お詫びと謝罪

共用の塩入れに間違えて砂糖を補充したのは私です。 善意の行動だったのです。皆さんのためにと思ってしたのです。 煮物を作ってなるべく早く消費しますのでご寛恕ください。 最近はドラゴンカーセックスアンソロジー(こhttps://walkingchair.booth.pm/items/965922れ)を読んでます。全ての世界はドラゴンカーセックスで結ばれているという天啓を得ることができ、よい。つまりサイエンスフィクションですね。 ドラゴンとカーがセックスした結果何が起こるかで終わらず、何故起こるかに踏み込んでいる点、やはり竜とダイヤモンドは輝いていますね。 SFをかくには若輩者すぎますがエテルノのドラゴンカーセックスアンソロが出る際には最大限の努力を惜しみませんのでご用命下さい。 流れよわが涙、と孔明は言った (ハヤカワ文庫JA)   三方 行成 https://www.amazon.co.jp/dp/4150313725/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_vE38Cb0ZMWMHE

そもそも漫画を打ち切るな

楽しみにしていた漫画の更新日に待ってましたとブラウザを開くと、展開は突然急になっており、そして何の前触れもなく終わっている。ご愛読に感謝します、次回作をお楽しみに!打ち切りというやつだ。 すると、さっきまで私が大事にしていたものは未完という傷物になってしまう。一体私は何を好きでいたんだ?終わるその瞬間までの物語は変わりないはずなのに、不安にさえなる。 世の中には小説に漫画に映像に無数の物語が存在するが、物語は終わらなければ物語じゃないと思う。いい話とか悪い話とかそれ以前に、そもそもそれを評価できない。途方に暮れるだけだ。 もちろん漫画の作者は読者がそんな気持ちにならないように、限られた話数の中で懸命に終わりを組み立てる。でもそんなものは無理難題だ。打ち切りだと明言されようがされまいが、余程周到に準備されたゴールでなければ(松井優征の逸話を踏まえて喋っているが、そこまで考えているのならそれはもう一種の「作者が想定した終わり」だろう)読者にだってわかるに決まってる。 なんなんだ。馬鹿にしてるのか。 考えてもみて欲しい。途中まで読んでいた小説が突然ある項をめくったら真っ白のページになることがあるか? 1クールだと思いこんでいたドラマが8週目で突然別の番組になることがあるか?(追記:あるらしい) そんなものは乱丁だし放送事故だ。でも漫画ではそういうことが当たり前のように起こる。 そういうことができるのはエッセイ(漫画)や随筆(文)であり、媒体で左右されていいものじゃない。 物語は作者の志の通りに終わるべきだろ。道半ばの人気に左右されていいものじゃない。 自分の作品を打ち切りという形で終わらせたい作者なんてほとんどいないとは思う。最近は出版社がファンから非難されるので、打ち切りを作者が明言することさえ避けられるらしい。見る目がないとか電書がどうとか初動がなんとか。 でもそういうシステムに甘んじているという意味では、私にとって出版社も作者も同罪だ。システムが悪いと言っているので、出版社も作者も悪くないとも言える。 打ち切りの話ばかりしたけれど、連載継続だって同じだ。 ストーリーを描く漫画家は連載前にこの話がおおよそどれくらいで終わるか出版社に提示するべきだし、出版社は一度載せる価値があると決めたなら作者が提示した終わりまで枠を買いきるべきだと思う。既存の形で言うと、短期連載に当たるのか。 多分こういう形では長編ストーリー漫画は生まれない。 そもそも漫画は小説に比べれば同じ物語を紡ぐための作業量は膨大で、長い話を語るのに向いた媒体ではないだろう。 でもそのように、物語の長さが媒体に縛られるのは漫画に限った話じゃない。映画は4時間撮れないからといって、前編だけで終わる映画があるか?2時間なら2時間で、それに適切な脚本を作るのがプロの筋だろ。 物語を続けていきたいなら、作者の実績等を鑑みてシリーズ化や続編の措置を取って欲しい。あるいは描き下ろしの形で作者が出版社に持ち込むかだ。打ち切りは乱暴すぎる。数話単位という本来その長さでは評価できない長さで物語の商業的成功をチェックして、駄目なら切り捨てる。それは出版する側からはローリスクだろうけれど、今まで読んできた物語が突然終わるというリスクを読者に押し付けていることを自覚しているのか。 出版社の見る目がないとか作者は悪くないとか読者が声を上げて応援とかそういう話してない。そもそもストーリー漫画を打ち切るな。そういう話でした。 追伸。偉そうなことを書いたのは、最近まで描いてた漫画を最後まで無事描き終えて安心したからです。よかったよかった。

