4月はよく物を買った。本棚とipadのスタンド(×2)と左手用デバイスとスタイラスペンとポスター貼る専用の両面テープ、あとザル。 ipadで絵を描くと肩が痛くなるなとは思っていたのだ。一年くらいずっと。 でもそれを物によって解決するという考えがなかった。調べたら先人がいろいろ教えてくれた。ダイソーに何度も足を運ぶのが面倒だったので気になったのを2種類買ってきた。贅沢な暮らしだ。両方よかったので片方は職場に持っていった。 スタイラスペンもapple pencilがあったので普段は不便を感じなかったが、持ってくるのを忘れた時に安いのでいいから置いてあるといいなと気がついた(またも贅沢な暮らし)。一年たって。ようやく。 ザルにいたってははっきり覚えているが引っ越しの時かさばるから捨てた。なんで?ザルがあるとインスタントラーメンがめっちゃおいしく作れます。 あと空いた本棚が家にあると最強の気持ちになれるから、もっと早く買うべきだった。 気がついたのだが一人暮らしも長いのに衣食住の住が下手だ!物を買うと生活が便利になる!


六つの土下座像のこと

またぎりぎりになっちゃった……と思ったけど最新話公開前に前話見直すのサイクルとして悪くないからまぁいいか……。締め切り前にならないとエンジンかからないタイプの人間なんだよな……。 冒頭から大河の狂人っぷりが見えてて最高!!! 二話の読者の「恐いわ!」って感想をを鳥辺野有が代弁してくれるところがすごくいい。俺達の視点人物、それが挟まれる男鳥辺野有だ。ところで回想はイオちゃんは出番なしなんですかね……。 語り部を鳥辺野有に移したことで、冒険までは比較的常識人で穏当な助手兼語り部に見えていた大河が、外から見ると狂人として描かれており改めて探偵と助手の関係性が外部から描写されるのが好きだ……。これ前回も言ったな……。 鳥辺野有から見た大河、すげーーー腹黒人間になってて笑っちゃう。そこまででもないと思うよ!?鳥辺野有、信頼できない語り手だ!知ってた!!! 獅子丸、グラビア撮影の仕事なんてあるのかよ……。最高だな……二次創作の題材として……。アイドルじゃん……。 大河は獅子丸をその気にさせる天才、なるほどですね。円居挽、狙ってるだろ?そう易易と引っかからないぞ。 >オレが七や八では恥ずかしい…… 本日のカワイイ・シシマル。恥ずかしいとかいう感情天下の天親獅子丸にあったのか。性の話ですか?(易易と引っかかっている) >出会ってから初めて気の利いた提案をしたな 獅子丸のこういう言葉遊び、ジョークのつもりなんだろうけど可愛いな。烏有に通じてないけど。 論語君は拾ってくれる相手がいてよかったよね(こちらの世界にはいません)。 >『がおー、たべちゃうぞ』 大河のたの字もないのにこんな明瞭に読者を殺すのすげぇよ……強くなったよ円居挽は……なんでそんな俺達に殺意抱いてんのか知らないけど……。 探偵に推理を振られて前座として推理を口にする助手ってミステリの中では様式として必要なんだけど、キャラクタ側から見ると結構わざとらしいものになってしまい、例えば御手洗シリーズではシリーズが進むにつれ邪魔になってしまったりするんだけど(誰が邪魔と思ったかはともかくとして……)、獅子丸と大河の関係性を前提とすると「それが助手の務めだ」(「助手の務め」、意味わからんくらいエッチだ)が成立するのがすごくないですか? 大河はあくまで助手なので、いかに賢くてもルヴォワールの龍師達のように獅子丸と一緒に推理を重ねていくことはできない。それでもその行為が、プロセスが、探偵である獅子丸には必要なのがすごい。ていうか獅子丸が大河にこうして問いかけるのはそれ自体が自分の直感を大河という世界の代表を見ながら論理に翻訳する作業だからじゃないか……? そもそも助手が探偵の推理を世界に向けて翻訳するというのがミステリの形よくあるパターンと言えるので、獅子丸と大河は探偵という概念と助手という概念の愛なんだな……。