「悪夢を穿つ狩人の矢」常設化にそえて

2019年1月。初めてこのイベントシナリオを読んだ時の印象はよく覚えている。「イベントシナリオはこれくらいのゲームか、了解」だ。私はまだメギドを始めたばかりで、最初に体験したイベントがこの「悪夢を穿つ狩人の矢」だった。3章を抜けて本編のシナリオは加速度的に面白くなっていく一方だっただけに、凡庸なイベントシナリオの落差はすごかった。それでもがっかりはしなかった。ソシャゲってこういうことよくあるよな、と思った。それだけだ(この認識は三ヶ月後の「悪魔の勝負師と幻の酒」で早くも覆されることになるが)。

それでも、このイベントはシナリオ以外の思い出も伴ってよく思い出せる。まだメギドが少なかった我がアジトではスナイパーが加入するだけでも嬉しかった。しかし点穴の使い方が全くわからず、ベリアルの加入までレラジェには不当な評価を与えて悪いことをした。コレチケが欲しくても逢魔に20000ダメージ与える方法がちっともわからず、懸命にwikiを読んでしらぬいとかいうオーブで滞水とかいう地形は発生させられると学んだ。そうやって小学生が商店街で福引にかける情熱さながらにもぎ取った5枚のコレチケではアムドゥスキアスちゃんが来てくれて、それからの攻略にずっと力を貸してくれた。
十ヶ月の後、戦力も充実した我がアジトに「悪夢を穿つ狩人の矢」は帰ってきた。大幅改稿を引っ下げて。開けてみていきなり驚いたのはコルソンとバフォメットの登場だった。私の最初の指名チケット候補の1位と2位が揃い踏みである。二人に加えてネルガルまでもが当時既にアジトには顔を揃えていて、否が応でも期待は高まった。
改稿後のイベントシナリオは素晴らしいものだった。メフィストイベントやベリトイベントのような派手さはないけれど、複数のキャラクターと複数の要素が少しずつ積み重ねていってにじみ出る面白さがこのシナリオにはある。
私としてはなんといってもコルソンだ。ガープとの間で随所で見せる戦友としての信頼関係。フォトンを「おやつ」と呼ぶ彼女。ぬいぐるみをきちんとコルソンの「お友達」として扱ってくれるソロモン。少しずつさりげなく行われるシャックスとの和解。四冥王が揃ってしまうとどうしても霞んでしまう、コルソン自身の個性がメンバーとのやり取りの全てから見えて嬉しかった。
主役たるレラジェの描写の素晴らしさこそ語り尽くせない。狩人としての頼もしい姿。テキスト全体からすれば本当に僅かな量の描写からでも伺い知れるナスノの愛情。一晩ソロモンと二人きりで過ごした後の朝の風景が少しラブコメ風味の味付けになっていたところも可愛らしい。シナリオの進行と連携して緊迫感を盛り上げる超強力なイベント効果は、初回プレイ時にも大いに頼らせてもらった。
ネルガル。表層だけ見ると典型的なSFの悪者のような目的を抱えているにも関わらず、メギドの世界感に沿った動機付け。大幅に加筆された彼女のバックグラウンドは既に存在していたキャラクターストーリーやアジトの彼女の印象と相違ないところも嬉しかった。
泣く立場を弁えるバフォメット。山の探索と穴掘りでしばしば腰が痛むと愚痴るブネ。なにげに大活躍するシャックス。そしてその全員が様々な組み合わせで交わすやり取り。とにかくこのシナリオでは登場人物が生き生きとしている。初めてのイベントがこんなにも文句のつけようもない改稿をされて帰ってきた。昔のシナリオだから仕方がないと放っておかない態度が嬉しかった。
しかしこのイベントシナリオは改稿の良し悪しを考えるきっかけをくれたことにもなった。具体的にはアンドラス(当時も今も我がアジトにはいない)の描写が改稿でいくつか修正され、悲しんだプレイヤーがいることを知っている。その時にソシャゲのシナリオの儚さみたいなものにも思いを馳せた。しかしこれはタイムスパンの問題であって、コンシューマーゲームも出版された本も、本来改稿でその人の望まない方向に変化する可能性からは逃れられない。その改稿によって公式の術では自分の好きだったテキストを読み返せなくなってしまった、他のプレイヤーは新しい情報こそ正しいと思いこむ、そういった付随した悲劇も起こりうる。けれども、本来不変の「作品」というのは幻想で、個人がテクストを読む瞬間瞬間に発生する経験こそ得難いものであるはずだ。だから新しいシナリオが出たからと言って他人が大事にする経験をウソロモン呼ばわりしてはいけないのである(もちろんメギド72コミュニティらしいジョークであることは理解しているが)。
先日、世界中に熱烈なインパクトを残したポケモンのMVを見て、ポケモンに夢中になっていたときの現実の思い出までなんとなくいろいろ思い出して懐かしくなってしまった。ポケモンど真ん中である私と同世代の人達には似た感情を抱いた人も多いんじゃないだろうか。メギド72における「悪夢を穿つ狩人の矢」も同じである。好きなイベントシナリオはたくさんあるし、ポケモンと違って常設化まではたった二年弱の出来事だった。それでも、メギド72で一番印象に残っているイベントは、この「悪夢を穿つ狩人の矢」を挙げられる。
常設化、おめでとうございます。

