起床。 昨日の話だがアウトバストリートメントを詰め替えていたら溢れて床に盛大に零した。1.5回分だったのだ。1.5回分だなとは思っていたけど詰め替える瞬間に忘れていた。そういうことあるじゃないですか。 ……。 いや1.5回分てなに!?もうちょっと入れとけよ!?お前達が持続可能な社会のために努力しているのはいいよわかったよでもそのために消費者に無駄な0.5回分のへにゃへにゃで保存に気を使う容器を利用するスプレーボトルとは別途保存しなきゃいけないって一度でも考えたことある!?なぁ!?0.75*2の2回分ってこと!?百歩譲ってそういうこと!?それもおかしいだろ1.5を二分割だと捉えることある!?ないよ!?私が詰め替える瞬間忘れていた間接的原因もこの数値にあるんだよ!?せめて1.8くらいあれよそしたら詰め替えてる途中で思い出したわもしくは三分割くらいできる量であってよ考えろよコストとデメリットをよ!? ……はぁ。 ……ここもあとでもう一回ブラーバに拭いてもらいます……。 あの胃の最終巻を呼んだ。登場人物に「解釈することしかできない」と語らせて因果の説明を放棄するのはさすがにどうなのと思いつつも伏線を回収しないではないかというのもまた読者の傲慢と語りかけられている気もして……むぐ……。 ラブコメ的成分は最後までよかったです。食を最後にちゃんと持ち出してくれたところが好感がもてた。でも性質上ラブが8合目にいくと食をしてくれなくなったのが残念だ……。 酒を買いに行きました。月一の遠出です。 今現在、酒を買いに行く店が4店あり、酒が切れる度に4店をぐるぐる周回してそれぞれ1.5回くらい行ってるのだが当番の店が月曜定休でんだったため3回目となる近場の店に行った。一抜けた形だ。 白露垂珠 La SPLENDIDA Ver.3 純米吟醸直汲み生原酒 試飲して超うまかったから買った。早速本日開封。 鈴正宗 純米吟醸 無濾過生原酒 ハッピー 話好きな店主の勧めに賭けた。パッケージがやばいね。 あとちゃんとした値段のにんにくを買った。 暖かい外に出て自転車を走らせたためなんか眠くなった上で自分で決めた締切2つに間に合わなくなりそうで焦った。 Among usプレイデータ 平均プレイ人数:8.3くらい(インポスター2) 私がインポスターになった割合:8/34=0.24 メンバー平均インポスター勝利率:23/34=0.67 私がインポスターになたった時の勝利率:7/8=0.88 私がインポスターになたった時の平均キル人数:15/8=1.87 ふ~~~ん(「嘘のヤバい人間と本当にヤバい人間の差はこういうところで出る」「こういうやつが大衆を扇動して民主主義を衆愚政治に持ち込む」と詰られるなど) 一回目は私が主催したが二回目は一回目の参加者が主催してくれた。自分で作ったこういう「場」が周り始めるのを見るのは結構好きだ。 麻雀は「何切る」を解けと教えてもらったのでやってみます。
Author: shortest
また一ヶ月日記書こうかな。先に書いておくが全然外には出ない。本当に。引かないでよ。先に言ったんだからな。 注文したテスターが届いておらず明日は遊ぶ予定もあるため本日はぼやぼや職をする日にする。出勤日ではないので2種ある業務用SNSにも全然人がおらず、返事を溜めているが気が急くこともなく、悠々と仕事をした。前職も休日に出勤して誰もいない部屋でぼやぼやしていたが職場に出ていないにも関わらず同じことをしている。疫病云々以前に人間の密度なんて低い方が快適なんだから私は社会のエントロピーを下げている。感謝してほしい。 某コンペに手を付けようと思っていたがぼやぼやしすぎて駄目だった。今週のどこかで時間を作ろう……。 前日に仕込んでおいたあさりと昆布出汁の味噌汁を作った。うまい。天才の所業。前の晩から台所に季節のものと時間を要するものがセットしてあるという状況にできる人間を感じ興奮する。常に台所が「仕込み」の状態だったら多少散らかっていても許される気がするな。多少はね、多少は。 そして多少どころでなく床が汚れている。 