そしてキングレオシリーズが単にホームズへのオマージュというだけでなく、探偵と助手という古典的ミステリの形式への讃歌なんだよな……。 おまけに天才だった獅子丸が秀才である大河の理解できるところまで降りてくる話をしており……うぅ……本格は努力@麻耶雄嵩……。作家萌えはやめましょう……。 鴨川と高野川の合流という河原町の一大トリックを犯人達のチープな動機という形で再利用されるのが、ルヴォワールファンとしては嬉しいところありますね。あくまで終わったことなので。 でもキングレオの回想は冒険の「このミステリは名探偵と助手の関係をお楽しみ頂くため邪魔にならない程度の差し障りのない推理をお楽しみいただく作品です」をもっと明快にやっていくって言ってたけど、「関係をお楽しみ頂く」にバフを盛ったのみでなく「差し障りのない推理」にもデバフ盛られてるのはちょっと残念だな……。冒険のミステリとBLのマリアージュ感が好きなので……。冒険最終話はやり過ぎたって言っていたので、その辺り踏まえての塩梅なんだろうけど……。 それでもキングレオチャンネルパート、きっとキャラクタ的(獅子丸の思考プロセスらしきものを読者にもわかる形で提示する)にもミステリパート的にも加筆が来るだろうから嬉しい。いやキングレオの回想今からでも遅くないから連載全十話にして欲しいけど、同じくらい早く単行本になって人口に膾炙して欲しい。そして界隈は全滅する。俺達では円居の殺人欲を満たしてやれなくてごめんな。早く二次創作をしろってことだよな。 今回はソファに身体を沈めがち獅子丸、飼い主がいないので元気がなく、可愛い。ていうか獅子丸、ソファ好きだな。ネコ科だからね。 ユーチューバーをよくわかっていない獅子丸も可愛い。コンシューマーゲームのオタクだもんな。その後大河にオモシロ動画をシェアしたがる獅子丸、今まで知らなかった社会にはしゃいでいるルヴォワールの論語君@あんパンを思い出して胸が痛くなりますね。論語君にも包丁の動画シェアして二人で盛り上がりなよ。二頭身番外編やってくれよ(同人でやれ、案件だ)。 大河の本を市場から買い占めたい獅子丸、独占欲のBL的婉曲表現だ。 ウーッ城坂論語がハンニバル・レクターに例えられるの最高……。クラリスはどこですか……。ハンクラがめちゃくちゃ好きです。ハンニバルのラストが最高。読み返そうかな。 見ただけで人の心臓の動悸を高鳴らせて人生を狂わせる(比喩ではない)絶世の美少年、オム・ファタールじゃん。やっぱりキングレオの論語君、ルヴォワールより美人度が上がってませんか?星5だな。 あとやっぱり論語君の烏有に向ける冷たい視線が最高。ルヴォワールでもじとっとした目で見ていたけどあれは撫子さんと仲良くしないでいただけますかの目線なので対比がよい。税所密香もそうだったのですが、こっちの論語君は徹底的に能のない人間に興味が無いからな。瓶賀流は偉大です。 木漏れ日の溢れる山奥の療養所で一心不乱に動画見てる城坂論語、美しいがすぎる。PSYCHO-PASSに出演するか国宝にするかした方がいい。いやごめん嘘。アニメ化したら絶対面倒バーサーカーオタクに変身しちゃうのでやめて。 獅子丸が今の獅子丸になたのは十代の半ば!!!いい情報だ……二次創作をしろという声がするな……。絶対に幼少期の獅子丸大河寅彦雹平四人組のじけんかいけつ!が見てぇよ……。獅子丸が大河に惚れることになったきっかけ、皆だって原作で欲しいだろ……?なぁ……。このツイートの賞味期限はあと一時間です。頑張っていきましょう。



