ハイ・ライズ読み終わった……。うお~……半分読んだところで心が折れそうだったので安堵……。
読んだ本の記録は基本的にクローズドな場所でやっているけど、そうするとあまり響かなかった本に対して感想文を書くのをさぼるという問題がある。響かなかった本こそ記録しておく意義があるので。
読もうと思ったきっかけは2回あるはずだが(異なる場所で2回出会った本は読むことにしている)、片方は間違いなくバーナード嬢、もう片方は完全に忘れた。バーナード嬢でもどういう文脈で紹介されていたか忘れたので見返したら、ファイト・クラブと共に紹介されていて納得した。何故ならファイト・クラブは去年挫折したので。読書に割く時間が減る一方なので、途中で挫折してしまうとかけた労力が無駄になってしまってなかなか辛い。
ド嬢、巻末に参考文献付けてくれるの本当に助かる。わかってる。痒い所に手が届く。
私は「世界の真理に近付こうとする行い」それこそがサイエンスだと定義している。サイエンス・フィクションもサイエンスを掲げるからには、世界が主役でありそこに登場する人間は従なのだと思っている。だから登場人物がどんなに魅力的でなかろうがそれは減点要素にはならないのだが、それにしてもこう記号的人物が視点の叙述を延々と続けられると単純に頭に負荷がかかるな……。後半になるにつれて会話文を意図的に削って人物への共感を防いでいるのかもしれないが、殺人だのセックスだの集会だのを全部叙述で済ませられるのがなかなか……。何を読んでいるのかわからなくなってしまう……。この前、安部公房の他人の顔を読んだがあれは内省的になるあまり全然会話文のない小説だった。世界に目を向けても一人の人間の中身に目を向けても会話文が減ることになるというのは面白いな。
ファイト・クラブでも思ったが、暴力と荒廃みたいな描写にあまりぐっとこないみたいだ。やたらと長いし……。同様に撤退してしまった小説に時計じかけのオレンジがある。
でも世界の方の描写はロイヤルの高層マンション・カモメ・犬により動物園の比喩がかなり美しくてよかった。一冊を通して美しい風景が一瞬垣間見えたらそれだけで十分なのかもしれないな。ただ、テクノロジー三部作と言われる面は正直よくわからなくて、まぁこれは現代に置いて高層マンションはテクノロジーの象徴にはならないという時代性があるのでしょうがないかなと思う。そう考えるとSFって儚いな。宇宙が舞台のSFもそのうちこんな風に言われるようになっちゃうんだろう。
解説が読んでいて楽しかった。やっぱり文芸批評を勉強したいけどそのためには原典の読破が必要だしどこから入ったものか。

銀河英雄伝説感想

※ 本記事は銀河英雄伝説のネタバレを含みます。が、貴方が銀河英雄伝説を楽しむ上でもしかするとそれは致命的でないかもしれません。

銀河英雄伝説が我が家に来た日のことを覚えている。友人に買っておくよう頼んでおいたハサ医師アンソロと一緒に頼んでもないのに新品が届いたからだ。

彼女が前々からハマっているという話は聞いていた。数週間前に同人誌まで出しているのも傍目に見ていた。そして彼女が自分の好きな作品を私に読ませるためなら新品を買って渡すことも躊躇わない人間だということも知っていた……。中学の頃から本をほぼ一方的に貸してもらう仲だったからだ……。その節はありがとう……。
しかし少し意外にも感じていた。彼女はSFを好むような質ではないと思っていたのだ。

銀河英雄伝説、通称銀英伝のことをどのくらいご存知だろうか。私は有名な小説であることと作者の名前くらいしか知らなかった。田中芳樹歴は、CLAMPの表紙につられて中学校の図書館にあった創竜伝を読んだことがあるくらいだ。まぁでも知らなくても無理はないだろう。初版は1982年、昭和じゃないか。銀河ってついてるし、宇宙戦艦が戦ったりするんだろう、多分。戦記はそこまで好きでもないのだが、SFは勉強すると言った手前、古典的名作を読んでおくのもまぁ悪くないだろう。当時はそう思っていた。
このように、彼女が勧める物を昔から割と何でも読んできたので、彼女も突然人に小説を送りつけるような大人に育ってしまったのだろう。私の責任は重い。
しかし返さなくてよい本ならいつでも読める、と逆に安心してしまい、実際に銀英伝へ手を付けたのは半年以上後の今年の初夏だった。銀河英雄伝説は、ラインハルト・フォン・ローエングラムが率いる皇国とヤン・ウェンリー率いる民主主義国が戦う戦記であることがわかった。描写とエピソードが上手くてさくさく読める。特に、登場人物達を説明する日常の些細なエピソードに愛嬌があるのがいい。あとユリアンが可愛い。
しかし2巻の終わりに差し掛かったところで、急にびっくりさせられた。ラインハルトの親友が2巻で死んたからだ。主要人物っぽい空気出てたのに。続きはあと8巻も残ってるのに。友人へ。なんで読む前に親友×ラインハルトを勧めた?
作者も流石に早すぎたと思ったらしく、読者の非難を受けて、5巻の後書きで「5巻辺りで死なせるべきでした」と謝っていた。それは謝罪になっていない気がする。
夏は忙しく、続きに手を付けたのは秋になってからだった。ユリアンがいつ死ぬのか戦々恐々として読み進める中、8巻でまたとてもびっくりさせられた。ユリアンの養父で何より主人公の片翼たるヤンが、ラインハルトとは関しない策略によってあっさり死んだからだ。
困惑した。当然のごとく、この10巻に渡る長編小説はラインハルトとヤンの最終決戦で幕を閉じると思い込んでいたのだ。このように予想することはキャラクタ小説的な視点から来る贔屓を置いても、一般的な物語のセオリーだろう。こんな衝撃のエピソードだから読む前から知っていても良さそうなものだが、ハマるとも思っていなかったので私は銀英伝のことを何も調べていなかったのだ。
まるで歴史小説だと思った。「竜馬がゆく」が書こうとしている物語を、実在の日本の代わりに、架空の宇宙を作ってその上で書いているのだ。だから登場人物は全員死ぬ。何故なら現在から見て過去の人間は全員死んでいるからだ。それも大戦とは関わらないところであっけなく死ぬ。何故なら歴史上の人間は小説の登場人物にされるために生きた訳ではないからだ。
それに気が付いて、三回興奮した。一に、「架空の現実」を作ってその上で「歴史小説」を書くなどという手間がかかることを試みた他の作品に思い至らなかったからだ。探せばあるだろうが、今も類似の作品はすぐには挙げられない。おまけに「架空の現実」においてはSFの背景を借りており、さらにはキャラクタエンタメ小説的でもある。二に、Aというジャンルだと思って読んでいたらBというくくりに入れるべきものだったという状況に興奮するオタクだからだ。しかもこれに関しては十分に伏線が張られており、私が下調べをしなかったことで30年も前の作品から純粋に驚きを得られたことが心地よい。三に、友人がこの小説にハマった謎がようやく解けたからだ。彼女は色んなジャンルを嗜むが、その根は歴史を愛するオタクなのである。
そういう訳で、銀英伝は本編も十分面白いのだが、本編とは微妙にずれた個人的事情により私に衝撃を与えた。ユリアンは最終巻まで生き残ってくれて嬉しかった。この「架空の歴史を描く」ことについて興奮気味に語ろうとしたら、最終巻の後書きで作者でほぼ同じことを言っており四度目の衝撃を受けた。ここまで見事な答え合わせをされると思っていなかったのだ。話すことがなくなってしまった。