面白そうなゲームの記事を読んでいて末尾でハードがPS4のみだとわかった時いつも悲しい思いをしているので先に情報を書いておきます。 【タイトル】Slay the Spire 【ハード】steam, PS4, Xbox One, switch, iOS, Android (2/3 on sale!) 【値段】2000円くらい つまり誰でも気軽にできるということだ! 【どんなゲームなの?】 ローグライク+デッキ構築とかいうジャンルらしいけど私はどちらもよくわかりません!限られた資源(回数と資金)の中で初期デッキからランダムで出現するカードの追加と削除を繰り返して強いデッキを構築するゲームだよ!一周ちゃんと戦い抜くと90分くらいかかるけど大抵その前で負けるから大丈夫です。 【何が面白いの?】 「俺は昨日より今日このゲームが上手くなっているぞ」と思えるのが面白いよ。カードに相性やコンボが潜んでいるのですがそれを自分で見つけたり、人がやっているのを真似て上手く回したりするのが気持ちいいよ!単純にコンボを揃えようとすると、揃う前は弱いデッキになってしまうので汎用性の高いカードを先に獲得していくなど、カードを獲得する順番にも戦略が求められるよ!!カードの獲得と削除ができるタイミングは限られているこのプレイではどのコンボを重視していくか決める瞬間は毎度震えるよ!!! 戦闘では敵の行動予定がほぼわかっていて自分の与ダメにも乱数が入らないので、暗算するとそのターンに倒しきれるかきっちり計算できるよ。今暗算って言ったから怯えた人もいるかもしれないけど小学二年生でもできる計算だから心配いらないよ。 私はそろそろ伸び悩んできたので今日このにっきを書いているよ。 特定のコンボに固執するようになったら終わりだわ。 【難しいの?】 比較対象がないので難しいかどうかはわからないけど、操作性がいいのでとっつきやすいとは思う。こういう戦略性のあるゲームってある特定のユニットのみが使う能力とかが出てきてどんどん覚えるのがだるくなるんですけどけど、Slay the Spireは全部画面にポップアップで説明が出る。バフの計算もやってくれる。今あるカードが強化前だとしても強化後のデータもボタン1つで呼び出せる。こういう気遣いがありがたいねぇ……。 塔を登り始めた君は私とお話してくれよな。じゃあ私はデイリーチャレンジやるのでこの辺で。
聖なるズー感想
論理に裏打ちされた言葉で明確に語られることこそないけれど、あまりにもわかりやすく終始「人間と何が違う?」ということを問いかけ続けている。言語の外に性行為の誘いを受け取ろうとすることは、ヒトの男女の恋仲においても貴賎を問わず散々議論されていることなのが興味深い。受け取る目がないだけでそれが当然存在しうるはずだという、エピソードを踏まえた議論には納得できる。考えてみれば生き物だから当たり前だ(動物の種認識というのは大分テキトーなので)。 序章と最終章ではノンフィクションらしい筆致で感情を存分に揺さぶってきたが、基本的には研究者らしい批評の目線で綴られるのも精神の健康によかった。パッシブとアクティブの語りやすさに関わる議論、男性器の持つ暴力性なんかは、よくそこに気がつくなと思った。猫でも馬でも、結局膣のサイズが性行為における暴力の有無を決めうるという議論も身も蓋もなさすぎて(というと言い方がよくないが、なんていうかあまりに生物学的すぎて)笑けてくる。 でも素直に受け止められない部分もあり、「ロマンティックなズー達」では愛(性行為における対等性を導くとされている)がなければセックスしたら駄目なんだろうか?という疑問が必然的に想起される。例えば動物行動学がより発展して、求愛のシグナルが(そこにパーソンの理解がなくても)科学的に解析できるなら、性欲を解消するためのセックスが(ヒト同士で成立するのと同様に)成立しうるのではないか。本書がテーマにしているパーソンを理解した上での性行為はやっぱり一角に過ぎなくて、実際には獣姦の中にもっと多様な性のあり方が広がっているような気もするし、ゼータの外の人々やエクスプロア・ベルリンの体験に作者もそれを感じているだろう(この辺調査が進んだらまた本にしてほしいよな。博士に進学しているから期待できる)。 日本に獣姦を規制する法がないのは意外だった。FANZAで規制されてるからてっきりあるものかと思ってた。ヒトのレイプ作品とか普通にあるわけだから、これも一つのセクシュアリティに対する差別かなとは思うが、もうちょっとステップがないと現実の理解の促進には到底寄与しないかも(だって動物との純愛をテーマにした作品なんてほとんどない訳だし)、と感じた。まぁ創作がいつだって現実の理解のためにあると思ったら大間違いだけどさ。 動物を飼うことに興味がないのに概念の動物と人間の愛情について興味がありすぎないか?なんなんだ?