一日寝込んでおり、どうせ動けないので積んでいた同人誌を崩した。友人に今日はがんばって同人誌をたくさん読んだよ、と報告すると、即レスでえらい!と返ってきた。 「これは一般には認められにくい努力に対する適切な褒めだ!」と思って感動した。 褒められの嬉しさは現象ではなく努力に比例すると思う。 生得的にもっている顔を褒められるより化粧した顔を褒められる方が嬉しい、みたいな。 しかしそのような褒めのツボは一見しただけではわからないことも多いので、一見さんが的確に押すのは簡単じゃない。 フォームの隣に選択式でボタンがついている(読んだ、とか、刺さった、とかいう選択肢がある)web拍手を見たことがあり、あれはいいものだなと思った。 今描いているやつは「ラブコメじゃん!」って褒めてほしいです。めっちゃ頑張った結果ラブコメになっているので。


ロッキンユー!!!眺めてて改めて思ったけど漫画で歌詞まで出して歌唱シーン描くのってやっぱりプロでも難しいもんなんだな……。歌詞をそのまま歌っている訳じゃないし読んでる側はリズムを知ってるわけじゃないし……。 いやでもわかんないな……刺さる人には刺さってるのかな……月に吠えらんねえの詩の引用部とか……。 空気全開ポエム全振りの漫画を見てるとうわっ同人っぽい!と思って嬉しくなるな。紙面ぎゅうぎゅうに詰めてしまう癖があるので。小説だとできるんだけど……恥ずかしいのかもしれない……。


何故安蘭寺くろみは安蘭寺くろみを名乗るのか?

※重要参考文献である殊能将之のブログが未見のため勘違いが含まれる可能性がありますがせっかく書いたので公開します(そのためのブログだし……。)何かお気づきの際は御指摘してください。恥ずかしいので。(3/29記) 安蘭寺くろみは円居挽の最新刊、「さよならよ、こんにちは」の主に書き下ろしパート(「京終にて」)に登場する謎の女性である。 いかにも胡散臭い名前だが、本人も登場人物達に向けて「人間相手に教える名前だよ」と嘯いている。その本名は人類には認識できない音なのだそうだ。自身の正体は「本陣半の中に潜行する存在」、と語っており、おそらく鏡花の会の信仰対象であり御堂丁や御堂辺理がその身に下ろす「はたたみ様」であると考えるのが自然だろう。 さて検索してもらえばすぐにわかるが、「安蘭寺くろみ」という名前の元ネタは殊能将之の「黒い仏」だ。「安蘭寺」は物語の舞台となる架空の寺院の名前、くろみはその寺の本尊の愛称である。 「黒い仏」に関する解説はインターネットに数多くあるので詳細は譲るが(参考1)、作品全体がクトゥルフ神話を下敷きにしているそうで、安蘭寺という名前はクトゥルフという言葉のもじり、本尊の「くろみ様」は神のニャルラトホテプの像を表しているらしい(参考2)。 円居挽は殊能将之のファンを公言しており(参考3)、麻耶雄嵩の作品を始め、たびたび固有名詞を他所から引用してくる挙動を考えれば珍しいことでもない。 つまり安蘭寺くろみが安蘭寺くろみを名乗るのは、作中で人智を超えた存在として描写されてきたはたたみ様が名乗る偽名として、敬愛する作家がニャルラトホテプにつけた固有名詞を選んだからだというわけだ。そう考えると、彼女が本名を名乗る際の「空気が漏れるような、テープを早回ししたような妙な声」という描写もそれらしく思える。 (※少し飛躍はあるが、はたたみ様自身が「黒い仏」の知識をもっており、この偽名を選んだと考えることもできる。ルヴォワール作中の中では殊能作品への言及こそないものの、麻耶作品が実在していることを仮定しなければ不自然な台詞回しが見られる) と、ここまでの論考をひっくり返すようなことを言うが何故突然、「黒い仏」なのだろう。円居の固有名詞使いが唐突なのはよくあることだが、いくらなんでも唐突過ぎはしないか? 「京終にて」の中盤には「KUROMI ANRANJI」(参考4)とローマ字表記で安蘭寺くろみの名前が登場するシーンがある。