4月はよく物を買った。本棚とipadのスタンド(×2)と左手用デバイスとスタイラスペンとポスター貼る専用の両面テープ、あとザル。 ipadで絵を描くと肩が痛くなるなとは思っていたのだ。一年くらいずっと。 でもそれを物によって解決するという考えがなかった。調べたら先人がいろいろ教えてくれた。ダイソーに何度も足を運ぶのが面倒だったので気になったのを2種類買ってきた。贅沢な暮らしだ。両方よかったので片方は職場に持っていった。 スタイラスペンもapple pencilがあったので普段は不便を感じなかったが、持ってくるのを忘れた時に安いのでいいから置いてあるといいなと気がついた(またも贅沢な暮らし)。一年たって。ようやく。 ザルにいたってははっきり覚えているが引っ越しの時かさばるから捨てた。なんで?ザルがあるとインスタントラーメンがめっちゃおいしく作れます。 あと空いた本棚が家にあると最強の気持ちになれるから、もっと早く買うべきだった。 気がついたのだが一人暮らしも長いのに衣食住の住が下手だ!物を買うと生活が便利になる!

一日寝込んでおり、どうせ動けないので積んでいた同人誌を崩した。友人に今日はがんばって同人誌をたくさん読んだよ、と報告すると、即レスでえらい!と返ってきた。 「これは一般には認められにくい努力に対する適切な褒めだ!」と思って感動した。 褒められの嬉しさは現象ではなく努力に比例すると思う。 生得的にもっている顔を褒められるより化粧した顔を褒められる方が嬉しい、みたいな。 しかしそのような褒めのツボは一見しただけではわからないことも多いので、一見さんが的確に押すのは簡単じゃない。 フォームの隣に選択式でボタンがついている(読んだ、とか、刺さった、とかいう選択肢がある)web拍手を見たことがあり、あれはいいものだなと思った。 今描いているやつは「ラブコメじゃん!」って褒めてほしいです。めっちゃ頑張った結果ラブコメになっているので。

ロッキンユー!!!眺めてて改めて思ったけど漫画で歌詞まで出して歌唱シーン描くのってやっぱりプロでも難しいもんなんだな……。歌詞をそのまま歌っている訳じゃないし読んでる側はリズムを知ってるわけじゃないし……。 いやでもわかんないな……刺さる人には刺さってるのかな……月に吠えらんねえの詩の引用部とか……。 空気全開ポエム全振りの漫画を見てるとうわっ同人っぽい!と思って嬉しくなるな。紙面ぎゅうぎゅうに詰めてしまう癖があるので。小説だとできるんだけど……恥ずかしいのかもしれない……。

何故安蘭寺くろみは安蘭寺くろみを名乗るのか?