床拭きロボット ブラーバ ジェット 250/240 申し込んだ。まぁ恐らく購入はしないと思う。でも2週間家をブラーバが走っていることには2000円以上の価値があるだろう。この前友人が動物を飼い始めたのを見て、羨ましかったもので。 スーパーに買い物に行き、塩秋鮭、パン、フライ、野菜ジュース、納豆(たまご醤油タレ)、プリン、ヨーグルト、ラーメン、さば、ムニエル粉、そら豆、味玉(半額)、モンスターハンターライズを買った。会計を済ませる前ににんにくが切れていたことに気が付き2階に戻ってにんにくのコーナーに行ったが200円の小粒のにんにくしかないことに憤慨し、なんとなく今日作る予定のカレーに必要な気がしたが買わずに帰った。帰ってレシピを確認したらやっぱり必要だった。やれやれ。明日以降検討します。 コンペの準備をせず何をしているかというと麻雀をしている。人が雀魂で配信しているのをBGM代わりにしていたら久々に打ちたくなったので。ルールと役が一通りわかる程度の初心者なのだが、一度しかない人生であるからせっかくなら牌効率とか河の見方とかちゃんと勉強したいなという気持ちになってきた。どうやって勉強したらいいんだろう……。教科書とかある? データで勝つ三人麻雀 この本は気になっている。三麻は雀魂で初めて触ったが高い役がばんばん飛び交うし北抜きの力が強すぎるしでもうこれ別のゲームじゃん!と思って笑けてしまう。でもスタンプに反応してくれる人が明らかに多いところは好きだ。なんとなく俺達はマイノリティだぜという一体感(卓の数も少ないし同卓の人数も一人少ない)と、本流でない故の気軽さがそうさせていると思う。
現代を生きるオタクのためのテクスト論
最近テクスト論の立場で物を喋ることが多いので、テクスト論ってこういうことだと噛み砕いておきます。学術的に間違ってる部分があったらすいません。優しく指摘してください。 テクスト論というのはなんらかの作品(文学など)を語る際の立場です。1968年にフランスの批評家ロラン・バルトが出した「作者の死」というエッセイに端を発すると言われます。 テクスト論が立てる誓いは一つです。「テクストのことはテクストとしてしか見ないぞ」。テクスト以外のものとは何かというと、作者です。作者というのはそれまでテクストにとって特別視されていた存在なので、作者が死ぬことで読者は全員が平等になり、読者の批評(オタク言葉で言うところの解釈)も平等になります。 例えば国語の問題でよくいうところの「このときの作者の考えを述べよ」はテクスト論的ではありません(設問が物語の場合)。「作者は1973年に地元で震災を経験していて、この小説は作者の悲哀を描いている」もテクスト論的ではありません。あとは挿入描写がない作品における「この作者はA×Bのつもりで描いてる。ツイッターではABが好きと言ってたから」もテクスト論的ではないです。作者の思想や近況は作品に影響を与えるかもしれないが、そのプロセスは読者は推察できない、しない、というのがテクスト論の立場です。 ではテクスト論ならどう語るかというと、これは読者次第としか言いようがありません。テクスト論において批評とは読者と文字列たるテクストが不可分に混ざりあった結果の相互作用です。援用する主義主張、他の作品、時代背景、全て読者次第で自由です。「作品の批評」とは「作者の思ったこと」ではなく「読者の思ったこと」です。 Q. そうは言っても、「山に登った」という台詞を「海で泳いだ」と解釈することはできない。ある程度は「正しい批評」が存在するんじゃないの? A. 他者に伝わりやすい批評や他者に支持されやすい批評は存在します。作者による自己批評は何より支持されやすいかもしれません。でもそこに特段の正しさはないです。 あとは主観的な批評(自らの感性に依る)と客観的な批評(他の作品や主義主張、あるいは高度な教養に依る)という軸も存在します。これもどっちがいいとか悪いとかはないです。 Q. どうしてテクスト論の立場をとるの? A. 私の感性を守るためです。 