わざわざ字体を変えておどろおどろしく記されたこの一文には少し違和感がないでもない。強いて言えば、ここでローマ字表記が出てくる意義が感じられないのだ。 円居作品におけるローマ字表記といえば、丸太町ルヴォワールにおいて城坂論語が御堂達也へのメッセージとして利用した即席の暗号が挙げられる。暗号はアナグラムを利用していたため、話の流れから見ればいささか唐突に感じられるが、それこそが御堂達也がこの一文を暗号と見る手がかりになったのである。その唐突さに似た違和感が、この「KUROMI ANRANJI」にも感じられるのだ。 改めてKUROMI ANRANJIの文字を見てやると「KAMINARI」の文字が拾えることがわかる。 ルヴォワールシリーズにおいてかみなりといえば雷神の子、そして神成りの達也の象徴だ。そして何よりも安蘭寺くろみ、すなわちはたたみ様は「御神木に『落ちた』」と記されており、おそらく雷に関連する神か、雷そのものとして描かれている(今出川ルヴォワール・講談社文庫・P230)。 さてそうすると気になってくるのは残りのローマ字だが、残念ながらここからは意味のある言葉を拾えない(RNZUOの5文字)。「KAMINARI」の8文字を拾うためには「安蘭寺」と「くろみ」の両方を名前として使う必要があるため、残りを細工する余裕はなかっただろう。 つまりはたたみ様、あるいは円居挽が固有名詞として「安蘭寺くろみ」を選んだ理由はもう一つあった。はたたみ様の正体である雷を暗示させるがゆえの固有名詞だったのだ。 あとがきにて円居挽は、「さよならよ、こんにちは」には一貫して「もう失われてしまったものを書く」というテーマがあると述べている。 失われてしまった作家は、読者の記憶から消えていく。円居挽が残したかったものは、こんなところにもあるのかもしれない。 参考文献 1:http://www5a.biglobe.ne.jp/~sakatam/book/r185.html 2:http://www13.plala.or.jp/Ragnarok2/file/tyuutyuu.htm 3:https://twitter.com/search?f=tweets&vertical=default&q=from%3Avanmadoy%20%E6%AE%8A%E8%83%BD&src=typd 4:https://twitter.com/vanmadoy/status/1107976521174515713 ANRANJIの綴りはANRANZIの間違いであったと作者から言及あり


友人諸氏と立て続けに会ったが全員に「アイドリッシュセブン四部らしいけど大丈夫?」と聞かれ(まだ読んでないので知りません)半数に「円居挽全然ツイッターに浮上しないけど大丈夫?」と聞かれた(円居挽の母ではないので知りません) さよならよ、こんにちは (星海社FICTIONS)   円居 挽 アマゾン


双鴉橋のこと

将太の寿司を履修してなかったのでモチベーションが上がらず書いていなかったのですが(私は円居のそういう所どうかと思ってますよ!)(柏手は流石におかしいだろ!)キングレオの回想第2話双鴉橋の感想です。 >「いや、僕らは別に夫婦ではないので……」 おう。 向こうの世界のキングレオ、アニメ化している!?ますます広がるキングレオワールドだ……。いやでもこういう設定が出てくるのはありがたいですね。向こうの世界の本を作れと作者に言われているんだろうな。 >拗ねたような物言いだが、獅子丸が別に烏有を嫌ってはいないということはよく知っている。それでも一言ぐらい相談して欲しかったのだろう おう。相談されて即座に上機嫌になる獅子丸可愛すぎるだろ。 >お前ーっ! 金魚王国? 