起床。
玄関の郵便受けを確認するも新聞は届いておらず、一階まで取りに行くもこちらにもなく、なんでいなんでい随分いい加減な商売だなと思って部屋の前まで戻ったら郵便受けに直角に刺さっていた。郵便受けの中まで落ちなかったから室内からでは気が付かなかったのだ。これってミステリーになりませんか?
いい加減な商売だなと思っていたが購読継続意思を確認する電話はキッチリかかってきていた。まだ読んでもないのに。
今から差し障りのないことを書くけど新聞ってサイズが大きすぎて読みにくくないか?もう少しなんとかならないの?
昼にパスタが食べたくなりカニ缶とトマトのパスタを作ったが、食べている途中で気分が悪くなってきた。たまに自分は料理が下手なのではないかと思うことがあるが、料理ではなく物を食べるのが下手なのかもしれない。最近食事してても途中で食事自体に飽きちゃう。
台所下片付けの着想に着手し、とにもかくにも床面積が足りてないから内寸を測って100均に行って棚を買うことだなと結論づけた。結論づけたので今日はここまで。
100均を使うルール。複雑なもの(例:電子機器)は買わない。
今日は仕事でもブログを書いた。どんだけブログが好きなんだ。

日記はやめ時を逃すと止まれないので多分今日で終わり。

戦績
書いた日:27/30(↓)
27330/(1000*30)=0.91(未達)
言及した本:11
総評
綺麗に休んだ日の分、目標に届いてないな。算術平均は外れ値に弱いから。
カレーや突っ張り棒等、着飾りようのない日々のしたことがある一方、日々の出来事をきっかけに思ったことを書けた日も何日かありその点はとてもよかった。でも単純に文章を書く以上に構成に気をやらないといけないので、随分頭を使うことがわかった。ツイッターのようにはいかない。やっぱり寝る前に書くのは駄目だ。夜にしたってもう少し早めに書け。
誤字脱字衍字の多さはどうしようもなかった。書けば書くほど増殖する。助けてくれい。

起床。拍手ありがとうございます(これは定期的に言わないと拍手が虚空に向かっていると誤解されるのではないかという恐れを抱いている)。

「文学のトリセツ」
読んだ読んだ。初心者にはよい本だった。何もわからないんだからねこっちは。カタカナが入る度に言葉の意味を説明してほしいんだから。
評論ではよく出てくるなぁという単語(二項対立……脱構築……マルクス主義……)がどんどん説明してもらえてありがたかった。でも最後まである思想を特別視して批評に援用する正当性みたいなものがよくわからなかった。本文中でも指摘されているように現代においては様々な観点で反論されているエディプスコンプレックスのような概念を援用する意味ってあるのか?自然科学的に正解かどうかは大事じゃないのかな。そもそもある作品を批評しようとする時に既存の思想を援用しなきゃいけない理由がよくわからなかった。説明するためのショートカットみたいなもん?レビューを引用するみたいなものか?二項対立、脱構築辺りはわかりやすかったけど、どんどん複雑な主義主張思想になるに従って何でそれを選んだ……?という感が出てきた。テクスト論の立場を維持したまま援用を突き詰めていくと、「そのテクストはお前の主張をするための道具ではないのですが?」となってしまわないんだろうか。それともそれでもいいのかな……。
美術解剖学のどでかい本も届いたのでちょっと読んだ。7370円。フルカラーで600ページ以上もあるから妥当だな。同人趣味をしていると、高価なフルカラーや分厚い本は単純に原価が高いだろうから高値でもしょうがないなと思えてくる。
「筋肉は誰が何といっても美術解剖学の華でもありますからね。」という文章が当然のように出てきてちょっと笑った。そうなんだ。