2020年遊んだゲーム
ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド (180)初ゼルダ。春の職と職の空隙期間でずっとやってて軽く飢餓状態になった。ゼルダ姫もリーバルもかわゆかったが、ストーリーやキャラクターはシンプルな方だと思った。ミファー→リンク⇔ゼルダからのリーバル→ゼルダのフラグが出た時シンプルすぎて笑ってしまった。それでも世界の情景がきれいで、その世界とキャラクターが関わっているのでゲーム全体として奥行きが出ておるなと思った。青い火が燃え続ける研究所とか、高所からの眺めや滑空や落下や落下などが印象に残っている。でもほこらの謎解くのが一番楽しかった。La-Mulana買ったのでどこまでがからくりに対する愛情か確かめたい。 グノーシア (20)絵がちょっと怖かったので尻込みしていたがすぐ慣れた。普通に論理で解いて行きたかったのでロジック、カリスマあたりにパラメーターを振ってた。人狼というものをやったことがなく(偏見を固めた人間なのでリア充の遊びだと思っている)ちょっと憧れがあったが、今後はセツと一緒にやったことがあるぞと言い張って生きていきたい。序盤、全然ロジカルでなく喋りの印象でグノーシアが決まってしまい、ゲームが進み主人公のかわいげが上がるにつれて疑われなくなるのがこの世界のいじめのメタファーみたいで怖かった。でも人狼ってそういうゲームなんですかね……。やったことないのでわかりませんが……。最後の鍵がどうしてもわからなくて攻略見てしまったのが悔しかった。ご存知でしょうがラキオが好きです。 逆転裁判123 成歩堂セレクション (45)ミステリとしても面白いし、ミステリをゲームに持ちこむ手口も面白いし、ノベルゲームとしても面白いし、ルヴォワールに連なる裁判モノとして履修できたのもよかった。1、2で溜め込んだキャラへの愛情を3で大爆発させるのがシリーズものとしてうますぎる。アクションはないし、絵も独特のアニメーションで色褪せるものではないし、会話劇も今読んでも全然違和感がないので、新作ハードに移植し続けるのは正解だと思う。 大神 絶景版 (35)徹底して癒やされる世界なのが好きだ。アクションの難易度もこれが私にとって適切だと強く感じた。イッスンとアマ公はズッ友だょ……。 ダンガンロンパ1・2 Reload (?)1が面白かった。クリア後にキャラの好感度を上げる作業ゲーがあって面倒だったがオタクはこういうのをさぼれない。と言ったが結構さぼった。おとなになった。ミステリを正解の選択肢があるゲームにするとき、ミステリの難易度が低いことはそこまで不満にならないが選択肢の側に瑕疵があることは大幅な減点になるなと思った。どうしてもいらついてしまうので。 Ghost Trick (?)ミステリ成分はそこまで強くなくパズルというにはやや弱い不思議なゲームだった。シリーズ物でなくキャラも逆裁ほど味付けが濃くない分、会話の良さが際立ってよかった。健気でおしゃべりなよく死ぬ犬が出てくる。 Dragon’s Dogma: Dark Arisen (50)女主人公と青年ポーンでやった。キャラの会話なんかは淡々としていたが、それはそれで世界観にあっててよかった。姫様のことはちょっと許せない。勝手にヒロイン面するんじゃないよ。RPG、効率的にサブクエストを埋めている時が一番楽しいな。最後までプレイしたにも関わらずミスティックナイトとマジックアーチャーが全然使いこなせないままだった。 Good Job! (15)最初パズルとぶっ壊しのどちらか評価されるのかよくわからなかったところがストレスだった。ぶっ壊しなわけないか。そうか。 VA-11 HALL-A (5)1周目何も見ずにやって2週目コンプするところまでまだ行けてない。話や世界観は確かに魅力的なんだけど、やる基本の作業がだるいと駄目だな……。でもいろいろ後続が出たのはちょっとわかる気がする。プログラム簡単そうだし……。だからこそ文字だけで勝負しなきゃ駄目で大変そうだけど。 ピクミン3 デラックス (29)小学生の頃、ピクミンやっていないくせに愛のうたでカラオケ高得点を稼いでいたので、やっと義理を果たせてよかった。ピクミンが集団としてのかわいさを遺憾なく発揮していた。主人公切り替えられるのも戦略性があり、操作性もよかった。