双鴉橋、「原作が強すぎて二次創作が無理!」というファンの声に応えた円居挽の渾身の解答っぽいのにファンを威圧してるのめちゃくちゃウケてるんですが、原作を乗っ取る悪の御曹司の圧力にも大手同人御令嬢作家の圧力にも原作は負けない!正義!!!ってやってるの結構救いですね。原作が同人を逆輸入するの、不幸しか産まないから……。 いや円居挽が伝えたかったメッセージがそれかわからんが……。寧ろ上記の二次創作が向こうの世界でも行われているっていう設定の方かな? こっちの世界の鳥辺野有がドラゴンズマンション西洞院に住んでるの予定調和すぎる。 キングレオでも大河のマンションは「メゾンドヴァンヴェール」で「Vent Vert」、「緑風荘」だもんな……。建て替えたのか?緑風荘はどう考えてもオートロックじゃないもんな。 獅子丸と有、普通に仲が良くて可愛い……と思っていたら最後でサシ飲みしない程度の仲なのかよ!となり笑う。キングレオの回想、獅子丸と大河に第三者を加えて探偵と助手の関係性を描くということをやっているわけですが、あくまで税所密香は大河の恋人であって、鳥辺野有は大河の友達であって、獅子丸が関係性を持つのは大河だけなんだよな……。 キングレオの冒険では探偵が既に理解者である助手から描写されるため、読者には獅子丸の非人道性があまり理解できないという欠点があったのですが(なぜなら非人道的探偵に慣れすぎている本格ミステリの読者は人間が読めないからです)、回想では第三者が入ることでそれが間接的に伝わるようになっており、良いですね……。私は外部から描写される箱庭が大好き! 特にサシで飲んでいる会話で、獅子丸が言葉を続けようとしたけれど沈黙を選択するシーン、獅子丸が誤解される要因そういうとこやぞ!って感じだ。 それから鳥辺野有は元気になると喋り方が烏丸での「俺達が知っている鳥辺野有」に戻るので、俺達も嬉しくなり、鳥辺野有に同情する大河の側に共感しやすく、よいキャラクター選択だ……。すると論語君の敵サイド感が強まってきますよ!きゃっきゃっ。 >大河が謝ってるんだ。お前はただ受け入れればいい うん?BLか?(敏感肌か?) >獅子丸、お前は話をややこしくしないでくれ >獅子丸!今だけは黙っててくれないか? 本日の可愛い獅子丸だ なんか今回も固有名詞ネタがいろいろあるっぽいんですがいい加減固有名詞の元ネタを探るのは諦めました。 うわっついに来たよ同人ネタ。HIMIKO★神成、達也の親戚ですか?固有名詞の元ネタには大した意味がないと思うのでスルーするんですがこういう所は意味を持ってかぶせてきている可能性もあり怖いですね……。 大河同人誌読むの!!!??公式が同人を読む構図、しんどいな!?(ミステリ界隈にはままあることです)大手文字書きが万単位で読者抱えてるって、キングレオめちゃくちゃ大手ジャンルやんけ……。ていうか大河が漫画描きと文字書きの出版事情を把握してるのウケる……。仕事ですもんね……。やはり向こうの世界における同人界隈の事情を描いていくことが円居挽から俺達へのエールということなのか? >探偵にとって助手は必要なものですが、あくまで助手は従ということをお忘れなく 名探偵モノとしていい台詞だな……。大河結構探偵してるけど……。 まぁ大河そもそも探偵に適正あるんだよな……一乗寺……ウッ…… 寿司コンクールのことは何も知りませんが確かに今回のミステリパート、前に出たプロットを踏まえて次々と書き換えていき最終的にも多重解決するという点でチェスト丸太町なんだよな。 この辺り、円居挽が最近ツイートしてた物語レクチャーと合わせると興味深いですね……(https://twitter.com/vanmadoy/status/1091614495430963202)。 円居挽、本当にミステリ初心者講座向いていると思うからやって欲しい。貴方の敬愛するナチュラルボーン作家達にはできない仕事ですよ!!! ○倒叙で動機の重要性を低める ✕キングレオの出番が減る ↓ ○倒叙(大河に嫌疑)でキングレオの物語という必然性を出す ✕「完全に解釈一致ですそして公式の(略)!」 ↓ ○死んで相手に呪いをかけるという動機 ✕「キングレオはそんなことしない!」(ところで「真実よりも生者の幸福を優先する。城坂論語とはそういう奴なのだ」……) ↓