起床。

Amazonを見ていたらオススメ作品+あなただけのタイムセールコンボに嵌められてあの胃を3巻以降買ってないことを思い出してまんまと買った。食欲と性欲の混同って本当にいいテーマですよね……。ちょっとくらいならいいですよとか言って舐めてかかってたら半身持っていかれて反省してくれ。早く。
出雲編冒頭は巨女!ぬいぐるみ化!幼女化!性癖やりたい放題!といった感がすごくて笑った。巨女出す必要あった?でもそういう遊びの部分が絶対全体にいい影響を与えているんだろうな。ラブコメって無駄の文化なのかもしれない。実際巨女はあった方がいい。間違いない。
満腹先輩の喋り方が典型的おなごでないところがかわいい。トーンがずっとガサガサしていていいなぁと思ったがレイヤー分けが面倒そうなので私には無理だ。作者さんが使っているというペンが配布されていたのでダウンロードしてみたが、こっちもガサガサになるよう気を遣ってるんだなということがよくよくわかった。今更ながら、プロフェッショナルと同じソフトを使っていて同じペンをボタン一つで試せるってちょっと面白いな。ペンの配布から上がる知名度があってもいいのではないか。
僕ヤバも更新日だったことを思い出して読んだ。ラブコメ・デイだ。一応ユキオレの完結をもってラブコメの研究は決着をみたが、最近ラブロマンスを読む機会が何度かあり全然趣味でないことがわかるにつれ、ラブコメの再評価が行われている(主語:全て私)。
僕ヤバは犬回(ラブコメにおいて犬が出てくる回)だったので興味深く読んだが、キャラクターの家族構成と同じ様に、動物と共に生きているという設定がキャラクターに与える影響って中々大きいと思う。
最近そのように思い至ったのは、キャラクターより実際の人間相手が先だった。私の幼少期は、犬猫の類と触れ合う機会はほとんどなかったのだが(アマガエルのオタマジャクシやアメリカザリガニとならあった)、ツイッターには頻繁に犬猫の話題が流れてくる。私はそういった時、犬猫の写真にパンダの写真と同じ温度で「可愛い」と思うことはできても、「辛い時に寄り添ってくれた」という思い出には、共感は勿論、理解を示すこともできない。事実を疑っているというと流石に言い過ぎだが、全然質感をもって想像できない。私は幼少期を脱した後、鳥類、両生類、昆虫、等、平均的な日本人よりは様々な動物および植物に触れ合う機会があったのだが(哺乳類に触れ合う機会があまりなかったのは彼らが夜行性で野生下では珍しい分類群だからだ)、そういう体験をもってしても犬猫の触れ合いが与える体験の代替えにはならなかった。
先日友人と話していて、実際に赤子をもった経験のある創作者にしか書けない文章があるかもしれない、という話題になったが、犬猫との触れ合いもそれに近い代替不可能性をもっている気がする。
……というような話をRe:valeで書きたかったのだが、モモが幼少期に犬と共に暮らしていないという事実(メルドリ)を覆す強い幻想をどうしても築けなかったのでここに供養した。翻って犬や猫とともに暮らすような経験をキャラクターに与えようとした時、それは決して「さり気ないもの」にはならないのではないか。例えが悪いが、性的マイノリティが物語に登場した時に現代の読者がそこに何らかの意図を感じてしまうように、「パパとママが犬好きだから飼ってて、面倒だけど頼まれてたまに散歩に連れて行ってるんだよね……」と言われて登場するような主人公と相互作用しない犬なら、そこに登場しなくてもいいと感じるはずだ(というよりは勿論、登場しないはずだ)。それは二次創作でも同様で、原作にその根拠がないのだとしたら、幻の動物を召喚する作業は結構大掛かりな足場を必要とするものになるだろう。
ちなみに同様に幼少期のふれあいがその後の価値観に大きな影響を与えると予想されるものにはソファがあり、この仮説は犬-ソファ仮説と呼ばれている。

