麻雀をチーム戦にするのは誰か 「いま、最高の個人競技が、最高の団体競技になる」言わずと知れた、MリーグのHPのトップに掲げられるキャッチコピーである。しかし、実際のところ一半荘の間にチームで行う作業は何もなく、競技自体は個人戦だ。昨年行われたRAGE麻雀 feat. M. LEAGUEではアドバイス制度や代走が導入されたが、今後も麻雀が真の意味でチーム戦になることはないだろう。それでもMリーグがチーム戦足りうるのは何故か。試合後に議論する姿。チームメンバーのSNSでのやり取り。ABEMAの特番で明かされるエピソード。それらは全て試合の外の姿だが、その情報があるからこそ、Mリーガーはチームのために必死でトップを取ろうとしているように見えるのだ。 設立1年目のアースジェッツ、3年目のBEAST X、7年目のサクラナイツを見てほしい。アースジェッツは団体混合のチームだから、まだ「チームとして」アースジェッツを応援しているファンはほとんどいないだろう。BEAST Xのように、これからコンテンツの発信を繰り返していくことで、チームのファンが増えていくのだろう。そしてサクラナイツのファンは二度のチームメンバーの入れ替わりを通して、個人を応援することとチームを応援することのギャップに向き合っている。Mリーグがチーム戦だという共同幻想は、運営する側が演出し、観客が受け取ることで保たれている。Mリーグをモデルとして、様々な麻雀のチーム戦が行われている。しかし、雀士を集めてポイントを共有させればチーム戦になるというものではない。そこには演出が必要なのだ。 チームは一日にして成らず:世界麻雀 先日第4回となる大会が行われた「世界麻雀」だが、今大会からはチーム戦が導入された。しかし、個人的な感想としては世界麻雀はチーム戦に見えなかった。どのチームを応援すればいいのかわからなかったのだ。一般に国際大会は自分が帰属する国を応援するものだろうが、日本のチームは45チームの中に8チームもあった。何をもって応援するチームを決めればよかったのだろう。多くの日本の麻雀ファンは、一番好きなプロがいるチームを本命と定めて応援したのではないだろうか。それは個人戦と何が違うのだろう。また、チームが急造すぎたのも熱が入らなかった原因だ。チーム発表から大会当日までは1ヶ月しかなく、チームとして応援する材料を見つけられなかった。しかし、それでもプロ雀士の側は努力をした方だと思う。多くのチームが決起集会と称して顔合わせを行い、それをSNSに投稿していたのだ。大会に勝つことを考えた時、そんなことをする必要は全くなかったにも関わらず。真に世界麻雀をチーム戦として成立させたかったならば、一国1チームに絞った、国別対抗戦をやるべきだったと思う。その予選や、チーム決定後の交流の演出を通して、「日本代表チーム」を盛り上げていくべきではなかったか。 チーム分けの工夫:魂天リーグ 魂天リーグは麻雀ウォッチによって主催されているチーム戦だ。現在第2期が行われている魂天リーグだが、運営サイドがチーム分けを工夫してきたように見える。例えば、渡辺プロ・西乃プロ・牧野プロからなるチームベガは「配信者チーム」と紹介されるし、木原プロ・梅村プロが所属するチームリゲルにおいては、しばしば二人の師弟関係が言及される。所属団体を意識してチーム編成が行われた第一回から、運営が工夫をしてきたことは明らかである。ただ、残念なのは、そのように共通点の多い魂天リーグのチーム内でも、リーグ戦当日以外のチーム配信は現状行われていないことだ。唯一の例外は、神域リーグにも登場したVTuber達によるチーム、チームポラリスである。 チーム作りのプロ達:神域リーグ Mリーグにインスパイアされた麻雀チーム戦の中でも、神域リーグの成功は桁外れと言えるだろう。しかし、神域リーグは著名配信者達のリーグだったから成功した訳では決してない。著名な配信者達はチームをチームとして見せる術を心得ている、演出家であり演者だったから、神域リーグは成功を収めたのだ。ドラフト後、即座に顔合わせ配信を行う。タグを作り、チームとファンの間に一体感を作る。このようなシステムは真の意味でのチームバトルを行うeスポーツの習慣を持ち込んだものだろう。しかし、本来の団体競技が行っている工夫を麻雀で行わず、どうして個人競技がチーム戦となりうるだろうか。