「文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室」 これを友達が読んでいて面白そうだったので衝動的に買って読んだのだが、以下はその内容の直接の感想ではない。 昔からネイティブでない言語において詩的感覚を含めて文学を楽しめるのかということに興味があったので、それに近いことを考えた。今回はその逆で、言語側が翻訳された時、文体による詩的感覚が残るのかという問題だ。 例えば第1章の冒頭では以下のような文章が引用・翻訳されている。 She slipped swift as a silver fish through the slapping gurgle of sea-waves. 白波(しらなみ)ざわめく潮海(しおうみ)のさなかの白銀(しろがね)の魚さながらすいすい進む淑女さ 見て分かる通り原文は”S”の韻が踏まれているので、訳でも「し」で韻が踏まれている。実際の翻訳小説の訳文ではないが、正直無理がある。「潮海」はそこまで一般的な単語ではないし、「白銀」は「はくぎん」と読む方が先だろう。アルファベットは表音文字で漢字は表意文字だから時には読みを示す必要がある。ふりがなを振ればいいだろうという主張もあるだろうが、ふりがながある文章とふりがながない文章では与える印象が違うのは明らかだと思う。日本語の中でさえそうだ。 当然だけど、言語の構造なんて同じじゃない。時制の章ではもっと明らかで、良くない例文として出ている現在時制と過去時制が入り混じった文章が、日本語に訳すと違和感がない文章になってしまっており、訳者自身がそれを指摘している。 日本語と英語では品詞も共通していない。日本語にはセミコロンも存在しない。英語を勉強し始めた時は誰でも過去完了ってなんやねんと思ったはずだ。 名詞や動詞は日本語と英語で同じじゃないか、視点の問題はどんな小説にも存在するじゃないかという反論もあるだろうが、それは人に物や物語を伝えるという目的の必然性から収束しているだけであって、動詞のない言語や視点が分類できない実験的な小説だって私が知らないだけで存在してもおかしくない。 翻訳された小説とそうではない小説において固有名詞を置き換えて並べらたら、見分けってつくのだろうか。本文では時制を固定することが海外文芸風の練習になると述べられている。時制が鍵になるかはよくわからないが、確かに海外文芸風の文章ってある。その存在自体が、小説の翻訳の普遍的な難しさを表している気がする。 そう考えると、翻訳された小説が伝えられるのは根本的にはストーリーだけなのかもしれないなと思う。勿論それ以外のものをなるべく伝えようとするのが翻訳者の努力だと思うけれど、その努力も含めて、それは翻訳者の技量を通した文章でしかない。ある言語が死んだ時、その言語で作られた文学も一緒に死ぬのだな。
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始めよう!麻雀!
最近人に「麻雀やりましょうよ~~~」って言うと優しい人が「どこから始めたらいいですか?」って訊いてくれるから麻雀を勧めます。 Q. とりあえず何から始めればいいの? 雀魂をダウンロードしよう。ブラウザでもできます。 Q. ルール難しいんでしょ? 確かに難しい。私もいまだに点数計算ができません。逆に言うと点数計算できなくても楽しく遊べるとも言える。できなくてもいいんです。 一番基本的なルールは簡単だから!ちょっとだけだから!雀魂には麻雀のチュートリアルがあるからそれを見てみたらいいから! ルールはわからんでもいいのですが、戦術を覚えだすと大変。守備を覚える辺りから難しくなってくる。その時はこれを読もう。 3ヵ月で強者と戦えるようになる 麻雀「超コスパ」上達法 Q. 役っていうのを覚えなきゃいけないんじゃないの? 頻出する役は多くないからそんなに覚えなくてもいいです。 とりあえず最初はリーチと役牌覚えれば大丈夫。 Q. とりあえず試合を見てみたいんだけど…… Mリーグ見よう! 10/4から2021シーズン開幕です!AbemaTVで見れます! うん?YouTubeとかAmazonPrimeで見れないのか? ……見れない……。切り抜きならあるから……それでもよければ……。 これは名物実況者の日吉プロ。 