起床。

起きて髪をとかして美しく整列していたパソコンのケーブル類を全部抜いてラックから下ろして電源コード縛って靴に中敷きをいれて袋にしまって……マスクを忘れてた……日傘を畳んで着替えて日焼け止めを塗って……これ社用じゃなくて私物のパソコンじゃん……もう1回ケーブル抜いて電源コードを縛って……。
やはりたかが通勤1回目の私には何もわかっていなかった。次からはもっと力強く通勤の無駄さを主張していこう。明日から自宅の素晴らしさを噛み締めて生きていこう。それがよくわかった貴重な一日であった。
中敷きは一切効果がなかったし上司はスニーカーで打ち合わせに行っていた。
久々にノートパソコンのキーボードをつないで作業したが、いつの間にか運指が家のキーボードやトラックボールに適応しており、ノートパソコンが使いにくくて難儀した。つまり万が一出勤してしまった時に備えて職場に二台目のlilyを置けということだ。そういえばこの前久々にパソコンで絵を描いたが右手のキーに割り振っているショートカットキーが使いにくくて難儀した。つまりショートカットキーのために一体型キーボードをもう一台買えということだ。
手羽元をクミンとカルダモンとレモン汁とワインに漬けておいてオーブンで焼いたやつが美味い。

起床。

布団の中でじっ……としすぎて、ゴミを出しに行ったらちょうど収集車が次のマンションで作業をしているところだったので慌てて作業員さんに手渡した。作業員さんが言うにはこの道路は最近昼間は工事で通行止めになっているから早く来た、しかし昼にもう一度来るので安心しなさいとのこと。愚鈍な生物のために1日に2回も収集を!?ありがたすぎる……出すゴミはないのだが……。
明日取引先と会議があるため二度目の出社をすることになり、着る服がない(本当にない)ので嫌々ユニクロに行ったが正しい選択をしたのかよくわからない。オフィスカジュアルってなに?スーツって夏も着ていいものなの?何もわからんのですが。持ってるパンプスもサイズがあってないので中敷きを求めて駅近辺を徘徊。みつけたはいいが肝心のパンプスを持ってきてないのでスリーサイズあるうちのどれが適しているのか全くわからない。店員さんが真ん中のを指してこれだとワンサイズ上がりますねと言うから、じゃあそれでいいですと買い、店員さんを困惑させた。本当に服のことを考えるのが嫌なのでこういう選択の仕方をしてしまう。早くファッションのことでとやかく言われないくらい偉くなりたい……。
大体明日の会議だって前と同様にリモートでよかったではないか……一言上の人間の誰かがそう言い出せばそれで済んだのに……。
仕事のことを全く書かないまま突然SNSから消えると仕事に殺された人間みたいで怖いと言われたので仕事のことを書いてみました。どうですか?
レシピを広げる書見台(いい言葉だ)が必要だと感じていたが、物を眺めた末、今使っている100均のタブレットスタンドが最適だと結論付けた。100均にはそういう出会いがある。

起床。

まだうっすら掃除機の排気がホコリ+コーヒー臭なので、朝嗅ぐコーヒー豆の匂いがホコリ臭のように感じられて嫌になってきた。やはり買い替え時か……?いよいよルンバを……。24時間家にいるというのにいつ走らせるんだ……。
「読者はどこにいるのか」読んだ。指示語が指すものがわからん、文意が取れないなどの純然たる難しさがあったが(特に最終章)各トピックは面白かった。もはや現代では成り立たないことが想像しにくいような前提(黙読のできる環境、印刷技術の普及等)から近代読者が生まれ、特に黙読を通して「同じテクストを読んでいるのだから私と皆の考えることは同じはず」という空想が生まれて、一方で全集が足りなくて学生が作家論を論じるような風潮が廃れて(この辺は「そんな理由で廃れちゃうの!?」という面白さがある)テクスト論が生まれ、その中で読者(作者=テクストが成立しないのと同様にここでの読者とは必ずしも字義通り我々を指すのではなく、テクストと向かい合う際の仮想の頭脳みたいなもの)はどのように本文を読んでいるのかという話……(ここまでが序章)。全然違ったらごめん。
テクスト論を援用したら読者が無敵になれて嬉しいのではないかと思っていたが寧ろそういうことは容易には起こり得ない、テクストは読まれるように読まれるということだったので(そりゃそうだ)無念だったが、そもそも「作品を通して簡単に作者の思想がわかるなんて傲慢だ。だからテクスト論という立場を取るのだ」という大枠には同意できたのでこの方向でいろいろ読みたし。ただ、テクスト論の立場から外れるのは簡単なこと(あくまで立場なのでテクスト論に立つことは難しい→だから高等だ、ではない)なので、私も意図せずそういう言い回しをしてしまうことが多々ある。
具体的にテクスト論を援用してどういう悪さをしたかったかというと、テクスト論の立場に立てば作者がどんなタグ付けをしていようが読者がどのようなカップリング(主に問題にするのは非R18作品の受攻)として読もうが自由だという話をしたかったのだが、少なくともテクスト論の立場に立つ読者はそのように読んでもよいという話であって、当然ながら作者はテクスト論の立場に立つように読者を強制することはできない。あともしかするとタグは当然の如くテクストに含まれないと思っていたが、もしかするとパラテクストと呼ばれるものなのかもしれない……。

4月から家計簿を付け始めたが(転職前は支出と収入のバランスがカツカツすぎてつける意義がなかった)眺めていたら予算が余っているのを発見して気が大きくなり、Amazonで文学理論関係の本を買い込んでしまった。勉強するか……。