ただ、本当にボリュームが少なかった……。ゲームを評価している上でのコメントと思って欲しい。もっと青ピクミンとこの星を見て回りたかった……。ストーリーが終わってもタイムアタック要素なんかがあり、その気になればいくらでも冒険できるので、終わりは私が定義しているものではあるのだが……。でもやっぱり新しい冒険の地に赴きたいよ。でもピクミン4が出た時その制作費は一部私の購入から出ているのだと思えるから後悔はない。 ポケットモンスターソード (105)DLC分。配信日に友達と通話しながら洞窟探検できたのがめちゃくちゃ楽しかった。リア充じゃん。でも本編フリーザー確保で詰まっちゃってその後やれてない。そういえばゼルダもDLCのボスは全然倒せてないな。DLCに来ると勢いが削がれる。 ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて S (115)ゲームの根本となる時渡りの倫理がちょっと受け入れ難かった……。倫理というか、創作物の歴史の中で、タイムトラベルものがここまで積み上げてきたもの全部無視なの!?という違和感がずっとついて回った。創作内の表現と現代の倫理と照らし合わせて作品を見る目が厳しくなってしまうという話は最近よく聞くが、自分にはそれとはまた少し違う「今それをやります!?」という価値判断の基準があることに気がつけたのはよかった。でも全体的に話がご都合主義というか、シンプルなストーリーなので、そもそもそういうものを目指したゲームなのかもしれないな。それはそれとしてカミュとベロニカとシルビアとロウとマルティナとグレイグとセーニャが可愛いですね。はなすシステムがめちゃくちゃ細かく設定されているということに中盤から気が付いた。神。あと勇者が実は結構好きかもしれない。メタな設定ではなく本当に無口なの可愛くないか。 Slay
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誰かのオススメ
オモコロが始めたコロモーという質問サイトで「5巻以内で完結する面白いマンガを教えて」という質問をした。ありがたいことにたくさん回答が集まっていて、しばらくはDMMのダンボールの隙間に詰める漫画には困らない予定だ。 https://coromoo.com/question/274 この質問に限らず、人の深く考えていないオススメを聞くのが最近ちょっと好きだ。先日は友人にオススメのレシピ本を尋ねて全部カートに放り込んだ。今日届いたので活用した。 思うに、この行為に潜む面白さは2つの要因からなっている。一つめは単純に、偶然性が追加されるからだ。amazonもpixivもレコメンドに溢れツイッターには己が選抜した優秀なアカウントによる傷つきにくい情報のみが流れてくる社会の中に生きている割と保守的な人間なので、偶然性の獲得というのはそれだけでちょっと価値があることだ。先の質問にも「読んでいたらごめんなさい」等、わざわざ書いてくれた人がいるが、そんなことは気にせんでいい。いちいちそんなことに怒るようなやつはこんなサイト使うな。もっと信用できる人間にコンサル料払って真剣に聞け。偶然通りかかったインターネットユーザーが何気なしに回答を放り込むからいいのだ。 この「5巻以内で完結する漫画」という質問は結構ありふれていて、どれくらいありふれているかというとサイトの質問例に載っているくらいだ(あとで気がついてやや恥ずかしくなったが、実際問題そこに回答はなくて私はそれを欲してるんだから別にいいだろと開き直った)。そもそも検索すれば同じような枕詞で特集しているページは山程出てくるし、サイト内でも私より後にほぼ同じ質問をした人がいる。質問サイトにおいては「質問する前にggrks」といった指導が入ることもよくあるが、ググってしまった時点で偶然性は消失し、偶然性の主役になれるのは質問主たる人間しかいないのだ。だからこんなありふれた質問を人の目も気にせず最初にできた私はラッキーだった。β版から参加した甲斐があったな(フォローしておくと、恐らくコロモーは理念としてこういった質問の重複を許している。君も今から君の偶然性を獲得しよう!)。 もう一つは、人のオススメを摂取するという行為そのものに情報量の増加があるからだ。