Mリーグの何がいいかと言うと、人数が少ないことだと思う。8チーム4人で個性的な32人です。 麻雀プロって麻雀の団体に所属さえしていれば名乗れるので、云千人いるらしい。 Q. フーン…… 紹介します!!!!! 黒沢咲(TEAM RAIDEN / 雷電) 通称セレブ。とにかく好形で高い打点を狙う打ち筋から。 日本プロ麻雀連盟(一番大きい麻雀団体)の最高峰リーグで戦う女性。チームの稼ぎ頭で人を感動させる名局を数々生み出す。 とにかく飯を食うのが好き。 スッタン聴牌った時に頷くのがかっこよすぎる……。 小林剛(U-NEXT Pirates) 通称船長。U-NEXT Piratesのリーダーなので。 黒沢プロとは真逆で低い打点でも素早く和了って人の和了りを潰すスタイル。
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記憶の固執
最近休日が何しているのかよくわからぬ間に溶けており怖いので何に何分使ったのか記録をつけました。 仕事とおべんきょー 110+60裁量労働制のえらすぎる人間のため。退勤打刻忘れたかも。休みの日が一番仕事が捗るので、毎日休みだといいのになと思います。 買い物 60スーパーに買い出し行っただけなのになんでこんなに時間がかかっているんだ。なんだか私は最近外出もしないし買い物もしないので、スーパーに行くのが一大行事になっているかもしれない。今日は良さげな胡麻ダレを買ったので、近い内に食します。 めし 20+60+60作ったもの:簡易ハヤシライス、鮭のホイル焼き鮭のホイル焼きって成功した試しがないので簡単料理みたいに言われるのは納得がいかない。いつもアルミホイルが破れる。今日も。 ひるね 30+30基準の睡眠時間に届いていなかったため正当な昼寝 読書 30麻雀技術何切るドリルを最後まで解き終わった。手役(特に三色)が絡むと途端に不正解になりウケた。平和損保、大好き! 創作 1502000字弱しか進んでいないのですが!?5分に一回文字数をカウントしているので最近進捗が宜しくない自覚はあったがこのように対時間効率として突きつけられると到底直視できる値ではない。150分集中してこの数字ですからね、言っておきますけど。でも全体が30000いかないと思うと大事な2000だ。そう考えよう。20Pの漫画だったら1枚描いてることになるんだから。凄いことよ。 麻雀 60+60三麻 (1-0-1)、四麻 (0-1-1-0)最近三麻が雀豪に上がった。やっている人が少ないのも影響しているかも知れないけど、向いてるかも。明らかに三麻の方が和了率の成績がいい。四麻は雀傑1と2の間でじりじりしています。多面待ちは結局覚えきれてない。勉強して半年にしては悪くない成果なのではないでしょうか?どう?本当に周りにやっている人がいないからよくわからない。 ゲーム 130大逆転裁判やってます。王道ながらも奥深いストーリー、ユーモアに溢れるテキスト、本当に最高だぜ。謎解きも今のところは順調!加えて最近Baba Is Youというパズルゲームにちょっと手を出しました。でも難しくてすぐ攻略情報を頼ってしまう。La-Mulanaも全然進められずに終わっているし、インディーズじゃ駄目なのかよ、と思うと自分がエセ・パズルゲーム好きだということを突きつけられるようで落ち込む。 筋トレ 30二ヶ月のダイエットの進捗ですが-7%くらいは戻しました。だから言ったじゃん。簡単なんだからこんなの。筋トレは正直やってもやらなくてもあんまり体重には影響してこないっぽいが突然運動神に運動しなかった罰を与えられるのを恐れて適宜やらせていただいております。本当はもう少し真面目に有酸素運動をした方がいいらしい。有酸素運動は疲れる割に筋肉も壊れるし、やだなぁ……。 フロ 30フロ 数字にしてみたら普通に麻雀と逆転裁判と創作に時間使っていました。でも創作は連休のうち今日ようやく手を付けたし麻雀も昨日一昨日はそこまで打ってなかったな……。記録したことによってせめて今日だけでもメリハリのある一日を送ろうという意識が働いたのでしょう。謂わばレコーディング・生活。 (24-7)*60 – (170+60+140+60+30+150+120+130+30+30) = 100 次元の狭間に溶けている時間は100分でした。案外長い。どこに消えちゃったんだ。