また、チームを作る制約の中にもチームらしさを生み出す工夫があった。初年度のみだったが、神域リーグには麻雀の実力に従ったランクが存在した。雀聖3からがAランク、雀傑3からがBランク、といった具合で、各ランクは一人ずつしかチームに所属できない。チーム間の実力の平等性を担保するためのシステムだったが、これは結果的にチーム内の師弟関係や、チーム間でのライバル関係を生み出すシステムとなった。そのように本番の外の練習配信や交流会できた、配信者同士の「関係性」がチームを形作る。チームができるから、本番の応援配信が盛り上がるのだ。 チームへの帰属意識:WROTL・海桜戦・新春まーすた麻雀チームバトル ここまでは主に見て楽しむチーム戦について論じたが、私達が参加できるチーム戦も存在する。近年だと、龍龍が主催するネット麻雀のチーム戦「WROTL」が大規模だろう。これは主に龍龍ユーザーが参加して楽しむことを目的としたチーム戦だが、日吉プロ・滝沢プロ・本田プロ・日野プロが所属するチーム「1859」や、藤川プロ・早川プロ・西乃プロ・茨城プロが所属するチーム「イケメンアベンジャーズ」は、チームメンバーをゲストとしたリアル麻雀のイベントを行い、応援できるチーム戦としてもWROTLを盛り上げていたことは特筆に値する。WROTLのように、麻雀のチーム戦といえば友人同士がチームを組むイメージの方が主流だろうが、実際には見知らぬ人同士がチームを組める麻雀チーム戦も存在する。 サクラナイツとU-NEXT Piratesが2行うオンライン麻雀大会「海桜戦」はその一つだ。あらかじめ所属したいチームに申し込み、所属するチームとは無関係に卓組みが行われ、それぞれのチーム上位100人分の成績が計上されるシステムになっている。こうすることで、チーム間の人数の不平等性を緩和できるのだ。ただ、唯一不満があるのは、同卓相手がどちらのチーム陣営なのかわからないという点だ。つまりこの大会において、ファンはチームに帰属意識を持っているが、ファン同士は同じチームに帰属しているという連帯感を持てないのだ。大会用に雀魂の1日限定の称号を作って、それぞれのチーム所属者に専用の称号をつけてもらう、といったシステムを導入するのはどうだろうか。 一方で、リアル麻雀の大会「新春まーすた麻雀チームバトル」は参加者がどのチームに属しているかをわかりやすく示している。ノベルティとして大きな缶バッチがついてくるのだ。 実は、このチームバトルは海桜戦とは違って、全半荘でチーム同士が対戦するように卓組みがされているので、参加者が条件戦を望まない限り、対戦相手のチームを認識できるようにする意味はない。しかし、多くの参加者が缶バッチを付けることで、チームメンバー同士の会話が生まれるのだ。麻雀イベントでの参加者同士の会話は卓内で行われるのが主なところを、チームメンバーを認識できることによって、もう一軸、会話の機会が生まれる工夫になっている。 #新春麻雀チームバトル – Search / X See posts about #新春麻雀チームバトル on X. See what people are saying twitter.com 参加者の多くがバッチをつけて記念撮影したり、バッチにサインを貰ったりしている様子から、このノベルティの効力が伝わるのではないだろうか。 まとめ 麻雀は本質的には個人の競技だ。それを私達がチーム戦だと感じられるのは、運営とチームに所属する雀士達がチーム戦らしさを演出するからだ。その演出がない麻雀はチーム戦ではない。ただのポイントを引き継ぐ個人戦にである。
Category: 文学・批評
都市伝説を解体したオタクはこのミステリを読め!(虚構推理編)
