起床。
この三文字は、毎回決まったワードで始めると執筆時のハードルが下がるのではないかという仮説に基づいて書いている。デイリーなら地主さんは「〇〇というものがある。」という定型文で記事を始める。たまに別のライターさんが同じ言い回しを使うとちょっと混乱するが、この言い回しは地主さんのものではないので不当な混乱と言える。こんなに一般的な表現でも使い続けていると読者の脳の中の著作権を専有できるものだな。
モデルが動いた。よかったですねぇ……。
飲み会で自作キーボードの喧伝をしていた。一度分離型に慣れたらノートパソコンのキーボードに戻ると違和感がすごい、云々。それでカメラに写そうとしてケーブルを引っ張ったらpro microがもげた。
面倒くさいな〜という感情が先に来た。パソコンをラックから下ろして配線を修正することが面倒くさいし明日から数日はノートパソコンのキーボードを使わなければいけないのが面倒くさい。さっきそれ言ったばっか!それから「出費が……」という悲しさが訪れ、最後に「でもpro microのもげというのは自作キーボードあるあるなので、この身でそれを体験できて嬉しい」という喜びが少量やって来た。最後の喜びのみを飲み会で控えめに共有するに留めたが、人に「悲しみが先に来ないのは金銭感覚が狂っている証拠」と指摘された。そんなことはない。
その場で新しいpro microを注文した。
どんなアイドル(商業的アイドルだけでなくユーチューバーや身近な憧れの人間も含めて)にも突然熱が冷める瞬間というものがあると思うが、私は「自分のファンを蔑むところを見た瞬間」が駄目だなと気がついた。具体的な名前は出さないが、前に好きだったアイドルが自分を熱心に擁護するファンのことを「信者」と呼んでいて、その瞬間にぱっと熱が散るのがわかった。もちろんそのアイドルは考えもなくそんな言葉遣いをした訳ではなくて、きちんとそのファン達に対して批難の文脈があり、意図的にその言葉を選んだと思うのだがそれでもなんだか駄目だった。言語化するなら、「調子に乗ってるな、こいつ」という感情が近い。
書いてみたらすごく「正しいアイドル論」みたいな主張になってしまって本意ではないし、当たり前の事を主張しているだけにも思えてきたのだが、自分が蔑まれた訳でもないのに少し不思議な話だ。