※重要参考文献である殊能将之のブログが未見のため勘違いが含まれる可能性がありますがせっかく書いたので公開します(そのためのブログだし……。)何かお気づきの際は御指摘してください。恥ずかしいので。(3/29記) 安蘭寺くろみは円居挽の最新刊、「さよならよ、こんにちは」の主に書き下ろしパート(「京終にて」)に登場する謎の女性である。 いかにも胡散臭い名前だが、本人も登場人物達に向けて「人間相手に教える名前だよ」と嘯いている。その本名は人類には認識できない音なのだそうだ。自身の正体は「本陣半の中に潜行する存在」、と語っており、おそらく鏡花の会の信仰対象であり御堂丁や御堂辺理がその身に下ろす「はたたみ様」であると考えるのが自然だろう。 さて検索してもらえばすぐにわかるが、「安蘭寺くろみ」という名前の元ネタは殊能将之の「黒い仏」だ。「安蘭寺」は物語の舞台となる架空の寺院の名前、くろみはその寺の本尊の愛称である。 「黒い仏」に関する解説はインターネットに数多くあるので詳細は譲るが(参考1)、作品全体がクトゥルフ神話を下敷きにしているそうで、安蘭寺という名前はクトゥルフという言葉のもじり、本尊の「くろみ様」は神のニャルラトホテプの像を表しているらしい(参考2)。 円居挽は殊能将之のファンを公言しており(参考3)、麻耶雄嵩の作品を始め、たびたび固有名詞を他所から引用してくる挙動を考えれば珍しいことでもない。 つまり安蘭寺くろみが安蘭寺くろみを名乗るのは、作中で人智を超えた存在として描写されてきたはたたみ様が名乗る偽名として、敬愛する作家がニャルラトホテプにつけた固有名詞を選んだからだというわけだ。そう考えると、彼女が本名を名乗る際の「空気が漏れるような、テープを早回ししたような妙な声」という描写もそれらしく思える。 (※少し飛躍はあるが、はたたみ様自身が「黒い仏」の知識をもっており、この偽名を選んだと考えることもできる。ルヴォワール作中の中では殊能作品への言及こそないものの、麻耶作品が実在していることを仮定しなければ不自然な台詞回しが見られる) と、ここまでの論考をひっくり返すようなことを言うが何故突然、「黒い仏」なのだろう。円居の固有名詞使いが唐突なのはよくあることだが、いくらなんでも唐突過ぎはしないか? 「京終にて」の中盤には「KUROMI ANRANJI」(参考4)とローマ字表記で安蘭寺くろみの名前が登場するシーンがある。わざわざ字体を変えておどろおどろしく記されたこの一文には少し違和感がないでもない。強いて言えば、ここでローマ字表記が出てくる意義が感じられないのだ。 円居作品におけるローマ字表記といえば、丸太町ルヴォワールにおいて城坂論語が御堂達也へのメッセージとして利用した即席の暗号が挙げられる。暗号はアナグラムを利用していたため、話の流れから見ればいささか唐突に感じられるが、それこそが御堂達也がこの一文を暗号と見る手がかりになったのである。その唐突さに似た違和感が、この「KUROMI ANRANJI」にも感じられるのだ。 改めてKUROMI ANRANJIの文字を見てやると「KAMINARI」の文字が拾えることがわかる。 ルヴォワールシリーズにおいてかみなりといえば雷神の子、そして神成りの達也の象徴だ。そして何よりも安蘭寺くろみ、すなわちはたたみ様は「御神木に『落ちた』」と記されており、おそらく雷に関連する神か、雷そのものとして描かれている(今出川ルヴォワール・講談社文庫・P230)。 さてそうすると気になってくるのは残りのローマ字だが、残念ながらここからは意味のある言葉を拾えない(RNZUOの5文字)。「KAMINARI」の8文字を拾うためには「安蘭寺」と「くろみ」の両方を名前として使う必要があるため、残りを細工する余裕はなかっただろう。 つまりはたたみ様、あるいは円居挽が固有名詞として「安蘭寺くろみ」を選んだ理由はもう一つあった。はたたみ様の正体である雷を暗示させるがゆえの固有名詞だったのだ。 あとがきにて円居挽は、「さよならよ、こんにちは」には一貫して「もう失われてしまったものを書く」というテーマがあると述べている。 失われてしまった作家は、読者の記憶から消えていく。円居挽が残したかったものは、こんなところにもあるのかもしれない。 参考文献 1:http://www5a.biglobe.ne.jp/~sakatam/book/r185.html 2:http://www13.plala.or.jp/Ragnarok2/file/tyuutyuu.htm 3:https://twitter.com/search?f=tweets&vertical=default&q=from%3Avanmadoy%20%E6%AE%8A%E8%83%BD&src=typd 4:https://twitter.com/vanmadoy/status/1107976521174515713 ANRANJIの綴りはANRANZIの間違いであったと作者から言及あり