都市伝説解体センターが流行ってから「都市伝説解体センターが好きな人はこのゲームもやって!」と言ったツイートが流れてきますけれども(私は「パラノマサイト」をオススメしたいです:おい!ミステリオタクのパラノマサイト感想聞いてくれやありがとう)、当方活字を愛するオタクなので強く言わせていただきたいです。ミステリ小説を読め!!!実際、ゲームやミステリに不慣れでも都市伝説解体センターが好きになった人って、テキストの味やミステリの構造が刺さったと思うんです。じゃあミステリ小説読みましょ。名作はいくらでもありますよ。そういう訳で、都市伝説解体センターが好きな人にオススメのミステリを紹介します。 虚構推理 城平京 著(2011年) あらすじ 主人公の岩永琴子は幼い頃に妖怪たちに連れ去られ、片目と片足を取り上げられて妖怪たちの知恵の神として祀り上げられることになりました。それ以来、琴子は妖怪たちの困りごとを解決しながら暮らしています。聡明でお嬢様で少し世間離れしている琴子も人の子。中学生の頃、病院で出会った桜川九郎に一目惚れしてしまいます。九郎は人魚と件(くだん)の肉を喰らった、不老不死とちょっとの未来改変能力をもつ普通の高校生です。九郎にはお付き合いをする女性がいましたが、琴子が大学生に上がる頃、ちょっとした事件で別れることになりました。それを知るや否や琴子はアプローチを決行。半ば無理矢理お付き合いを始めます。そんな二人が妖怪たちの依頼で駆り出された先では、顔の潰れたアイドルの亡霊が現れて、夜な夜な鉄骨を振り回すとの噂。その噂は「鋼人七瀬まとめサイト」を通してネット上で拡散されていき、次第に都市伝説めいていきます。それに従って暴力性も増していく亡霊アイドル。琴子はそれを、現代人の妄想と願望が作り上げた「想像力の怪物」と呼びます。そしてついに出てしまった被害者は、九郎の元カノの関係者でした。果たして琴子と九郎は亡霊を退治できるのか……。というのが、虚構推理シリーズ第1巻「虚構推理」のお話です(もともとは「虚構推理 鋼人七瀬」というタイトルだったのが、講談社タイガに移ったときに改題されました)。 都市伝説解体センターファンにココがオススメ! 都市伝説が活躍する多重解決ミステリ! 都市伝説解体センターが影響を受けたミステリとして、ファミ通のインタビューでは、京極夏彦の百鬼夜行シリーズが挙げられています。百鬼夜行シリーズはまるで妖怪が起こしたような事件を解決していくミステリですが、この妖怪を都市伝説に置き換えたものが都市伝説解体センターの構図だと語られています。虚構推理にも妖怪がたくさん登場しますが、1巻の鋼人七瀬編は明らかに妖怪ミステリでなく都市伝説ミステリです。その理由は、現代を生きる人の噂が謎を形作るからです。あなたも経験ありませんか? ツイッターで流れてきたそれっぽいツイート。最初は信じてしまったけど、フェイクニュースだった。いやいや、実はそれ実験でした、って。それ、多重解決です。多重解決というのは、ミステリの解決パートの技工の一つで、要するに解決パートがいっぱいあるということです(「丸太町ルヴォワール」、最愛の作品なんで読んでください)。匿名の噂に隠れた都市伝説の真実は移ろいやすいもの。その移ろいやすさが虚構推理では多重解決という形で表現されています。どうして多重解決することが鋼人七瀬を倒すことにつながるのか? それは是非本編を読んでください。 掛け合いがキュート! 私の都市伝説解体センタープレイ1周目の記憶ですけれど、ミステリオタクの悪い手癖でつい正解の選択肢を選んでしまって、結構あっさり終わらせてしまったんですよ。2週目で阿呆のあざみにセンター長が向ける視線が優しすぎて頭抱えたワケなんですが、都市伝説解体センターのユーモアあるテクストに気が付かず終わってしまうところだったなんて危ないところでした。虚構推理も独特のユーモアを持つ作品です。岩永琴子、自信家で教養があってユーモラスだが下ネタが好きで少し変な女の子でして……。一挙一動一発言が可愛い。琴子をすげなく扱う九郎とのやり取りを楽しんでください。九郎の元カノに歯をむき出しで威嚇する琴子が可愛いのなんのって。 シリーズ物&メディアミックス! 単行本でも十分楽しめますが、続きが欲しくなれば「虚構推理」に改題された講談社タイガからシリーズ化されています。さらにコミカライズとアニメ化も。実は作者の城平京先生は「スパイラル 推理の絆」で有名な方で、漫画原作も達者です。鋼人七瀬編のコミカライズに抜擢されたのはこれが商業デビューとなる片瀬茶柴先生。この先生がまた素晴らしき御方で、琴子を蝶よ花よと可愛がってくださり、城平先生もコミックスを大変気に入られました。そして以降はコミックスが先行して世に出るようになったのです。めでたしめでたし。