先の漫画の話で例えるなら、仮に漫画自体が面白くなくても、「こんな漫画が好きな人がいてオモコロの兄弟サイトで私は偶然それを知って読んだんだな~」という体験そのものが面白い。 ただしこれは、友人間における「この人がこれを好きなことそのものが面白い」というコミュニケーションの手段と根は同じである可能性があり、そちらの方向に行くならば受け手としても全く別の覚悟が必要だから気をつけなければならない。その手前の段階として、自分の遭遇するものに、誰か(誰でもいい)が推薦したという情報が付加されることに面白さがある。それがコンテンツの面白さの最低ラインを保証してくれる。わかってくれるか。 上記を「教えて!」という時にもコツがあると思っており、それは自分の中の譲れない条件を先出しして、なるたけオススメされた中からの採用率を上げることだ。究極は全部摂取するのが望ましいと思ってるし、漫画に関してはそうするつもりだ(多すぎも少なすぎもしない回答数で収まってくれてよかった)。これは「せっかく労を取ってオススメしてくれたんだからちゃんと全部に応えなきゃ!」という回答者に向けた優しさではなく、挙がった候補の中からまた自分で選択してしまったらせっかくのランダム性も情報量も半減してしまうからだ。 ちなみにこの話の逆は自分には全く当てはまらないので私は人に物を勧めるのが苦手です。誰にでもいいと思える作品なんてないし自分が得られる情報の範囲でめちゃくちゃ相手の好みや状況を鑑みてしまうし相手にはまらなくて自分の評価が下がるのも怖いし向こうの推しカプがこっちの地雷になったら戦いは避けられないし未完の物語に対して責任なんて持てないので。つまり自分では上の通りコミュニケーションではないオススメがあると言っておきながら自分からする際にはコミュニケーションの気配を感じて過剰に怯えてしまうということだろうな。あと私が好きなものが流行ってほしいみたいな感覚もあんまりない。 「己の欲せざるところ、他に施すことなかれ」って価値観の多様性を無視した詭弁だと思いません?皆は私のようなことを考えないで気軽にオススメの漫画(5巻までとは言わないが長すぎず、完結済みのもので頼む)や映画(原作なし、かつアニメーション以外で)をオススメしてくれよな。感謝するだけでなんの返礼もできませんが高確率で読んだり見たりはするので。 ↓↓↓ https://clap.fc2.com/page/shortest109?url=http://shortest109.blog2.fc2.com/
「悪夢を穿つ狩人の矢」常設化にそえて
2019年1月。初めてこのイベントシナリオを読んだ時の印象はよく覚えている。「イベントシナリオはこれくらいのゲームか、了解」だ。私はまだメギドを始めたばかりで、最初に体験したイベントがこの「悪夢を穿つ狩人の矢」だった。3章を抜けて本編のシナリオは加速度的に面白くなっていく一方だっただけに、凡庸なイベントシナリオの落差はすごかった。それでもがっかりはしなかった。ソシャゲってこういうことよくあるよな、と思った。それだけだ(この認識は三ヶ月後の「悪魔の勝負師と幻の酒」で早くも覆されることになるが)。 それでも、このイベントはシナリオ以外の思い出も伴ってよく思い出せる。まだメギドが少なかった我がアジトではスナイパーが加入するだけでも嬉しかった。しかし点穴の使い方が全くわからず、ベリアルの加入までレラジェには不当な評価を与えて悪いことをした。コレチケが欲しくても逢魔に20000ダメージ与える方法がちっともわからず、懸命にwikiを読んでしらぬいとかいうオーブで滞水とかいう地形は発生させられると学んだ。そうやって小学生が商店街で福引にかける情熱さながらにもぎ取った5枚のコレチケではアムドゥスキアスちゃんが来てくれて、それからの攻略にずっと力を貸してくれた。 十ヶ月の後、戦力も充実した我がアジトに「悪夢を穿つ狩人の矢」は帰ってきた。大幅改稿を引っ下げて。開けてみていきなり驚いたのはコルソンとバフォメットの登場だった。私の最初の指名チケット候補の1位と2位が揃い踏みである。二人に加えてネルガルまでもが当時既にアジトには顔を揃えていて、否が応でも期待は高まった。 改稿後のイベントシナリオは素晴らしいものだった。メフィストイベントやベリトイベントのような派手さはないけれど、複数のキャラクターと複数の要素が少しずつ積み重ねていってにじみ出る面白さがこのシナリオにはある。 