オタク年表

Bio

くもらせたい♡くもりをおちょくりたい♡刷り込み♡コンプレックス天才少年♡箱庭♡ごはん♡ごかん♡世界を壊す神様の仔♡生物に例えたら何でも萌えるタイプの人♡同人字書♡テクスト論♡終わりに敏感肌♡末期紫陽花組♡マリッジブルー木曾改二♡城坂論語三昧真火担♡ラブコメ動物Re:vale♡ニコニコ雷電類

オタク年表

2003

通っていた塾の国語教師が今思えばオタクで、その人が塾に持ってくる本を片っ端から読んでいた。トットちゃんから涼宮ハルヒまで。その影響で初めて自分の意志で本を選んで買った。角川スニーカー文庫バイトでウィザード流れよ光と魔女は言った。原田たけひとの絵に一目惚れしたのだと思う。
ファンクラブ掲示板に書き込んだ覚えがある。
メールアドレスも好きなキャラだった。一条京介君。

2005

シュウハルが好きでポケモンの掲示板とチャットに入り浸っていた。
2月に「まぼろし島のソーナノ!」を見て感動した。普段ポケモンの時間(木曜19時)はニュースの時間だったが偶然親が不在だったからリアルタイムで見れたのだ。その日の夕飯はファーストキッチンだった。
この頃から絵を描いていた覚えがある。文章は長編(冒頭)を掲示板に投稿して、感想も何もなかったのでアドバイスでもいいです!と言ったら、「『〇〇は素直に驚いた』という文章は『驚いた』でいい。もっと改行も増やして、読みやすくした方がいいかと思います」といったようなことを言われてもう一生やるもんかと思った。
友達に借りてBLEACHを読み始めた。BLEACHアニメがきっかけでわずかながら音楽を聞くようになる。人生で一番音楽に近かった。

2006

即売会に行き始めた。コミケもこの時期に経験した覚えがある。
当時の日雛の同人誌今も大事に持っている。

2007

ぷよぷよフィーバーチュー!と出会った。
個人HPとブログを周回していた。

2009

ぷよ主義に行けなくてめちゃくちゃ悲しかった。
私生活の事情があったのでもともと行けない予定だったのだが、当日ネットを眺めていたら紫陽花組の本があって、今から行こうと戸締まりまでしたけれど体調がすごく悪くて諦めたのを覚えている。