友人諸氏と立て続けに会ったが全員に「アイドリッシュセブン四部らしいけど大丈夫?」と聞かれ(まだ読んでないので知りません)半数に「円居挽全然ツイッターに浮上しないけど大丈夫?」と聞かれた(円居挽の母ではないので知りません) さよならよ、こんにちは (星海社FICTIONS)   円居 挽 アマゾン

その可能性を買っている

作品管理画面を眺めるのが好きだ。こう書くと承認欲求振り回され人間かよと思われそうであまり言いたくなかったのだがその思考が既に自意識強火人間の発言なので脇に置くとして、自分のpixivの作品管理画面を見るのが好きだ。 評価されている作品もあればそうでない作品もあって、どうしてなんだろう?って考えながら眺めるのが好きだ。勿論私はマーケティングの知識などないのでそれらはただの妄想なのだが、タグによってどう変わるかとか別作品と関連付けたらどうだろうとか、見てると結構オモロイのだ。 本題。二年前の今頃出した本の再録をした。これがびっくりするほど閲覧数が伸びない。原因が全然わからん。表紙はカットしてお出した方がよかったのかな。 待って。絶対!絶対勘違いして欲しくないのだが!これは愚痴じゃない!ここははてな匿名ダイアリーでもないぞ! ちょっとそうなるかもなという予感もしていた。というのも、二年前に出したこいつのサンプルはびっくりするくらい閲覧数もブクマ数も伸びたのだ。サンプルの閲覧数が本編の十倍。いいオチだ。オチがつくのはいいことだ。 このサンプルの評価が伸びたのも面白くて、これは多分収録ページを長めにとって、まるで一つ短編のように出したのがよかったんだと思う。しかもちょっと万人受けしそうな温かみのある終わり方になってる。で、本編を読んでもらうとその温かみは序章に過ぎず、そう簡単にはいかないよねと話が展開していくのだが。このやり口は正直気に入っているが同人誌はそこまではけなかった。これはまぁある程度想定内で、一つは明らかに東京のイベントに出なかったのが原因。あとはやっぱり、通販って面倒だよ。BOOTHだから一冊あたりの送料も高いし。 それで、だ。繰り返すようだがこの一連の話は愚痴でも反省でもないので湧き上がったこの念は本当にただの念なのだが、再録した今となっては思うのだ。「サンプルを出す時に全編を出せたら、もっと多くの人に読んでもらえたのになぁ」と。 ここ半年程、原稿戦士の友人諸氏に「どうして作品を紙の本にするの?」と尋ねて回っていた。というのも、私自身は結構インターネットにラブなのだが、自分でもそのラブの根源がどこなのかよくわからず、それを探りたいがためにちょっと話相手になってもらったのだ。それがここまで来てようやくわかった気がする。多分私は自分の作品が誰かに刺さる「可能性」が欲しいのだ。 ちょっとこれはどこの青い鳥が飛ぶSNSで見たのか忘れたが、ある作品が読者の胸を打つ可能性というのはどんなに作品が世に出て時間が経とうが世間の評価が固まろうが、決して0にはならない。ただ人の目に留まる可能性が時間と共に減衰していくだけだ。商業出版においては、そこに電子書籍やSNSといったツールが介入してきて連載再開あるいは復刊という運びになるという話も近頃は多く、よかったですなぁ本当に(といった趣旨のツイートだったと思う)。でもこれは同人においても同じで、いくら原作との設定違いが出てきても今の作者からすると絵が下手でちょっと直視が厳しくてもキャラの髪が当時は短かったことが判明しても以下略、その作品が誰かに傷を残す可能性は0じゃない。売り切れにさえならなければな! 紙の本とインターネットは何が違うんだろう。装丁に拘れる?紙の本の方がゆっくり読んでもらえる?それでも絶対にこれだけはインターネットに利があると断言できるのは閲覧数だ。なんなら閲覧数だけだ。でも単純に読んだ人が増えて欲しいわけじゃない。もしかしたらいつか誰かの胸を刺すかもしれない、そういう可能性をその作品に残しておいてやりたいのだ。商業ではそれはツールの力を借りなければできないことだった。でも同人作品でそれをするのは簡単だ。そう、ワールドワイドウェブならね。 だからできることなら、サンプルを読んだ5000人に、最後まで読ませてあげたかった。5000人もいたら数人くらいは胸に傷が残る人もいたかもしれない。でも今や再録してもそれは敵わない。出会いは一期一会だからな。 私はアイドリッシュセブンに来る前にどこに出ても恥ずかしくないマイナージャンルで活動していたのだが、イベントに出て頒布数が一桁だった思い出がある。それはまぁ負の感情ではなく、結構な感動だった。だって同人誌作るのって一ヶ月とか二ヶ月とかそれよりもっとかかるんですよ。でもこの中身を目撃する人は世界中に一桁!一桁か!それって凄いことだな。 いやじゃあ何人なら満足なの?と思って当時はそれ以上思考を進められなかった。でも可能性の話なのだ。今一桁だったとしても、これから先にいつか誰かの胸を刺すかもしれないって思ったらやっていけるだろ。 で、この話にはオチがある。冒頭の再録した同人誌だが、閲覧数対のブクマ数が異常に多い。物理在庫が大量に余っていたので(あと絵を直視できないので)ちょっと迷ったが、本にした当時もらった感想を思い出して嬉しくなったので再録することにした。ありがたいことです。

