麻雀プロのファンアートを描くコツ
麻雀プロを応援し始めて早いもので5年が経った。生まれてこの方二次元のオタクとして生きてきたので、その延長でたまに麻雀プロの絵を描いている。三次元ファンアートひよっこの私だが、最近少しはコツも掴めてきたので、ファンアートを描くコツを伝授しよう!
情報を集める
- いろんな写真を見る
- いろんな情報を仕入れる
構図の段階から勝負は始まっている。神絵師でない我々としては、麻雀中の所作や普段の仕草でそのプロらしさを出せるなら是非とも採用したいところだ。だから会ったことがある麻雀プロは、直接見たポーズを描くわけでなくとも、なんとなく雰囲気を掴めて描きやすくなる。いい話。麻雀プロに会いに行こう。お金も落とせる。
全然関係ないが、大学生の頃、部誌にイリオモテヤマネコを描いたトラウマを思い出した。先輩に「耳の特徴をよく捉えてるね。腹の毛が足りないから剥製の写真を参考に描いたんでしょ」と言われたのだ。情報ソースは複数使おう。
特徴を強調する
- ツリ目とタレ目
- 目と眉の距離
- おでこの広さ
- 耳の大きさ
- 唇の厚さ
- 頬の輪郭
- 顔の皺
この辺りの顔の特徴は重要だ。これは麻雀プロというか似顔絵を描くコツだが。
特に、複数人を同じ画面に描く時や、顔が似ている麻雀プロがいるときには外見の差異がどこにあるのか意識しよう。
手癖でデフォルメしないように気をつける
三次元の人間を描いていると、二次元のキャラクターを描くときにいかに記号に頼っているかを思い知らされる。私も曲がりなりにも絵描きとして絵柄と呼ばれるものをもっているが、初描きの麻雀プロを描くときにはそのようなルールを全て一度無視するものとしている。手癖で描いてしまうと、上で書いたような特徴を捉えそこねてしまうからだ。特に耳や鼻は二次元のイラストでは差別化はしないことが多い。個人的には目も苦手だ。女性麻雀プロの瞳の表現を安易な美少女的デフォルメに頼ってしまうことが多いので、女性の麻雀プロは男性よりずっと描きにくい。
頑張って描いたファンアートなら喜んでもらえるというナイーヴな考え方は捨てろ。
さて。ここまで読んだ貴方は思ったかもしれない。「うっせーよ」「好きに描かせろ」「なんか失礼じゃない?」「それで麻雀プロに喜んでもらえるかどうかはわかんなくない?」
最後の質問から答えることにする。ファンアートを描いてもらえたら嬉しかろうというのは二次元オタクの感性だ。麻雀プロは二次元オタクじゃないから喜んでもらえるかどうかなんてわかるわけがない。例えるなら、雀荘のゲストに好物も調べず甘いものを差し入れるようなものだ。アレルギーがあったらどうするんだ。
上に述べたコツからわかるかもしれないが、私のファンアートを描く上でのこだわりは、その麻雀プロだと特定できる絵を描くことだ。けれどもそのために私が誇張して描いた特徴は、そのプロにとってはあまり好きではない身体の特徴かもしれない。
女性の麻雀プロは写真を撮られるアプリにも気を使うと聞く。だったら、似せて描くよりも可愛く描かれたほうが嬉しい麻雀プロだっているかもしれない。
容姿を似せて描くことは自己満足だし、その麻雀プロの容姿から離れて己の絵柄で可愛く描くことも自己満足だ。
でもそんなことを言っていては何も描けない。私は勝手に実在する人物をモデルにして絵を描いて、それを公共の空間に貼り付ける人間だ。誰にも依頼されてない。私が描きたいと思ったから描いた。あくまで自分の表現だというスタンスを崩しちゃいけない。モデルに喜ばれることを第一義にはできない。だから「好きに描かせろ」というコメントにはこう応じるしかない。「好きに描いてください」。
それが応援につながるかどうかは、受け手、つまりモデルとモデルのファン達に委ねられていて、作者がそれを決めることはできない。精々できるのは、名誉毀損になるような失礼な表現がないよう気を配ることくらいだ。
それでも頑張って描くしかない
それでも頑張って描いたファンアートにしか価値はない。
なぜなら間接的に、共通認識の末に、その頑張りがファンアートを応援の手段として成立させているからだ。つまり、絵を描くのは大変で、その大変なことをしてくれるほど、この人は私を応援してくれるファンなのだと伝わるからこそ、喜んでもらえるからだ。
二次元オタクがどうしてファンアートを善なる応援だと信じられるのか。それはオタクが努力の末に描かれた二次元アート作品で育ったからだ。
だからこそ、その頑張りを評価してくれるかどうかはその麻雀プロの価値観次第だ。絵を描くことを趣味としている麻雀プロはその苦労をわかってくれるかもしれない。オタク文化に接している麻雀プロは私達と同じ目線で喜んでくれるかもしれない。でも多くの麻雀プロは二次元オタクとは全く異なる文化圏で育っている。それは頭に入れて、勘違いしないようにしなくては駄目だ。
ここに至って、最早絵の技術力は重要ではない。小学生が描いたファンアートを、下手だからといって喜ばない麻雀プロがいるだろうか。
さらには、これはイラストレーションではなくても成立する話だ。例えば、麻雀プロの写真を収集し、並べて装飾するコラージュ的作品も嬉しいと思うプロがいるだろう。
加えて現在の状況では、画像生成AIが作る画像はファンアートとして受け入れられない可能性がある。なぜなら、済まない。頑張っていないからだ。ヌクモリティがないからだ。プロンプトは工夫したのか? どれくらいその絵のこと考えたんだ? それが鑑賞者にも伝わる絵になっているのか?
麻雀プロのファンアートを描くコツは、プロに喜んでもらいたいだなんて思わないことだ。
そして、そのプロのことを考えて、心を込めて描くことだ。