2010

9月にブログができた。ここ。ツイッターを始めた。ここではない。
ぷよ主義2に一般参加。初めてのオフ会。

2011

6月にもオフ会をした覚えがある。
9月ぷよ主義3「あじさい!!・満ちるもの」「××エンドからの逃亡」
初めての本を作るにあたってコミスタを買った。でもペン入れはうまくできずに付けペンで描いた。付けペンも慣れなかったので全然上手く描けなかった。絵に描いたような同人誌デビューエピソード。

2012

コミスタProがクリスタEXにアップデートされてラッキーだった。現在まで愛用しているが知らない機能ばかり。
10月ぷよ主義4「ウタカタ」「ふれきしぶる-FM62.0」
合同誌。生涯もう出せないかもしれないから出せてよかった。
ルヴォワールシリーズに出会ってここから国内本格ミステリを読み始めた。
11月にオリジナルの漫画を7ページ描いた。割と気にいっている。

2013

3月にツイッターアカウントを消した。
6月まで「海が恋う街」を書いていた。十万字。半年くらい書いていた気がする。そのくせ16日に間に合わなかった。
11月にブログを閉鎖して一回死んだ。

2014

8月に閲覧と壁打ち用と称して今のツイッターアカウントが立てられた。案外復活が早い。でもこの半年は本当に絵を数枚描いた以外創作活動は何もしていなかった。この時からコテハンがなくなる。
12月にpixivの投稿が見られ、生き返った。それ以前のは消した。

2015

1月CC100「遠雷と追憶」「4Ψ」
1月に艦これを始めた。嫁の概念を獲得。
9月「ヴァケーション イン ザ サナトリウム」「KARIMONOKYOSO!」
皿に絵を描いた。

2016

4月ぷよステ!「青いアズマヤ」
同人人生で一番はけなかった。世界で3人くらいしか持っている人いないと思う。気に入っている。
7月にアイドリッシュセブンを始めた。この時期ちょっと凹んでいて他のソシャゲも始めたが一つも生き残らなかった。
9月奇想館2「アルジャーノンゲーム」
pixivで小説用アカウントの高橋鋭輔君がひっそりと始動。文字書きにコンプレックス(複雑な感情の意)をもっている。

2017

3月TOS5「サンクチュアリの足音」
今までの本で一番長くて一番辛かった。

2018

5月にアルジャーノンゲームの再録をしたら原作者にリツイートとコメントをされた。はっきり言ってめちゃくちゃ嬉しかった。
7月奇想館大阪「Life is a game!」
元気いっぱいだったのでスペースに幟を立てた。
12月に「Re:valeラブコメ論」を投稿してブログが再開。以後、随筆論説日記等を掲載する便利な場として扱われる。

2019

1月にメギド72を始めた。
10月レンタルスペースでプライベート即売会(自称)を開催。オタクが人生で一回はやりたいやつができたのでよかった。

2020

2月TOS19「ボクの先輩」「荒野の作曲家」
特定の二人の外の人間に焦点を当てた本を出すことができ、成長を感じた。
高橋君本を出す。当日までスペNoが公開されないというめちゃくちゃな頒布をやった。広い世界から探しに来てくれる人がいて感動した。憧れの文庫サイズの小説本が出せてよかった。
6月、初めての自作キーボードを買う。

2021

麻雀を始めた。人を応援することなどを知り人生経験を積んだ。
10月Webオンリー「猫のいる町に帰りたい」
高橋君は今度は長編を出し、次々と人生のやりたいことリストをうめていった。高橋君の存在が公表された。

2022

引き続き麻雀る。五段と雀豪まで登る。
突然エロの練習を始めるがすぐ飽きる。
ずっとやりたいと思っていた文学の勉強を始める。

2023

1月「よるのけものたち」
アイドリッシュセブンの完結を見届ける。
1月からおよそ一ヶ月に一回エッセイ漫画を描き続ける。
2月の勉強会を皮切りにリアル麻雀の楽しみ方をようやく認識して麻雀イベントに出始めた。
今に至る。