虚構推理のコミカライズはただのコミカライズではないぞということで、漫画が読みやすい方はこちらを読んでいただいても構いません。ミステリ小説を読めと言っておいてなんなんですけども。ただ、小説版の最新刊である「虚構推理 逆襲と敗北の日々」の最終話は小説版とコミックス版で分岐があるので、どちらも読んでおいてほしい……。これは都市伝説解体センターで例えると、小説版で6話とエピローグの間に書き下ろしのセンター長の独白が収録されているようなものです。なんてことを。この挿話はシリーズ全体のターニングポイントだったのですが、今のところその後は大きな動きがなく、日常回が続いています。でも城平先生のことですのできちんと畳んでくれることは間違いないでしょう。注目です。また、「奇々解体」を愛する皆さんには、アニメ化の際に書き下ろさせたアニメ1期オープニング「モノノケ・イン・ザ・フィクション」も是非聞いてほしいところです。琴子ちゃんの告白が胸に迫ります。都市伝説解体センター、アニメ化するんですかね。いかにもしそうですね。 ということで、都市伝説解体センター好きにオススメのミステリ「虚構推理」編でした。11月のオンリーでは「ハサミ男」編をお届けします。また次回お会いしましょう。
牌がささやく : 麻雀小説傑作選メモ
短編名 著者 生没(年) 出典(書名) 出典(出版社) 出典(年) 初出(書名) 初出(年) 新春麻雀会 阿佐田哲也 1929-1989 色川武大 阿佐田哲也 全集10 福武書店 1992 週刊文春昭和62年1月1/8合併号 1987 三人の雀鬼 清水義範 1947- 蕎麦ときしめん 講談社文庫 1989 蕎麦ときしめん 1986 雨の日の二筒 五味康祐 1921-1980 雨の日の二筒 廣済堂文庫 1986 暗い金曜日の麻雀 1967 カモ 大沢在昌 1956- 賭博師たち 角川文庫 1997 賭博師たち 1995
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麻雀小説収集
麻雀が登場するテキスト・創作、特に作品数が少ないと言われる近年の小説について集めてる。麻雀が主題になっていないものや一部のシーンに使われているものについても印象的な使われ方をしていれば収集したい。今のところは集めて読んでいるだけだが、物語の中で麻雀が果たす役割、牌活字の意義、囲碁小説や将棋小説との関係、麻雀漫画に対する麻雀小説の事情なども知りたいと思っている。小説については読んだものを太字にしていく。 小説 賭博館の娘 (1924) 村松梢風(著)※「魔都」収録第二の接吻 (1925) 菊池寛(著)大道無門 (1927) 里見弴(著)アクロイド殺人事件 (1926) アガサ・クリスティ(著)完全犯罪 (1935) 小栗虫太郎(著) ※「白蟻」収録暗い金曜日の麻雀 (1967) 五味康祐(著) ※他著書多数象牙の牌 (1970) 渡辺温(著) ※「アンドロギュノスの裔」収録麻雀放浪記 (1969) 阿佐田哲也(著) ※他著書多数麻雀水滸伝 (1972) 野村敏雄(著)※他著書多数星新一の内的宇宙 (1974) 平井和正(著)※「悪徳学園」収録一生に一度の月 (1979) 小松左京(著) ※「一生に一度の月」収録→感想記事緑一色は殺しのサイン (1977) 藤村正太(著)亜空間要塞 (1977) 半村良(著)大三元殺人事件 (1979) 藤村正太(著)麻雀小説傑作選 (1981) 阿佐田哲也他(著)、寺内大吉(編)われらの地図 (1981) 筒井康隆(著)※「エロチック街道」収録大酋長のマージャン・戦略麻雀司令室 (1983) 豊田有恒(著) ※「イルカの惑星」収録麻雀西遊記 (1984) 横田順彌(著)※「黄金の指」石川喬司・結城 信孝(編)収録復讐のギャンブラー (1984) 半村良(著) ※「アクナル・バサックの宝」収録ムツゴロウの名人ブルース (1986) 畑正憲(著)愛と青春のサンバイマン (1987) 藤井青銅(著)麻雀を打つ剣豪 (1987) 松野 杜夫(著)麻雀殺人事件 (1990) 海野十三(著) ※「海野十三全集第1巻遺言状放送」(1931) 収録ジョイ・ラック・クラブ (1992) エィミタン(著)麻雀放蕩記 (1997) 黒川博行(著)病葉流れて (1998) 白川道(著) ※他著書多数ピンの一 (1998) 伊集院静(著)牌がささやく―麻雀小説傑作選 (2002) 阿佐田哲也他(著)、結城信孝(編)→メモ記事祈れ、最後まで (2004) 鷺沢萠(著) ※「祈れ、最後まで・サギサワ麻雀」収録恋心はイーシャンテン (2005) 木村由佳(著)、田中実(監修)砂漠 (2006) 伊坂幸太郎(著)プロ雀士吉田光太の横向き激闘記 (2006~2020) 吉田光太(著)牌の宿命 再会の中 (2007) 灘麻太郎(著) ※「小説 昭和マージャン伝