私としてはなんといってもコルソンだ。ガープとの間で随所で見せる戦友としての信頼関係。フォトンを「おやつ」と呼ぶ彼女。ぬいぐるみをきちんとコルソンの「お友達」として扱ってくれるソロモン。少しずつさりげなく行われるシャックスとの和解。四冥王が揃ってしまうとどうしても霞んでしまう、コルソン自身の個性がメンバーとのやり取りの全てから見えて嬉しかった。 主役たるレラジェの描写の素晴らしさこそ語り尽くせない。狩人としての頼もしい姿。テキスト全体からすれば本当に僅かな量の描写からでも伺い知れるナスノの愛情。一晩ソロモンと二人きりで過ごした後の朝の風景が少しラブコメ風味の味付けになっていたところも可愛らしい。シナリオの進行と連携して緊迫感を盛り上げる超強力なイベント効果は、初回プレイ時にも大いに頼らせてもらった。 ネルガル。表層だけ見ると典型的なSFの悪者のような目的を抱えているにも関わらず、メギドの世界感に沿った動機付け。大幅に加筆された彼女のバックグラウンドは既に存在していたキャラクターストーリーやアジトの彼女の印象と相違ないところも嬉しかった。 泣く立場を弁えるバフォメット。山の探索と穴掘りでしばしば腰が痛むと愚痴るブネ。なにげに大活躍するシャックス。そしてその全員が様々な組み合わせで交わすやり取り。とにかくこのシナリオでは登場人物が生き生きとしている。初めてのイベントがこんなにも文句のつけようもない改稿をされて帰ってきた。昔のシナリオだから仕方がないと放っておかない態度が嬉しかった。 しかしこのイベントシナリオは改稿の良し悪しを考えるきっかけをくれたことにもなった。具体的にはアンドラス(当時も今も我がアジトにはいない)の描写が改稿でいくつか修正され、悲しんだプレイヤーがいることを知っている。その時にソシャゲのシナリオの儚さみたいなものにも思いを馳せた。しかしこれはタイムスパンの問題であって、コンシューマーゲームも出版された本も、本来改稿でその人の望まない方向に変化する可能性からは逃れられない。その改稿によって公式の術では自分の好きだったテキストを読み返せなくなってしまった、他のプレイヤーは新しい情報こそ正しいと思いこむ、そういった付随した悲劇も起こりうる。けれども、本来不変の「作品」というのは幻想で、個人がテクストを読む瞬間瞬間に発生する経験こそ得難いものであるはずだ。だから新しいシナリオが出たからと言って他人が大事にする経験をウソロモン呼ばわりしてはいけないのである(もちろんメギド72コミュニティらしいジョークであることは理解しているが)。 先日、世界中に熱烈なインパクトを残したポケモンのMVを見て、ポケモンに夢中になっていたときの現実の思い出までなんとなくいろいろ思い出して懐かしくなってしまった。ポケモンど真ん中である私と同世代の人達には似た感情を抱いた人も多いんじゃないだろうか。メギド72における「悪夢を穿つ狩人の矢」も同じである。好きなイベントシナリオはたくさんあるし、ポケモンと違って常設化まではたった二年弱の出来事だった。それでも、メギド72で一番印象に残っているイベントは、この「悪夢を穿つ狩人の矢」を挙げられる。 常設化、おめでとうございます。
オタク年表
Bio くもらせたい♡くもりをおちょくりたい♡刷り込み♡コンプレックス天才少年♡箱庭♡ごはん♡ごかん♡世界を壊す神様の仔♡生物に例えたら何でも萌えるタイプの人♡同人字書♡テクスト論♡終わりに敏感肌♡末期紫陽花組♡マリッジブルー木曾改二♡城坂論語三昧真火担♡ラブコメ動物Re:vale♡頭やわらかタンヤオチートイツ体操 オタク年表 2003 通っていた塾の国語教師が今思えばオタクで、その人が塾に持ってくる本を片っ端から読んでいた。トットちゃんから涼宮ハルヒまで。その影響で初めて自分の意志で本を選んで買った。角川スニーカー文庫バイトでウィザード流れよ光と魔女は言った。原田たけひとの絵に一目惚れしたのだと思う。ファンクラブ掲示板に書き込んだ覚えがある。メールアドレスも好きなキャラだった。一条京介君。 2005 シュウハルが好きでポケモンの掲示板とチャットに入り浸っていた。2月に「まぼろし島のソーナノ!」を見て感動した。普段ポケモンの時間(木曜19時)はニュースの時間だったが偶然親が不在だったからリアルタイムで見れたのだ。