すばらしい新世界を読んでいたら、複数の場面を次々と切り替えていくという表現が出てきた。章の最初の方は転換から転換が長いけれどこれが徐々に短くなっていって、最後の方は一つの台詞が終わるとすぐ次の場面に飛ぶ。同時に展開する場面が3つ以上あるので誰が何言ってるんだかよくわからなくなる。サスペンス物の映画やドラマをイメージしてもらえるといい。多分小説にもそういう技法があるんだろう。 カッコいいと思ってるのか。思ってるんだろ。 読みづらいぞ。 古典を読んでいると、自由だなぁと思うことがままある。起承転結とか三幕構成とか、そういうのない。私はプロットを立てるのが苦手なので、たまにストーリー構成の教科書的な本を読んでみたりするのだが、そういう本に言わせたら凄い量の駄目出し食らいそう。 でもこういうものの方が同人の参考にはいいのかもしれない。 前述の教科書は冒頭によく「この本はエンタメをかくための手法だ」という旨の断り書きがある。純文学にハウツー本があったらちょっとウケる。 同人はエンタメではないのかもしれない。他人を楽しませるために作るものではないので。体系としての純文学について詳しくないのであまり突っ込んだことを言えないのだが、同人の、時にストーリーの本筋から離れたコマや一文にかける情熱も純文学らしいといえば純文学らしい。そして存外読者が心を揺り動かされるのはそういった部品だったりする。実際、すばらしい新世界の場面転換が新世界の雑踏的雰囲気を醸し出すことに失敗しているかというと全くそんなことはない。カッコいいよ。大変結構。 同人は純文学か、もしくは詩にも近いと思う。この場合、エンタメに対応する単語は物語かもしれない。「詩」は得意な方なのだが、物語を作ってみたいという欲もまた別にあり、難しいな。変化を描くのが苦手なのがいけないんだろう。 追記メモ:マイナーポエット、日本の文学史における物語の筋論争(19/06/01) https://note.mu/poplar_bungei/n/nc7146ef6732b