起床。
玄関の郵便受けを確認するも新聞は届いておらず、一階まで取りに行くもこちらにもなく、なんでいなんでい随分いい加減な商売だなと思って部屋の前まで戻ったら郵便受けに直角に刺さっていた。郵便受けの中まで落ちなかったから室内からでは気が付かなかったのだ。これってミステリーになりませんか?
いい加減な商売だなと思っていたが購読継続意思を確認する電話はキッチリかかってきていた。まだ読んでもないのに。
今から差し障りのないことを書くけど新聞ってサイズが大きすぎて読みにくくないか?もう少しなんとかならないの?
昼にパスタが食べたくなりカニ缶とトマトのパスタを作ったが、食べている途中で気分が悪くなってきた。たまに自分は料理が下手なのではないかと思うことがあるが、料理ではなく物を食べるのが下手なのかもしれない。最近食事してても途中で食事自体に飽きちゃう。
台所下片付けの着想に着手し、とにもかくにも床面積が足りてないから内寸を測って100均に行って棚を買うことだなと結論づけた。結論づけたので今日はここまで。
100均を使うルール。複雑なもの(例:電子機器)は買わない。
今日は仕事でもブログを書いた。どんだけブログが好きなんだ。

日記はやめ時を逃すと止まれないので多分今日で終わり。

戦績
書いた日:27/30(↓)
27330/(1000*30)=0.91(未達)
言及した本:11
総評
綺麗に休んだ日の分、目標に届いてないな。算術平均は外れ値に弱いから。
カレーや突っ張り棒等、着飾りようのない日々のしたことがある一方、日々の出来事をきっかけに思ったことを書けた日も何日かありその点はとてもよかった。でも単純に文章を書く以上に構成に気をやらないといけないので、随分頭を使うことがわかった。ツイッターのようにはいかない。やっぱり寝る前に書くのは駄目だ。夜にしたってもう少し早めに書け。
誤字脱字衍字の多さはどうしようもなかった。書けば書くほど増殖する。助けてくれい。

起床。拍手ありがとうございます(これは定期的に言わないと拍手が虚空に向かっていると誤解されるのではないかという恐れを抱いている)。

「文学のトリセツ」
読んだ読んだ。初心者にはよい本だった。何もわからないんだからねこっちは。カタカナが入る度に言葉の意味を説明してほしいんだから。
評論ではよく出てくるなぁという単語(二項対立……脱構築……マルクス主義……)がどんどん説明してもらえてありがたかった。でも最後まである思想を特別視して批評に援用する正当性みたいなものがよくわからなかった。本文中でも指摘されているように現代においては様々な観点で反論されているエディプスコンプレックスのような概念を援用する意味ってあるのか?自然科学的に正解かどうかは大事じゃないのかな。そもそもある作品を批評しようとする時に既存の思想を援用しなきゃいけない理由がよくわからなかった。説明するためのショートカットみたいなもん?レビューを引用するみたいなものか?二項対立、脱構築辺りはわかりやすかったけど、どんどん複雑な主義主張思想になるに従って何でそれを選んだ……?という感が出てきた。テクスト論の立場を維持したまま援用を突き詰めていくと、「そのテクストはお前の主張をするための道具ではないのですが?」となってしまわないんだろうか。それともそれでもいいのかな……。
美術解剖学のどでかい本も届いたのでちょっと読んだ。7370円。フルカラーで600ページ以上もあるから妥当だな。同人趣味をしていると、高価なフルカラーや分厚い本は単純に原価が高いだろうから高値でもしょうがないなと思えてくる。
「筋肉は誰が何といっても美術解剖学の華でもありますからね。」という文章が当然のように出てきてちょっと笑った。そうなんだ。