その日の夕飯はファーストキッチンだった。 友達が貸してくれてBLEACHに出会う。BLEACHアニメがきっかけでわずかながら音楽を聞くようになる。人生で一番音楽に近かった。 2006 即売会に行き始めた。コミケもこの時期に経験した覚えがある。当時の日雛の同人誌今も大事に持っている。 2007 ぷよぷよフィーバーチュー!と出会った。個人HPとブログを周回していた。 2009 ぷよ主義に行けなくてめちゃくちゃ悲しかった。私生活の事情があったのでもともと行けない予定だったのだが、当日ネットを眺めていたら紫陽花組の本があって、今から行こうと戸締まりまでしたけれど体調がすごく悪くて諦めたのを覚えている。 2010 9月にブログができた。ここのもと。ツイッターを始めた。ここではない。ぷよ主義2に一般参加。初めてのオフ会。 2011 6月にもオフ会をした覚えがある。9月ぷよ主義3「あじさい!!・満ちるもの」「××エンドからの逃亡」初めての本を作るにあたってコミスタを買った。でもペン入れはうまくできずに付けペンで描いた。付けペンも慣れなかったので全然上手く描けなかった。絵に描いたような同人誌デビューエピソード。 2012 コミスタProがクリスタEXにアップデートされてラッキーだった。現在まで愛用しているが知らない機能ばかり。10月ぷよ主義4「ウタカタ」「ふれきしぶる-FM62.0」合同誌。生涯もう出せないかもしれないから出せてよかった。ルヴォワールシリーズに出会ってここから国内本格ミステリを読み始めた。11月にオリジナルの漫画を7ページ描いた。割と気にいっている。 2013 3月にツイッターアカウントを消した。6月まで「海が恋う街」を書いていた。十万字。半年くらい書いていた気がする。そのくせ16日に間に合わなかった。11月にブログを閉鎖して一回死んだ。 2014 8月に閲覧と壁打ち用と称して今のツイッターアカウントが立てられた。案外復活が早い。でもこの半年は本当に絵を数枚描いた以外創作活動は何もしていなかった。この時からコテハンがなくなる。12月にpixivの投稿が見られ、生き返った。それ以前のは消した。 2015 1月CC100「遠雷と追憶」「4Ψ」1月に艦これを始めた。嫁の概念を獲得。9月「ヴァケーション イン ザ サナトリウム」「KARIMONOKYOSO!」皿に絵を描いた。 2016 4月ぷよステ!「青いアズマヤ」同人人生で一番はけなかった。世界で3人くらいしか持っている人いないと思う。気に入っている。7月にアイドリッシュセブンを始めた。この時期ちょっと凹んでいて他のソシャゲも始めたが一つも生き残らなかった。9月奇想館2「アルジャーノンゲーム」pixivで小説用アカウントの高橋鋭輔君がひっそりと始動。文字書きにコンプレックス(複雑な感情の意)をもっている。 2017 3月TOS5「サンクチュアリの足音」今までの本で一番長くて一番辛かった。 2018 5月にアルジャーノンゲームの再録をしたら原作者にリツイートとコメントをされた。はっきり言ってめちゃくちゃ嬉しかった。7月奇想館大阪「Life is a game!」元気いっぱいだったのでスペースに幟を立てた。12月に「Re:valeラブコメ論」を上梓してブログが再開。以後、随筆論説日記等を掲載する便利な場として扱われる。 2019 1月にメギド72を始めた。10月レンタルスペースでプライベート即売会(自称)を開催。オタクが人生で一回はやりたいやつができたのでよかった。 2020 2月TOS19「ボクの先輩」「荒野の作曲家」特定の二人の外の人間に焦点を当てた本を出すことができ、成長を感じた。高橋君本を出す。当日までスペNoが公開されないというめちゃくちゃな頒布をやった。広い世界から探しに来てくれる人がいて感動した。憧れの文庫サイズの小説本が出せてよかった。6月、初めての自作キーボードを買う。2020年遊んだゲーム 2021
