み進めていくことになる。
そもそも読者はドラッカーの「マネジメント」を読み、限られたページの中でさしたる失敗もなくマネジメント実践に成功する非現実的な女子高校生に共感できない。構造的な点からは、視点の乱れや一人称視点が選ばれなかったことがそれを加速させている。さらに、あだち充の作品に由来するであろう「みなみ」という記号的な名前からもこの主人公の得体のしれなさが伺える。
しかしこの非共感は、倒叙形式を踏まえるとよく機能している。親友が死に、裏切りを告白し、初めて感情的になり激高するみなみを見て、読者はみなみとの距離が急激に縮まったと感じるのだ。

改めて、ビジネス書において物語とはビジネスに役立つ知識を伝えるための道具である。それは二次創作の大部分において物語がキャラクターや原作の魅力を伝える道具となるのに近い。本書では、視点の乱れ、ミステリー的要素、共感できない主人公などの要素が複合した結果、『マネジメント』を紹介しながら最後まで読者を引っ張る小説になっている。特にワイダニット、叙述トリック、倒叙形式などのミステリー小説の小道具が、実用書に強力な物語の力を与えることを証明している(参考:ミステリ風味二次創作、あるいは虚月館のこと)。もしミステリ読みが「もし高校野球の女子マネージャーがドラッガーの『マネジメント』を読んだら」を読んだら、ミステリーの『マネジメント』力を実感するだろう。

鳥文学研究

文学研究をしていたら動物種の違いがわからんぞーとなった。それから最近、一番好きな動物概念は刷り込みだったことを思い出してしまったので、鳥が足りんぞ!という気持ちで鳥の研究を始めます。
とりあえず、二次資料を、集めるー。
SILVER SKYに登場する羽ばたいてる鳥の種類を同定することを目指します。

鳥を読む: 文化鳥類学のススメ 2023 細川 博昭 (著)

一生に一度の月感想

麻雀が登場する小説を集めている。amazonを駆け回りYahoo知恵袋を虱潰しているのだが、大抵は「阿佐田哲也」と答えられて終わりだったりする。そんな中で今一番アツいツイートはこれだ。


この引用リツイートとリプライに挙げられる小説一覧の収穫が半端じゃない。「一生に一度の月」もそうやって発見した。このように役立つところを見るとちょっとはツイッター潰れるなという気持ちになったりもする。

文字量を積み重ねたアマチュア創作はいいものだが、文字量を極限まで削ったプロフェッショナルショートショートもいいものだ。アイディアさえあれば自分にも書けるのではないかという錯覚を覚えさせてくれるから。バベルの図書館はある。
アポロ11号の月面着陸が中継される傍ら、その偉業を見届けるために集まったにも関わらず麻雀牌を広げ始めてしまうSF作家達。そして着陸の瞬間を他所に、海の底から化現する幻の役満・九蓮宝燈。麻雀牌にシンボルを重ねる小説といえば灘麻太郎プロの小説「牌の宿命 再会の中」(2007)があるが、牌にふった、中=再会、白=死、といったシンボルは灘プロの創作だと考えられる。一方の小松左京はさすがに小説のプロ。海底老月という麻雀役の中でも誰しも認める美しい役とアポロの着陸が重ねられている。九蓮宝燈がいかに誇り高き役満かという描写によって、麻雀を嗜まない読者にもこの小説の肝となる「月」と「運のツキ」の比喩は伝わる。しかしテクスト内で直接言及はないが、このアガりには中国麻雀に由来する一筒老月というローカル役(最後の手番で一筒をツモるとつく役)のイメージも重ねられている。さらにアガった後の「すごい! おまけに九筒がドラですよ」という投げっぱなしの一言にも、麻雀を知っている読者だけが「役満なんだからドラ3なんて関係ないだろ」とニヤリとさせられる。人類の誰もがブラウン管から見て認める月面着陸という成果と、麻雀とかいう中国語が飛び交う知らない人にはどうでもいいゲームの妙竹林な場面に興奮する大人達の対比。アポロ着陸の中継はとっくに終わっていた。
この部屋の中で行われるべきゲームは囲碁でもオセロでもなく、麻雀でなくてはならなかったことがわかる。夜と怠惰とエキゾチックの象徴たる麻雀。そういった文化の印象はMリーグ大時代の中いつまで生き残り続けることができるのだろうか。伊坂幸太郎の「砂漠」(2006)は大学生という限られた時間の中にまだ息づく麻雀文化を描写したが、それさえも大学生の娯楽などいくらでもあるこの現代においては歴史的記述になってしまうのかもしれない。
しかし、九蓮宝燈を和了った「私」は興奮の中でアームストロング船長にこう語りかけている。

人それぞれに、その時その時の感激の瞬間というものがあり、それは、その瞬間において、当人にとって最も重大なものであって、一方でもって、他方を否定することができないし、逆に人それぞれ固有の感激を通じて、わかりあう面があるはずだ、といった、いわれのない確信のようなものが、その時の興奮した気分の中にあった。――これが「現代」というものだ、といった確信が。

小説はまさにアポロが月面着陸した1969年当時に執筆されているが、この「現代」という言葉は現代でより一層真に迫る。『「予測」や「予見」を大きな要素とするSF』(本文より)の面目躍如といったところだ。そこで気がつく。煙草を吸っていなくても、明るく小綺麗な雀荘の中でも、海底で一筒をツモるその興奮に現代の私は共感することができる、と。