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その可能性を買っている

作品管理画面を眺めるのが好きだ。こう書くと承認欲求振り回され人間かよと思われそうであまり言いたくなかったのだがその思考が既に自意識強火人間の発言なので脇に置くとして、自分のpixivの作品管理画面を見るのが好きだ。 評価されている作品もあればそうでない作品もあって、どうしてなんだろう?って考えながら眺めるのが好きだ。勿論私はマーケティングの知識などないのでそれらはただの妄想なのだが、タグによってどう変わるかとか別作品と関連付けたらどうだろうとか、見てると結構オモロイのだ。 本題。二年前の今頃出した本の再録をした。これがびっくりするほど閲覧数が伸びない。原因が全然わからん。表紙はカットしてお出した方がよかったのかな。 待って。絶対!絶対勘違いして欲しくないのだが!これは愚痴じゃない!ここははてな匿名ダイアリーでもないぞ! ちょっとそうなるかもなという予感もしていた。というのも、二年前に出したこいつのサンプルはびっくりするくらい閲覧数もブクマ数も伸びたのだ。サンプルの閲覧数が本編の十倍。いいオチだ。オチがつくのはいいことだ。 このサンプルの評価が伸びたのも面白くて、これは多分収録ページを長めにとって、まるで一つ短編のように出したのがよかったんだと思う。しかもちょっと万人受けしそうな温かみのある終わり方になってる。で、本編を読んでもらうとその温かみは序章に過ぎず、そう簡単にはいかないよねと話が展開していくのだが。このやり口は正直気に入っているが同人誌はそこまではけなかった。これはまぁある程度想定内で、一つは明らかに東京のイベントに出なかったのが原因。あとはやっぱり、通販って面倒だよ。BOOTHだから一冊あたりの送料も高いし。 それで、だ。繰り返すようだがこの一連の話は愚痴でも反省でもないので湧き上がったこの念は本当にただの念なのだが、再録した今となっては思うのだ。「サンプルを出す時に全編を出せたら、もっと多くの人に読んでもらえたのになぁ」と。 ここ半年程、原稿戦士の友人諸氏に「どうして作品を紙の本にするの?」と尋ねて回っていた。というのも、私自身は結構インターネットにラブなのだが、自分でもそのラブの根源がどこなのかよくわからず、それを探りたいがためにちょっと話相手になってもらったのだ。それがここまで来てようやくわかった気がする。多分私は自分の作品が誰かに刺さる「可能性」が欲しいのだ。 ちょっとこれはどこの青い鳥が飛ぶSNSで見たのか忘れたが、ある作品が読者の胸を打つ可能性というのはどんなに作品が世に出て時間が経とうが世間の評価が固まろうが、決して0にはならない。ただ人の目に留まる可能性が時間と共に減衰していくだけだ。商業出版においては、そこに電子書籍やSNSといったツールが介入してきて連載再開あるいは復刊という運びになるという話も近頃は多く、よかったですなぁ本当に(といった趣旨のツイートだったと思う)。でもこれは同人においても同じで、いくら原作との設定違いが出てきても今の作者からすると絵が下手でちょっと直視が厳しくてもキャラの髪が当時は短かったことが判明しても以下略、その作品が誰かに傷を残す可能性は0じゃない。