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起床。 玄関の郵便受けを確認するも新聞は届いておらず、一階まで取りに行くもこちらにもなく、なんでいなんでい随分いい加減な商売だなと思って部屋の前まで戻ったら郵便受けに直角に刺さっていた。郵便受けの中まで落ちなかったから室内からでは気が付かなかったのだ。これってミステリーになりませんか? いい加減な商売だなと思っていたが購読継続意思を確認する電話はキッチリかかってきていた。まだ読んでもないのに。 今から差し障りのないことを書くけど新聞ってサイズが大きすぎて読みにくくないか?もう少しなんとかならないの? 昼にパスタが食べたくなりカニ缶とトマトのパスタを作ったが、食べている途中で気分が悪くなってきた。たまに自分は料理が下手なのではないかと思うことがあるが、料理ではなく物を食べるのが下手なのかもしれない。最近食事してても途中で食事自体に飽きちゃう。 台所下片付けの着想に着手し、とにもかくにも床面積が足りてないから内寸を測って100均に行って棚を買うことだなと結論づけた。結論づけたので今日はここまで。 100均を使うルール。複雑なもの(例:電子機器)は買わない。 今日は仕事でもブログを書いた。どんだけブログが好きなんだ。 日記はやめ時を逃すと止まれないので多分今日で終わり。 戦績 書いた日:27/30(↓) 27330/(1000*30)=0.91(未達) 言及した本:11 総評 綺麗に休んだ日の分、目標に届いてないな。算術平均は外れ値に弱いから。 カレーや突っ張り棒等、着飾りようのない日々のしたことがある一方、日々の出来事をきっかけに思ったことを書けた日も何日かありその点はとてもよかった。でも単純に文章を書く以上に構成に気をやらないといけないので、随分頭を使うことがわかった。ツイッターのようにはいかない。やっぱり寝る前に書くのは駄目だ。夜にしたってもう少し早めに書け。 誤字脱字衍字の多さはどうしようもなかった。書けば書くほど増殖する。助けてくれい。
起床。拍手ありがとうございます(これは定期的に言わないと拍手が虚空に向かっていると誤解されるのではないかという恐れを抱いている)。 「文学のトリセツ」 読んだ読んだ。初心者にはよい本だった。何もわからないんだからねこっちは。カタカナが入る度に言葉の意味を説明してほしいんだから。 評論ではよく出てくるなぁという単語(二項対立……脱構築……マルクス主義……)がどんどん説明してもらえてありがたかった。でも最後まである思想を特別視して批評に援用する正当性みたいなものがよくわからなかった。本文中でも指摘されているように現代においては様々な観点で反論されているエディプスコンプレックスのような概念を援用する意味ってあるのか?自然科学的に正解かどうかは大事じゃないのかな。そもそもある作品を批評しようとする時に既存の思想を援用しなきゃいけない理由がよくわからなかった。説明するためのショートカットみたいなもん?レビューを引用するみたいなものか?二項対立、脱構築辺りはわかりやすかったけど、どんどん複雑な主義主張思想になるに従って何でそれを選んだ……?という感が出てきた。テクスト論の立場を維持したまま援用を突き詰めていくと、「そのテクストはお前の主張をするための道具ではないのですが?」となってしまわないんだろうか。それともそれでもいいのかな……。 美術解剖学のどでかい本も届いたのでちょっと読んだ。7370円。フルカラーで600ページ以上もあるから妥当だな。同人趣味をしていると、高価なフルカラーや分厚い本は単純に原価が高いだろうから高値でもしょうがないなと思えてくる。 「筋肉は誰が何といっても美術解剖学の華でもありますからね。」という文章が当然のように出てきてちょっと笑った。そうなんだ。
起床。 Amazonを見ていたらオススメ作品+あなただけのタイムセールコンボに嵌められてあの胃を3巻以降買ってないことを思い出してまんまと買った。食欲と性欲の混同って本当にいいテーマですよね……。ちょっとくらいならいいですよとか言って舐めてかかってたら半身持っていかれて反省してくれ。早く。 出雲編冒頭は巨女!ぬいぐるみ化!幼女化!性癖やりたい放題!といった感がすごくて笑った。巨女出す必要あった?でもそういう遊びの部分が絶対全体にいい影響を与えているんだろうな。ラブコメって無駄の文化なのかもしれない。実際巨女はあった方がいい。間違いない。 満腹先輩の喋り方が典型的おなごでないところがかわいい。トーンがずっとガサガサしていていいなぁと思ったがレイヤー分けが面倒そうなので私には無理だ。作者さんが使っているというペンが配布されていたのでダウンロードしてみたが、こっちもガサガサになるよう気を遣ってるんだなということがよくよくわかった。