起床。

カルダモンカレーの材料を揃えに外に出るがココナッツミルクが見つからずスーパー2件を梯子した上で1時間彷徨った。血迷ってアーモンドミルクで代替えできないか検討し始めた頃に中華調味料の棚に置いてあるのを発見した。牛乳の棚をずっと探していた。考えてみたらスーパーというのはこんなに重要な施設なのに原始的で不思議な空間だ。欲しい物の場所を探す方法は店員に聞くしかない訳だから。
ついでにずっと手に入らないままだったクミンシードを見つけて満足した。でも今見直したらチリペッパーだと思って買ったスパイスがチリパウダーだった。やれやれ……。
創作をしていない分の何かを作りたい欲が料理に向かっていて我ながらすごくわかりやすいな。
デイリーポータルZの過去記事を読んでいたら気になって、BOOTHに飛んだら昔一度お気に入り登録していたようなのでルールに従って買った。
これの1作目がすごく「BLらしくて」面白かった。現実の人間をBL創作でいわばパロディする、みたいな試みが上手く行っている。現実の人名をキャラクターの名前に変えても成立するというか……(ナマモノを全然知らないから驚いただけでもしかして多くのナマモノがそういう方向を志向しているんだろうか?)。BLとはやはりテンプレートを楽しむ創作ではないかと再確認した。勿論本題のその試みがメタな構造になっているところも見事……。古賀さんの描写がやたらリアルなのはなんなんだ。そこがBL創作らしさにも小説そのものにもいい味を与えている。

ダンガンロンパが終わったのでまた何かやりたいなと思ってセールを眺めていたら大神が半額だったので買った。初期から主人公(狼)が歩いた後に花を生やす能力を持っていて楽しい~。

起床。どこにも行かなくていい……自由だ……。嬉しい!

ここ一週間程真面目に考えていたが、仕事用の個人ブログかQiitaかツイッターアカウントかそれら全てがないとどうしようもない、という結論が出た。
しかしながらその際に設定すべき項目は多い。どのサービスを選ぶか?どう使い分けるか?アイコンは何を使うか?何と名乗るか?本名をどの程度臭わすか?誰をフォローし誰のフォローを返さないのか?会社の人とどの程度つながるべきか?日常と技術の投稿割合はいかほどか?
人格のセットアップが面倒臭い……。でもこういうのは事前に方針をしっかり立てることが長期的運営の上で重要だ……そうだろうか……アカウントって運営するものだったろうか……。
そもそも私は複垢が苦手で、もっと根本的な話をすると、人間の表裏的な情緒がウィークポイントだ。「あまりそのことについて私を考えさせないでくれ、悲しくなるから」ということだ。他人の複垢の存在のことを考えると、それが友人なら「私の知らない彼/彼女がそこにいる……」と思って落ち込むし、親しくない相手なら「そこで私の陰口を言っている……」と思って落ち込む。人間が人間と干渉するときにその相手にしか見えない一面があり結局のところアイデンティティとはそのような面の集合にすぎない、そこは納得している(いや、本当はあまりしてない。全部見たいので)。でも本来それはその相手にしか見えないはずの一面であるべきでは?表、裏ならぎりぎりOKだ。裏は一生私に見えないから。でも三面以上あるともう無理だ。厳しい。落ち込む。
これは自分に向けてもそうで、究極のところネット上でもあけっぴろげに本名を晒しておきたいという欲がある。平成のインターネットに育てられた人間として、ネットで本名を晒すなどド素人がすることだという価値観を叩き込まれてはきたが、今の時代、慎重になるべきはそこではないのではないかという気もする。しかし情報拡散は不可逆であるから、この件は人生をかけて慎重になって損はないのだろう。本名を晒したところで自分がすっきりする以外の得もない。私がもっと屈強になれば……あるいは……。
10人ほどフォローして二文程自己紹介を書いて疲れたので終わりにした。あとで見に行ったら1人フォローが返ってきていた。
ラジオを聞いていると言ったが、ふとどんなラジオ番組でもゲストが来ている回が苦手だと気がついた。これは、あれだ。人見知りだ。
注文していたカレーのレシピ本が届いた。自炊はそこまでしないのにカレーだけめちゃくちゃ上手かったら面白いかなと思ったので。
前に書いたように先んじて作者への信頼が必要なので、よく作るカレーレシピの主が所属するユニットの著作から選んだ。どきどきしながら開いたが、どのレシピもスパイスやミキサーがちょっとずつ欠けていてちょうどすぐには作れないものばかりだった。やはりレシピはドリルではない。すっかり落ち込んだ。週末はオモコロに載ってたカルダモンカレーを作ろう……。
ダンガンロンパ2をクリアした。最終章の畳み掛けるメタと押し付けがましい展開がかなり興ざめ。ゲームが大なり小なりナラティブだという話をちょっと書いたが逆に言うと「ここまでプレイしたならプレイヤーは皆こういう感情になるはず」という予測は大なり小なり傲慢なんじゃないか。
カレーのレシピ