現代では好きな本の作者は雑な政治的意見で炎上するし芸能人は不祥事を起こして作品ごと発禁になるしソーシャルゲームの運営はnot for meな施策ばかり打ちます。同人活動においてもそのようなギャップは尽きません。それでもテクスト論の立場に立つと、私が作品から受けた影響とそれらのを切り離して論じることができます。これは心の健康にいいと言えます。 具体的には、私は「その作家の作品を好む」ことと「作者を応援する」こととは切り分けて考えています。作者に作品の外で失望した結果、その作家の作品を買う気が失せるのは普通のことです。それは作家を商業的に応援したいと思えなくなったに過ぎないことだからです。「購入する」という行為はときに「物品として所持する」以上の意味があることだと思います。 Q. 私はテクスト論の立場には立ちたくない!作者さんのことだってもっと知りたいよ! A. いいんじゃないでしょうか。 私は私の感性を守るためにテクスト論に立つと書きましたが、逆に「この人がこの作品を書いたことにこそ励まされる」というケースも当然あると思います。私も友達が出した尖った同人作品には痺れます。 文学において作者の主義思想を知ろうとする研究は作家論という別の体系になりますが、順序としてはこちらが先行でした。そもそもテクスト論は不自然です。何故なら人間は喋る言葉から相手の思想を類推しようとしてきた生物だからです。 最初に述べたようにテクスト論は単なる立場なので、文学研究者でもない市井の民がどんな立場に立つのも自由です。なんなら辛いときだけテクスト論を逃げ場に使ったっていいと思います。 Q. 私はテクスト論の立場には立ちたくない!私は私の思う通りに読者にだって読んでほしいよ!A. 立派だと思います。 私も自分が意図した演出がその通りに読まれなかったら未熟さを感じて落ち込むと思います。一般にそういった感情は上達への原動力なのではないでしょうか。 テクスト論はあくまで読者の立場であって、作者の立場からの「私の演出が読者に伝わると嬉しい」という願いとは矛盾しないと思います。「私の演出が伝わる読者にしか読んでほしくない」までいくと、確かにそのための行動が必要だと思いますが。 同人活動をする現代のオタクこそ、テクスト論を知っておいても損はないんじゃないでしょうか。そこでは我々は、国語の問題を一方的に解かされる学生の立場ではありません。自分の作品と作家たる自分、他者の作品と読者、自分と他者の関係で悩んだり苦しんだりします。現代の批評理論を賢く利用してよき同人ライフを送りましょう。 参考文献 文学のトリセツ 「桃太郎」で文学がわかる!(小林真大)とりあえずここから始めればよいのではないかと思います。人に説明しようと思って改めてめくるとよく書けてるな~この文章って思いました。 批評理論入門 『フランケンシュタイン』解剖講義(廣野由美子)私が文学批評に興味を持った最初の一冊です。ジェンダー批評のところでオタクの喋りと完全に一致するのがめちゃくちゃ面白いのでぜひ読んでください。フランケンシュタインを読んでから読んだ方がいいですが、課題図書が一冊で済むのは良心的です。 読者はどこにいるのか 書物の中の私たち(石原千秋) 作者がいないなら読者だって俺達のことではないぜという本です。
Slay the Spireがおもしろいぞにっき
面白そうなゲームの記事を読んでいて末尾でハードがPS4のみだとわかった時いつも悲しい思いをしているので先に情報を書いておきます。 【タイトル】Slay the Spire 【ハード】steam, PS4, Xbox One, switch, iOS, Android (2/3 on sale!) 【値段】2000円くらい つまり誰でも気軽にできるということだ! 【どんなゲームなの?】 ローグライク+デッキ構築とかいうジャンルらしいけど私はどちらもよくわかりません!限られた資源(回数と資金)の中で初期デッキからランダムで出現するカードの追加と削除を繰り返して強いデッキを構築するゲームだよ!一周ちゃんと戦い抜くと90分くらいかかるけど大抵その前で負けるから大丈夫です。 