今更ながら、プロフェッショナルと同じソフトを使っていて同じペンをボタン一つで試せるってちょっと面白いな。ペンの配布から上がる知名度があってもいいのではないか。 僕ヤバも更新日だったことを思い出して読んだ。ラブコメ・デイだ。一応ユキオレの完結をもってラブコメの研究は決着をみたが、最近ラブロマンスを読む機会が何度かあり全然趣味でないことがわかるにつれ、ラブコメの再評価が行われている(主語:全て私)。 僕ヤバは犬回(ラブコメにおいて犬が出てくる回)だったので興味深く読んだが、キャラクターの家族構成と同じ様に、動物と共に生きているという設定がキャラクターに与える影響って中々大きいと思う。 最近そのように思い至ったのは、キャラクターより実際の人間相手が先だった。私の幼少期は、犬猫の類と触れ合う機会はほとんどなかったのだが(アマガエルのオタマジャクシやアメリカザリガニとならあった)、ツイッターには頻繁に犬猫の話題が流れてくる。私はそういった時、犬猫の写真にパンダの写真と同じ温度で「可愛い」と思うことはできても、「辛い時に寄り添ってくれた」という思い出には、共感は勿論、理解を示すこともできない。事実を疑っているというと流石に言い過ぎだが、全然質感をもって想像できない。私は幼少期を脱した後、鳥類、両生類、昆虫、等、平均的な日本人よりは様々な動物および植物に触れ合う機会があったのだが(哺乳類に触れ合う機会があまりなかったのは彼らが夜行性で野生下では珍しい分類群だからだ)、そういう体験をもってしても犬猫の触れ合いが与える体験の代替えにはならなかった。 先日友人と話していて、実際に赤子をもった経験のある創作者にしか書けない文章があるかもしれない、という話題になったが、犬猫との触れ合いもそれに近い代替不可能性をもっている気がする。 ……というような話をRe:valeで書きたかったのだが、モモが幼少期に犬と共に暮らしていないという事実(メルドリ)を覆す強い幻想をどうしても築けなかったのでここに供養した。翻って犬や猫とともに暮らすような経験をキャラクターに与えようとした時、それは決して「さり気ないもの」にはならないのではないか。例えが悪いが、性的マイノリティが物語に登場した時に現代の読者がそこに何らかの意図を感じてしまうように、「パパとママが犬好きだから飼ってて、面倒だけど頼まれてたまに散歩に連れて行ってるんだよね……」と言われて登場するような主人公と相互作用しない犬なら、そこに登場しなくてもいいと感じるはずだ(というよりは勿論、登場しないはずだ)。それは二次創作でも同様で、原作にその根拠がないのだとしたら、幻の動物を召喚する作業は結構大掛かりな足場を必要とするものになるだろう。 ちなみに同様に幼少期のふれあいがその後の価値観に大きな影響を与えると予想されるものにはソファがあり、この仮説は犬-ソファ仮説と呼ばれている。
起床。 昨日は本を読んでいて夜更しをしたので寝坊した。正当な寝坊と言える。 素直で真面目な人間なので「専門知は~」を読んで新聞の試読を申し込んだ。今日から届くと思っていたが勘違いで、週末にならないと始まらないと知ってしょんぼりした。試読は様々な新聞社が行っているので今後新聞紙が必要になったら試読を頼めばよいという知見を得た。ただし届くのには一週間程かかる。 本申込みになったら一ヶ月で4000円するらしい。サブスクリプションがひしめく現代社会の中で中々強気な値段設定だ。ネット購読が格安なところを見ると純粋な印刷費なんだろうか。紙になったら多少は習慣的に読むようになると思うが、そのためと新聞紙の獲得の対価が4000円か……。 日中全くやる気が出なかったが夕方からエンジンがかかり始める、が、今日は仕事を切り上げてカレーを作らなければならない。 なすのブラックカレー。うまい……多分……。味の良し悪しの判定さえ自信がなくなってきた。この材料でまずくなることあるのか?しかし味見段階ではやっぱり薄めの味付けになったのではちみつやらソースやら足して正解だった気がする。 カレーを作り続けているとは言っても味は毎回変わるので飽きてはいない。いや、多少飽きているのかもれしないがメニューを考える負担がなくなるメリットがそれを大きく上回る。やはり今後カレー以外を作るにおいても必要なのはドリルだ。