犬身感想
人が犬に例えられる時、それは多くの場合、飼い主に例えられる特定の相手への献身・愛情深さ・忠誠の象徴だったりする。しかし犬身において犬になった主人公、フサと飼い主の梓の関係は「犬に例えられる人」のそれとははっきりと異なる。フサは「犬に例えられる人」ではなく犬そのものだからだ。一番それがはっきりと記されたシーンは下記だ。 「この犬がわたしのいちばん信頼している家族ですからね」フサが顔を上げて梓に向かってにっこり微笑んだ時、朱尾が梓に尋ねた。「どういう家族ですか、イメージとしては? 弟? 息子? それとも夫?」朱尾はわざと凡庸なことを言っているのかとフサは疑ったのだが、梓も苦笑に近い笑いを漏らした。「人間の家族に当て嵌めて考えたことはないですね。犬は犬ですから」 この台詞だけなら簡単だ。朱尾が尋ねているのは本当に凡庸な質問だし、梓の答えも凡庸と言える。けれどもこの凡庸な台詞こそがこの小説のルールで、覆ることのないものだ。 私は「聖なるズー」の作者との対談(冒頭部)から「犬身」を知ったので、フサが犬になった後には、犬の性欲に身を焦がし苦悩するのではないかと思って身構えていた。そうでなければ朱尾との契約における追加条項が機能しないからだ。しかし、梓にとってフサは「夫」でも「兄」でもない。描写こそまるで性描写のように艶やかであるものの、フサの愛情は最後まで自覚としてはプラトニックなものとして描かれている。であれば梓が性から隔離された清楚な人物かというとそれは違い、むしろ「人の性(近親相姦)」と「犬の本能的な勃起」の対比によって「犬は犬ですから」が強調されている。 最も「犬は犬ですから」を感じたのは、小説を読み終わってからだった。ストーリー全体を振り返ってみると、梓の転身は朱尾や未澄の、つまり傍にいた「人間」の影響であって、フサは何の役にも立っていないことに気が付く。最後に彬に体当たりしたくらいが精々だ。 犬に成り立てのフサは、人の言葉で梓の力になれればよかったと夢想するが、親友の未澄にさえ踏み込ませなかった梓のプライベートな領域に出会ったばかりの房惠が力になれるはずなどなく、それは房惠の奢りに過ぎない。フサは犬であったから梓の物語の全てに立ち会い、犬だからこそ傍観者の視点でそこに立っていただけだ。フサと梓の絆は犬身のストーリーを進行する原動力では決してない。フサは犬らしく飼い主を舐めていただけだ。その妙が振り返ると素晴らしく「犬は犬ですから」というルールに忠実に思える。 さらにストーリーを振り返ると、「犬であるフサ」は勿論、「房惠が犬に転じたこと」も梓の物語にそよ風さえ巻き起こさないのが面白い。たまにフサは自分の仕草が人間らしくはなかったかと省みるが、梓にしてみればフサのそういった仕草が人のように見えるのは「飼主馬鹿と笑われるかも知れませんけど」といった程度の話で、まさかフサが人間の変化した姿だとは疑いもしない。梓が落ち込んだ時など一度はキーボードを叩いてまで言葉を発しようとしてしまうフサだが、結局梓が見る前に文字は消去され、何事もなく終わる。「犬は犬ですから」というルールに反するからだ。 本来そのルールに従うなら、房惠は犬になることができない。それは犬身が唯一破らなければいけないルール違反だ。そこで朱尾(メフィストフェレス)が登場する。間テキスト性を借りて、ルールの外にいるものによって一度だけの違反を許すのだ。朱尾の愛嬌は様々な過去の作品に登場する悪魔を彷彿とさせるが、犬身はファウストではないので、最終的に犬は超常的存在にも勝利する。 人が犬に変身する物語。そう聞くと、なんだか大層な物語が始まるような気がしてしまう。しかし人が犬になるということは、飼い主の日常に寄り添うということだし、飼い主の人生を大きく変えることはできないということでもある。犬身は徹頭徹尾そのことを描いた小説だった。 ただ、犬身は当然のように犬と飼い主の間に性的交渉は存在し得ないという前提に基づいたものが物語だ。聖なるズー「以降」の犬身も読んでみたいと思ってしまうのは、現代のわがままだろうか。