売り切れにさえならなければな! 紙の本とインターネットは何が違うんだろう。装丁に拘れる?紙の本の方がゆっくり読んでもらえる?それでも絶対にこれだけはインターネットに利があると断言できるのは閲覧数だ。なんなら閲覧数だけだ。でも単純に読んだ人が増えて欲しいわけじゃない。もしかしたらいつか誰かの胸を刺すかもしれない、そういう可能性をその作品に残しておいてやりたいのだ。商業ではそれはツールの力を借りなければできないことだった。でも同人作品でそれをするのは簡単だ。そう、ワールドワイドウェブならね。 だからできることなら、サンプルを読んだ5000人に、最後まで読ませてあげたかった。5000人もいたら数人くらいは胸に傷が残る人もいたかもしれない。でも今や再録してもそれは敵わない。出会いは一期一会だからな。 私はアイドリッシュセブンに来る前にどこに出ても恥ずかしくないマイナージャンルで活動していたのだが、イベントに出て頒布数が一桁だった思い出がある。それはまぁ負の感情ではなく、結構な感動だった。だって同人誌作るのって一ヶ月とか二ヶ月とかそれよりもっとかかるんですよ。でもこの中身を目撃する人は世界中に一桁!一桁か!それって凄いことだな。 いやじゃあ何人なら満足なの?と思って当時はそれ以上思考を進められなかった。でも可能性の話なのだ。今一桁だったとしても、これから先にいつか誰かの胸を刺すかもしれないって思ったらやっていけるだろ。 で、この話にはオチがある。冒頭の再録した同人誌だが、閲覧数対のブクマ数が異常に多い。物理在庫が大量に余っていたので(あと絵を直視できないので)ちょっと迷ったが、本にした当時もらった感想を思い出して嬉しくなったので再録することにした。ありがたいことです。


すばらしい新世界を読んでいたら、複数の場面を次々と切り替えていくという表現が出てきた。章の最初の方は転換から転換が長いけれどこれが徐々に短くなっていって、最後の方は一つの台詞が終わるとすぐ次の場面に飛ぶ。同時に展開する場面が3つ以上あるので誰が何言ってるんだかよくわからなくなる。サスペンス物の映画やドラマをイメージしてもらえるといい。多分小説にもそういう技法があるんだろう。 カッコいいと思ってるのか。思ってるんだろ。 読みづらいぞ。 古典を読んでいると、自由だなぁと思うことがままある。起承転結とか三幕構成とか、そういうのない。私はプロットを立てるのが苦手なので、たまにストーリー構成の教科書的な本を読んでみたりするのだが、そういう本に言わせたら凄い量の駄目出し食らいそう。 でもこういうものの方が同人の参考にはいいのかもしれない。 前述の教科書は冒頭によく「この本はエンタメをかくための手法だ」という旨の断り書きがある。純文学にハウツー本があったらちょっとウケる。 同人はエンタメではないのかもしれない。他人を楽しませるために作るものではないので。体系としての純文学について詳しくないのであまり突っ込んだことを言えないのだが、同人の、時にストーリーの本筋から離れたコマや一文にかける情熱も純文学らしいといえば純文学らしい。そして存外読者が心を揺り動かされるのはそういった部品だったりする。実際、すばらしい新世界の場面転換が新世界の雑踏的雰囲気を醸し出すことに失敗しているかというと全くそんなことはない。カッコいいよ。大変結構。 同人は純文学か、もしくは詩にも近いと思う。この場合、エンタメに対応する単語は物語かもしれない。「詩」は得意な方なのだが、物語を作ってみたいという欲もまた別にあり、難しいな。変化を描くのが苦手なのがいけないんだろう。 追記メモ:マイナーポエット、日本の文学史における物語の筋論争(19/06/01) https://note.mu/poplar_bungei/n/nc7146ef6732b