起床。

Amazonを見ていたらオススメ作品+あなただけのタイムセールコンボに嵌められてあの胃を3巻以降買ってないことを思い出してまんまと買った。食欲と性欲の混同って本当にいいテーマですよね……。ちょっとくらいならいいですよとか言って舐めてかかってたら半身持っていかれて反省してくれ。早く。
出雲編冒頭は巨女!ぬいぐるみ化!幼女化!性癖やりたい放題!といった感がすごくて笑った。巨女出す必要あった?でもそういう遊びの部分が絶対全体にいい影響を与えているんだろうな。ラブコメって無駄の文化なのかもしれない。実際巨女はあった方がいい。間違いない。
満腹先輩の喋り方が典型的おなごでないところがかわいい。トーンがずっとガサガサしていていいなぁと思ったがレイヤー分けが面倒そうなので私には無理だ。作者さんが使っているというペンが配布されていたのでダウンロードしてみたが、こっちもガサガサになるよう気を遣ってるんだなということがよくよくわかった。今更ながら、プロフェッショナルと同じソフトを使っていて同じペンをボタン一つで試せるってちょっと面白いな。ペンの配布から上がる知名度があってもいいのではないか。
僕ヤバも更新日だったことを思い出して読んだ。ラブコメ・デイだ。一応ユキオレの完結をもってラブコメの研究は決着をみたが、最近ラブロマンスを読む機会が何度かあり全然趣味でないことがわかるにつれ、ラブコメの再評価が行われている(主語:全て私)。
僕ヤバは犬回(ラブコメにおいて犬が出てくる回)だったので興味深く読んだが、キャラクターの家族構成と同じ様に、動物と共に生きているという設定がキャラクターに与える影響って中々大きいと思う。
最近そのように思い至ったのは、キャラクターより実際の人間相手が先だった。私の幼少期は、犬猫の類と触れ合う機会はほとんどなかったのだが(アマガエルのオタマジャクシやアメリカザリガニとならあった)、ツイッターには頻繁に犬猫の話題が流れてくる。私はそういった時、犬猫の写真にパンダの写真と同じ温度で「可愛い」と思うことはできても、「辛い時に寄り添ってくれた」という思い出には、共感は勿論、理解を示すこともできない。事実を疑っているというと流石に言い過ぎだが、全然質感をもって想像できない。私は幼少期を脱した後、鳥類、両生類、昆虫、等、平均的な日本人よりは様々な動物および植物に触れ合う機会があったのだが(哺乳類に触れ合う機会があまりなかったのは彼らが夜行性で野生下では珍しい分類群だからだ)、そういう体験をもってしても犬猫の触れ合いが与える体験の代替えにはならなかった。
先日友人と話していて、実際に赤子をもった経験のある創作者にしか書けない文章があるかもしれない、という話題になったが、犬猫との触れ合いもそれに近い代替不可能性をもっている気がする。
……というような話をRe:valeで書きたかったのだが、モモが幼少期に犬と共に暮らしていないという事実(メルドリ)を覆す強い幻想をどうしても築けなかったのでここに供養した。翻って犬や猫とともに暮らすような経験をキャラクターに与えようとした時、それは決して「さり気ないもの」にはならないのではないか。例えが悪いが、性的マイノリティが物語に登場した時に現代の読者がそこに何らかの意図を感じてしまうように、「パパとママが犬好きだから飼ってて、面倒だけど頼まれてたまに散歩に連れて行ってるんだよね……」と言われて登場するような主人公と相互作用しない犬なら、そこに登場しなくてもいいと感じるはずだ(というよりは勿論、登場しないはずだ)。それは二次創作でも同様で、原作にその根拠がないのだとしたら、幻の動物を召喚する作業は結構大掛かりな足場を必要とするものになるだろう。
ちなみに同様に幼少期のふれあいがその後の価値観に大きな影響を与えると予想されるものにはソファがあり、この仮説は犬-ソファ仮説と呼ばれている。