連休明けの5月。空腹でふらふらになりながら、数ヶ月ぶりに電車に乗って二駅先の病院に向かった。子供が大人になったらいつか終わると思っている行事No.1、健康診断を受けるためだ。 4月末までに希望日時を出せばいいはずだったのに勝手に総務で予約を入れられて、私の受診時間は午後の三時だった。この健康診断は途中で採血があるので、受診の十時間前から水とお茶以外なにも口に入れられないのだ。去年その注意書きを一切見ずに受付で恥を欠いた身としては今度こそ模範的受診者にならなくてはならない。私は文字通り腹をくくって前日からの二十時間の断食を受け入れたのだった。 昼過ぎの診察はスムーズに進んでいるようだった。胸部X線を終えて、去年同様に身長・体重計測へ進む。座高ってなんだったんだろうな。スリッパを脱いで計測台に登る。頭の上からレバーが落ちてきて、がちょんと無遠慮に頭をはたき返っていく。結構です、と看護婦さんが計測値をこちらに見せてくれる。 「なにか最近の計測と変わったところなどございませんかー?」 小学生じゃないんだから今更身長なんて変わったところがございますわけないだろ、そう思って数値に目をやった私は肝の冷える思いをすることになる。 体重が増えている。 「まぁ……そんなに……特に変わったところはないですね……?」 びっくりしすぎて嘘をついてしまった。いやここで「体重が増えてます!」って主張してもしかたがないんだけれども。主張した方がよかったのか? それからは体重のことで頭がいっぱいだった。検診で「不整脈の気がある。去年もそう言ったが覚えてないのか」みたいに詰られた気がするがそんなことはどうでもいい。いっそその話を遮って「やっぱり運動ってした方がいいですかね?」と聞きたかったくらいだ。聞かなかった。しろと言われるに決まっているから。 体重。 自慢じゃないが、いや、これは一種のパーソナリティーを形成していたと失った今になって気がついているが、私は生まれてこの方標準体重をオーバーしたことが一度もなかった。子供の頃から高校まで小柄で、所謂ガリチビの勉強ができるガキだったのだが、大学で外の仕事において自分が何の役にも立たないことに打ちひしがれて筋トレを始め(この顛末について書くと9本くらいのシリーズ記事になる)、そこそこに筋肉をつけて以来ぴったり標準体重のままこの歳まで生きてきた。 それが体重増加。10%。方程式を解かないでください。 BMIこそ標準に収まっているが適正体重からは誤差で済まされない範囲でオーバーしている。ショックだった。なんとなく自分の体重って永遠にこのままだと思っていた。外の仕事と言っても車に乗ってばかりで大して動いていないのだから、在宅デスクワークになったところで体重なんて増えないだろうと思っていた。 あまりにもショックだったため、私は2週間ほどこの数値のことは考えないようにしていた。ようやく鏡を見る気になったのは友人と雑談の折にその話題が出たからだ。正直鏡を直視するまで、自分の体重が本当に増えたとは思えなかった。それを確認するために鏡を見たのだ。 ……いや、太っている!さらにショックだったのは自分が太った(さっきまで体重増加って言って濁していたのに直接的表現を行ってしまった)ことに一切気が付かなかったことだった。顎の下と、あと腹に少々。顎ってなに!?そこにつくのか!?人間が太ったらもっとわかりやすく腹が横に伸びるとか太腿が太くなるのかと思っていた。確かにマイナンバーカードのために撮った写真が笑えるほどぶちゃいくだなとは思っていたが。なんでそんなところにつくんだ。全然わからん。太りビギナーだから。 あとから別の友人にも「正直顔の周りが太っているとは思っていた」と指摘された。言えよ。いや、言われても否定した気がする。なんなら指摘された後も否定した。カメラのアングルのせいもあるって言った。 もーむかついた。絶対に標準体重に戻す。BMIはまだ適正だとかそういう問題ではない。これは矜持の問題だ。己がどのように生きるか。どの体重で生きるかは私が決める。見ておけよお前達。こんなの一瞬だから。一瞬。3日で落とすから。 正直少し楽しみでもあった。自分のステータスが数値化されるのは結構好きなのだ。人生で一度しかやらないからな。ダイエットなんて。あすけんっていうアプリが流行ってるんでしょ? 早速その日から筋トレを始め、体重計を買った。アプリ連携できて毎日の記録が簡単なタイプにした。ガジェット好きなのでその点も嬉しい。数日後、届いて早速封を開け、わくわくしながら真新しいライトブルーの体重計に乗る。その数値。 標準体重から12%増だった。あの日は空腹だったから、下振れしていたんだね。