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もしミステリ読みが「もし高校野球の女子マネージャーがドラッガーの『マネジメント』を読んだら」を読んだら
※「もし高校野球の女子マネージャーがドラッガーの『マネジメント』を読んだら」のネタバレを含みます 拙い文章だと感じた。小説を書くための基本的なルールが成立していない。神の視点や視点の乱れが小説内に遍在している。文章の修飾に独創性がなく、取ってつけたようである。その文章の冷たさは、同様にストーリー仕立てのビジネス書というジャンルの有名作品であろう「The Goal」を感じさせるところもあるが、ビジネス書として書かれた小説などほとんど読んだことのない立場の私からは不当な評価かもしれない。それでも私がこの小説を最後まで読み切れた理由は二つある。 第一に、本書がビジネス書だったからである。小説には手厳しい私だが、この本が芥川賞を目指して書かれたものではないことくらいは理解している。この本を通じて『マネジメント』の内容は具体的に理解できた。修飾語もビジネス書の中に登場する比喩表現の一種と考えれば毒にはならない。 第二に、本書がミステリー小説だったからである(私はカテゴリーがどんでん返しされる小説に滅法弱い。参考:銀河英雄伝説感想)。最大の謎は「みなみ(主人公)はなぜ高校野球の女子マネージャーになったのか」。伏線は張られている。答えを求めてページをめくる。終盤の謎解きパートでは主人公の親友が死ぬことになる。読者は親友が死ぬことに感動するのではない。死ぬことで謎が解かれ物語が展開するから、その死に意味があるから心が動くのだ。心が動くから小説が成立するのだ。ワイダニットはミステリーに限らず物語を牽引するための一般的な構造だが、本書では冒頭で叙述トリックが使われている。物語の冒頭で、みなみは野球に縁もゆかりもない人生を送ってきたのだと読者は思い込まされる。しかし、謎解きパートでみなみに縁もゆかりもなかったのは「野球」ではなく「(高校)野球部」だったことが明かされる。 叙述部分では神の視点が用いられているものの、小説全体を通して主人公=犯人(読者に対して裏切りを行う人物)という形式に当てはめるならば、この物語は倒叙形式でもある。読者はみなみを信頼できずに物語を読み進めていくことになる。そもそも読者はドラッカーの「マネジメント」を読み、限られたページの中でさしたる失敗もなくマネジメント実践に成功する非現実的な女子高校生に共感できない。構造的な点からは、視点の乱れや一人称視点が選ばれなかったことがそれを加速させている。さらに、あだち充の作品に由来するであろう「みなみ」という記号的な名前からもこの主人公の得体のしれなさが伺える。しかしこの非共感は、倒叙形式を踏まえるとよく機能している。親友が死に、裏切りを告白し、初めて感情的になり激高するみなみを見て、読者はみなみとの距離が急激に縮まったと感じるのだ。 改めて、ビジネス書において物語とはビジネスに役立つ知識を伝えるための道具である。それは二次創作の大部分において物語がキャラクターや原作の魅力を伝える道具となるのに近い。本書では、視点の乱れ、ミステリー的要素、共感できない主人公などの要素が複合した結果、『マネジメント』を紹介しながら最後まで読者を引っ張る小説になっている。特にワイダニット、叙述トリック、倒叙形式などのミステリー小説の小道具が、実用書に強力な物語の力を与えることを証明している(参考:ミステリ風味二次創作、あるいは虚月館のこと)。もしミステリ読みが「もし高校野球の女子マネージャーがドラッガーの『マネジメント』を読んだら」を読んだら、ミステリーの『マネジメント』力を実感するだろう。