【何が面白いの?】 「俺は昨日より今日このゲームが上手くなっているぞ」と思えるのが面白いよ。カードに相性やコンボが潜んでいるのですがそれを自分で見つけたり、人がやっているのを真似て上手く回したりするのが気持ちいいよ!単純にコンボを揃えようとすると、揃う前は弱いデッキになってしまうので汎用性の高いカードを先に獲得していくなど、カードを獲得する順番にも戦略が求められるよ!!カードの獲得と削除ができるタイミングは限られているこのプレイではどのコンボを重視していくか決める瞬間は毎度震えるよ!!! 戦闘では敵の行動予定がほぼわかっていて自分の与ダメにも乱数が入らないので、暗算するとそのターンに倒しきれるかきっちり計算できるよ。今暗算って言ったから怯えた人もいるかもしれないけど小学二年生でもできる計算だから心配いらないよ。 私はそろそろ伸び悩んできたので今日このにっきを書いているよ。 特定のコンボに固執するようになったら終わりだわ。 【難しいの?】 比較対象がないので難しいかどうかはわからないけど、操作性がいいのでとっつきやすいとは思う。こういう戦略性のあるゲームってある特定のユニットのみが使う能力とかが出てきてどんどん覚えるのがだるくなるんですけどけど、Slay the Spireは全部画面にポップアップで説明が出る。バフの計算もやってくれる。今あるカードが強化前だとしても強化後のデータもボタン1つで呼び出せる。こういう気遣いがありがたいねぇ……。 塔を登り始めた君は私とお話してくれよな。じゃあ私はデイリーチャレンジやるのでこの辺で。
聖なるズー感想
論理に裏打ちされた言葉で明確に語られることこそないけれど、あまりにもわかりやすく終始「人間と何が違う?」ということを問いかけ続けている。言語の外に性行為の誘いを受け取ろうとすることは、ヒトの男女の恋仲においても貴賎を問わず散々議論されていることなのが興味深い。受け取る目がないだけでそれが当然存在しうるはずだという、エピソードを踏まえた議論には納得できる。考えてみれば生き物だから当たり前だ(動物の種認識というのは大分テキトーなので)。 序章と最終章ではノンフィクションらしい筆致で感情を存分に揺さぶってきたが、基本的には研究者らしい批評の目線で綴られるのも精神の健康によかった。パッシブとアクティブの語りやすさに関わる議論、男性器の持つ暴力性なんかは、よくそこに気がつくなと思った。猫でも馬でも、結局膣のサイズが性行為における暴力の有無を決めうるという議論も身も蓋もなさすぎて(というと言い方がよくないが、なんていうかあまりに生物学的すぎて)笑けてくる。 でも素直に受け止められない部分もあり、「ロマンティックなズー達」では愛(性行為における対等性を導くとされている)がなければセックスしたら駄目なんだろうか?という疑問が必然的に想起される。例えば動物行動学がより発展して、求愛のシグナルが(そこにパーソンの理解がなくても)科学的に解析できるなら、性欲を解消するためのセックスが(ヒト同士で成立するのと同様に)成立しうるのではないか。本書がテーマにしているパーソンを理解した上での性行為はやっぱり一角に過ぎなくて、実際には獣姦の中にもっと多様な性のあり方が広がっているような気もするし、ゼータの外の人々やエクスプロア・ベルリンの体験に作者もそれを感じているだろう(この辺調査が進んだらまた本にしてほしいよな。博士に進学しているから期待できる)。 日本に獣姦を規制する法がないのは意外だった。FANZAで規制されてるからてっきりあるものかと思ってた。ヒトのレイプ作品とか普通にあるわけだから、これも一つのセクシュアリティに対する差別かなとは思うが、もうちょっとステップがないと現実の理解の促進には到底寄与しないかも(だって動物との純愛をテーマにした作品なんてほとんどない訳だし)、と感じた。まぁ創作がいつだって現実の理解のためにあると思ったら大間違いだけどさ。 動物を飼うことに興味がないのに概念の動物と人間の愛情について興味がありすぎないか?なんなんだ?