起床。

昨日は本を読んでいて夜更しをしたので寝坊した。正当な寝坊と言える。
素直で真面目な人間なので「専門知は~」を読んで新聞の試読を申し込んだ。今日から届くと思っていたが勘違いで、週末にならないと始まらないと知ってしょんぼりした。試読は様々な新聞社が行っているので今後新聞紙が必要になったら試読を頼めばよいという知見を得た。ただし届くのには一週間程かかる。
本申込みになったら一ヶ月で4000円するらしい。サブスクリプションがひしめく現代社会の中で中々強気な値段設定だ。ネット購読が格安なところを見ると純粋な印刷費なんだろうか。紙になったら多少は習慣的に読むようになると思うが、そのためと新聞紙の獲得の対価が4000円か……。
日中全くやる気が出なかったが夕方からエンジンがかかり始める、が、今日は仕事を切り上げてカレーを作らなければならない。
なすのブラックカレー。うまい……多分……。味の良し悪しの判定さえ自信がなくなってきた。この材料でまずくなることあるのか?しかし味見段階ではやっぱり薄めの味付けになったのではちみつやらソースやら足して正解だった気がする。
カレーを作り続けているとは言っても味は毎回変わるので飽きてはいない。いや、多少飽きているのかもれしないがメニューを考える負担がなくなるメリットがそれを大きく上回る。やはり今後カレー以外を作るにおいても必要なのはドリルだ。

土曜。

「専門知は、もういらないのか」読み終えた。
既知の現状確認の本だったのでとにかく渋い顔になるしかない内容が翻訳独特の文体で延々と……。そんな気はしていたがここに書ける感想は全然ない……。
ここに書いている感想はブクログの記録のうち問題なさそうな数段楽ををコピーペーストした後に伝わらないであろう表現を加筆修正するという面倒な手続きを踏んでいるのだが、本の感想を人とのコミュニケーションの手段に使おうとするならばそれなりのテーマや書き方が必要だということが確認できたので一応得るところもあった。このネタばらしをしたのでそろそろ今回のタームの日記も終わりである。
かつては友達と漫画を貸し借りするのに感想を綴った手紙(三角の行頭文字で箇条書されている)を同封する中学生だったものだが、あのような文章は今の自分に書けるんだろうか。そもそも感想を表に出してみようと思ったのも、久しぶりにその友達から漫画を貸してもらったのがきっかけだった。どれ一つ懐かしいことでもしてみようかと借りた本の感想をブクログから集めて紙に印刷して読み返した後、わざわざ私のために本を選び、重い紙の束を家まで持ってきてくれた人に対してこの文章の仕打ちはなんだと呆然としたのだった。
本を媒体として人に向けた文章を書くという点では、同人作品の作者に宛てたの感想文に近いと思う。それを純粋な本の感想といっていいかというと少し違うという話(作者との関係上それが許される場合も当然あるが)。
夜から妹君が酒を飲みにやって来た。
違った。今メールを読み返したら酒を用意したのは私であって向こうは話を聞けとしか言ってなかった。最近人から飲酒がてら人生相談をされることが多いが、私に相談しても得るものは何もないぞ。特に昨日は恋愛に関わる話だったので三秒で匙を投げた。話を聞くのは好きだが相談されても困る。
彼女が酒の後はアイスが食べたいと言うので特段食べたくもないアイスを買いに行った。たくさん食べる必要がないのでピノにしようかと思ったが、食べたら食べたで少し口寂しくなるかと思ってモナ王の中身みたいなアイスを買ったらチョコが濃厚すぎて疲れた。欲張ったら駄目だな。
起床。日曜。
何故か一日中うとうとしていた。
カレーがなくなったのでカレーを作ろうと思っていたがちょっと元気がなくなって断念した。無念。
「2010年代SF傑作選」
800字*400ページ/10作と仮定すると一作32000字か。SFの短編って一つのアイディアで書ききるからこその、キャラクターがでしゃばらない味があると思う。ミステリも近いかもしれないけど。田中啓文の作品はまさにミステリ短編らしさもあった。
前半は傑作選らしく外れないなと思って読んでいたんだけど、一部作品は何が評価されているのかわからなくて残念(悔しい)だった。SFらしい観点から評価されていて私にはよくわからないということなのかもしれない。そういう点では伴名練 の解説が各作品に対してもう少しあってくれたら個人的には嬉しかった。
ブクログといえば、先程の「専門知は、もういらないのか」のような論説のようなジャンルの本の感想もネタバレ扱いとして感想を隠しているユーザーがいてちょっと面白い。一般的には例えばミステリの最大のネタバレは犯人とトリックであり、それ以外のネタバレは比較的許されると思われがちだ。しかしそのような考えは主観であって、犯人も殺人現場も、ミステリも論説も、ネタバレという観点において平等のはずだと、このようなユーザー達は考えている、のかもしれない。