起床。

起きて髪をとかして美しく整列していたパソコンのケーブル類を全部抜いてラックから下ろして電源コード縛って靴に中敷きをいれて袋にしまって……マスクを忘れてた……日傘を畳んで着替えて日焼け止めを塗って……これ社用じゃなくて私物のパソコンじゃん……もう1回ケーブル抜いて電源コードを縛って……。
やはりたかが通勤1回目の私には何もわかっていなかった。次からはもっと力強く通勤の無駄さを主張していこう。明日から自宅の素晴らしさを噛み締めて生きていこう。それがよくわかった貴重な一日であった。
中敷きは一切効果がなかったし上司はスニーカーで打ち合わせに行っていた。
久々にノートパソコンのキーボードをつないで作業したが、いつの間にか運指が家のキーボードやトラックボールに適応しており、ノートパソコンが使いにくくて難儀した。つまり万が一出勤してしまった時に備えて職場に二台目のlilyを置けということだ。そういえばこの前久々にパソコンで絵を描いたが右手のキーに割り振っているショートカットキーが使いにくくて難儀した。つまりショートカットキーのために一体型キーボードをもう一台買えということだ。
手羽元をクミンとカルダモンとレモン汁とワインに漬けておいてオーブンで焼いたやつが美味い。

起床。

布団の中でじっ……としすぎて、ゴミを出しに行ったらちょうど収集車が次のマンションで作業をしているところだったので慌てて作業員さんに手渡した。作業員さんが言うにはこの道路は最近昼間は工事で通行止めになっているから早く来た、しかし昼にもう一度来るので安心しなさいとのこと。愚鈍な生物のために1日に2回も収集を!?ありがたすぎる……出すゴミはないのだが……。
明日取引先と会議があるため二度目の出社をすることになり、着る服がない(本当にない)ので嫌々ユニクロに行ったが正しい選択をしたのかよくわからない。オフィスカジュアルってなに?スーツって夏も着ていいものなの?何もわからんのですが。持ってるパンプスもサイズがあってないので中敷きを求めて駅近辺を徘徊。みつけたはいいが肝心のパンプスを持ってきてないのでスリーサイズあるうちのどれが適しているのか全くわからない。店員さんが真ん中のを指してこれだとワンサイズ上がりますねと言うから、じゃあそれでいいですと買い、店員さんを困惑させた。本当に服のことを考えるのが嫌なのでこういう選択の仕方をしてしまう。早くファッションのことでとやかく言われないくらい偉くなりたい……。
大体明日の会議だって前と同様にリモートでよかったではないか……一言上の人間の誰かがそう言い出せばそれで済んだのに……。
仕事のことを全く書かないまま突然SNSから消えると仕事に殺された人間みたいで怖いと言われたので仕事のことを書いてみました。どうですか?
レシピを広げる書見台(いい言葉だ)が必要だと感じていたが、物を眺めた末、今使っている100均のタブレットスタンドが最適だと結論付けた。100均にはそういう出会いがある。

起床。

まだうっすら掃除機の排気がホコリ+コーヒー臭なので、朝嗅ぐコーヒー豆の匂いがホコリ臭のように感じられて嫌になってきた。やはり買い替え時か……?いよいよルンバを……。24時間家にいるというのにいつ走らせるんだ……。
「読者はどこにいるのか」読んだ。指示語が指すものがわからん、文意が取れないなどの純然たる難しさがあったが(特に最終章)各トピックは面白かった。もはや現代では成り立たないことが想像しにくいような前提(黙読のできる環境、印刷技術の普及等)から近代読者が生まれ、特に黙読を通して「同じテクストを読んでいるのだから私と皆の考えることは同じはず」という空想が生まれて、一方で全集が足りなくて学生が作家論を論じるような風潮が廃れて(この辺は「そんな理由で廃れちゃうの!?」という面白さがある)テクスト論が生まれ、その中で読者(作者=テクストが成立しないのと同様にここでの読者とは必ずしも字義通り我々を指すのではなく、テクストと向かい合う際の仮想の頭脳みたいなもの)はどのように本文を読んでいるのかという話……(ここまでが序章)。全然違ったらごめん。
テクスト論を援用したら読者が無敵になれて嬉しいのではないかと思っていたが寧ろそういうことは容易には起こり得ない、テクストは読まれるように読まれるということだったので(そりゃそうだ)無念だったが、そもそも「作品を通して簡単に作者の思想がわかるなんて傲慢だ。だからテクスト論という立場を取るのだ」という大枠には同意できたのでこの方向でいろいろ読みたし。ただ、テクスト論の立場から外れるのは簡単なこと(あくまで立場なのでテクスト論に立つことは難しい→だから高等だ、ではない)なので、私も意図せずそういう言い回しをしてしまうことが多々ある。
具体的にテクスト論を援用してどういう悪さをしたかったかというと、テクスト論の立場に立てば作者がどんなタグ付けをしていようが読者がどのようなカップリング(主に問題にするのは非R18作品の受攻)として読もうが自由だという話をしたかったのだが、少なくともテクスト論の立場に立つ読者はそのように読んでもよいという話であって、当然ながら作者はテクスト論の立場に立つように読者を強制することはできない。あともしかするとタグは当然の如くテクストに含まれないと思っていたが、もしかするとパラテクストと呼ばれるものなのかもしれない……。

4月から家計簿を付け始めたが(転職前は支出と収入のバランスがカツカツすぎてつける意義がなかった)眺めていたら予算が余っているのを発見して気が大きくなり、Amazonで文学理論関係の本を買い込んでしまった。勉強するか……。

勉強はいいがそもそも予算が余っているからって使い切っては駄目なんだろうな。最近友人から積立NISAとiDeCoの話を聞き、「例の!」という気持ちになった。実際にやっている人を始めて見た(周囲もカツカツで暮らしている人ばかりなため)。世界経済インデックスファンドでも年金でもいいのだが、「世界経済は(大まかには)成長し続けるだろう」とか「自分は65歳まで生き続けるだろう」とかそういう明るい未来の展望を持てること自体がすごいな。確率的には世界経済は成長するし日本人男女は65まで生きるだろうが、なんだろうな、あまり自分に関わることと思えていないな。