勉強はいいがそもそも予算が余っているからって使い切っては駄目なんだろうな。最近友人から積立NISAとiDeCoの話を聞き、「例の!」という気持ちになった。実際にやっている人を始めて見た(周囲もカツカツで暮らしている人ばかりなため)。世界経済インデックスファンドでも年金でもいいのだが、「世界経済は(大まかには)成長し続けるだろう」とか「自分は65歳まで生き続けるだろう」とかそういう明るい未来の展望を持てること自体がすごいな。確率的には世界経済は成長するし日本人男女は65まで生きるだろうが、なんだろうな、あまり自分に関わることと思えていないな。

土曜は一日中ダンロンとメギドのシナリオ消化に勤しんでいたら疲れ果てて寝てしまった。基本的に家には消化すべきコンテンツ(主に本)が積み上がっており、外に出ている暇などないのだが……。しかし眼球披露で倒れる休日特有の虚無感があるな。

ダンガンロンパに対する根本的な向いてなさだが、アクション要素が推理ゲームと全然噛み合ってないと思う。考え事の最中に目の前を小蝿が飛んでいるくらいの煩わしさだ……。1が終わった時点で日記を始めてしまったので文句ばっかり言っているようにみえて本意ではないですがジェノサイダー翔が好きです。あと音楽が裁判パートの緊張感やスタイリッシュな雰囲気にかなりマッチしていていい。
メギドは新イベントとカスピCとウトゥックとベリアルとアイムRのメギストと常設モラクスイベを読んだが意外にもモラクスのイベントがかなりよかった……。私が始めたレラジェイベントよりも前のイベントだったので中身にはそこまで期待をしていなかったのだが、素朴でも良いシナリオだった……。逆転裁判をやりながらも思ったが、複雑ならいいシナリオというものではないな。でも素朴と在り来たりのとどこが違うかと問われるとまだうまく言語化できない……。どの程度の加筆が入っているのかわからないが、ウェパルの発言や碑の一件を受けてモラクスが最初からアニキのことをずっと心配していたところなんかはメインストーリが進んだ今となっては味わい深いものがある……。
眼球披露で呆然としていたら土曜にするべきだった図書館で借りてる本の延長を日付が変わった18分後に思い出すという失態。日曜に渋々図書館に行く。渋々と書いたが図書館まで5分も歩かない。それだけで大分良い家だ……。明日からまた多少家が振動するとしてもこの立地を手放したくない……。
良いコミックデザインKT. 
読んだ。装丁めちゃいいな~かっこいいな~作りたいな~とは思うけれど、読んでいる途中でふと装丁や表紙って漫画本の1ページ目ではなく、中身とは独立した要素だなと思った。表紙や装丁の役割というのはあくまで手にとってもらうきっかけづくりであって、そのためにデザイナーの手まで借りてデザインを練るけれど、実際の漫画の中身はカラーではないし紙はペラペラだし、イラストレーションでもない。中村佑介が、イラストレーターの仕事とは一見して中身がわからない商品(本やCDの内容など)に少しでも確かな付加価値を与えるものだと言っていたが、漫画本の表紙もそれに近い物があると思う。活字本は中身が文章という表紙とは異質なものだから付加価値と割り切るのは容易いだろうけれど、漫画は作者本人の絵が使われていることもあって本の内容や価値と連続したものと誤解するんじゃないか(いやもちろん全くもって断絶しているとは言わないが)。
これは同人作家の所感としてもそう思う。やはり表紙をデザインして(まるで商業的本と同じように)形になるというのは同人誌を作るプロセスの中で大きな喜びを占めるものだろうけど、中身が追いついていないという状況は普通に有り得る。
紐で縛られ済の豚肉がスーパーで40%引きだったのが面白くて、夜御飯にチャーシューを作った。

起床。

所用ありRe:vale警察ラビチャを読み返していた。何度読み返しても本当に多角的に読み応えのあるいいテキストだ……。かつて好きだったものを今も好きだと言えること、素晴らしいことだ……。それだけが人間の連続性を担保してくれる……。などとぶつぶつ言いながら職をする。
なんと工事は昼やっている工事と夜やっている工事で二箇所あるという新事実が発覚した。引っ越して以来近辺をずっと工事している気がするな。
引き続きダンガンロンパ。白い髪の人が人気ってこういうことか……。これは私のオタク生の上でただある一点を理解するために必要な情報だったのでやってよかったかもしれん……。
ダンガンロンパ、キャラクターとアクション部分は置いておくとしても推理パートに気に食わない部分が多い。議論の途中で異論を挟む形式なのだが指摘できる場所が複数ある、そこを指摘させてくれたら絶対気持ち良い場所を他キャラが言ってしまう、など。あと今さっき明らかな不適な証拠があったので怒ってゲームを中断してこれを書いている。ダンガンロンパをプレイする直前まで逆転裁判をプレイしていたので、どうしても比較してしまうな。
ただ、この評価が普遍的なものなのかはどうかは全然自信がない。ここ数ヶ月積極的にゲームをやっていて思うのは、レビューサイトでいくら票が集まろうともゲームを通して感じる難易度、もっと言うと不快感も快感も他人と共有できるものではないということだ。つまりあらゆるゲームは大なり小なりナラティブであると言える。
本(ゲームにおいてはシナリオでもよい)においては前提として共有されている、「あなたと私の手元にあるものは同じである」という前提が崩れることに因ると思う。それを共有しうる方法はSNSよりも実況動画が台頭して初めて、ゲームは共有の場をもったように思う。
あ~ただでさえまとめきれてない内容だったのに夜中に書き始めたらいい時間になってしまった。明日起きたら手直しする……。