すばらしい新世界を読んでいたら、複数の場面を次々と切り替えていくという表現が出てきた。章の最初の方は転換から転換が長いけれどこれが徐々に短くなっていって、最後の方は一つの台詞が終わるとすぐ次の場面に飛ぶ。同時に展開する場面が3つ以上あるので誰が何言ってるんだかよくわからなくなる。サスペンス物の映画やドラマをイメージしてもらえるといい。多分小説にもそういう技法があるんだろう。
カッコいいと思ってるのか。思ってるんだろ。
読みづらいぞ。
古典を読んでいると、自由だなぁと思うことがままある。起承転結とか三幕構成とか、そういうのない。私はプロットを立てるのが苦手なので、たまにストーリー構成の教科書的な本を読んでみたりするのだが、そういう本に言わせたら凄い量の駄目出し食らいそう。
でもこういうものの方が同人の参考にはいいのかもしれない。
前述の教科書は冒頭によく「この本はエンタメをかくための手法だ」という旨の断り書きがある。純文学にハウツー本があったらちょっとウケる。
同人はエンタメではないのかもしれない。他人を楽しませるために作るものではないので。体系としての純文学について詳しくないのであまり突っ込んだことを言えないのだが、同人の、時にストーリーの本筋から離れたコマや一文にかける情熱も純文学らしいといえば純文学らしい。そして存外読者が心を揺り動かされるのはそういった部品だったりする。実際、すばらしい新世界の場面転換が新世界の雑踏的雰囲気を醸し出すことに失敗しているかというと全くそんなことはない。カッコいいよ。大変結構。
同人は純文学か、もしくは詩にも近いと思う。この場合、エンタメに対応する単語は物語かもしれない。「詩」は得意な方なのだが、物語を作ってみたいという欲もまた別にあり、難しいな。変化を描くのが苦手なのがいけないんだろう。
追記メモ:マイナーポエット、日本の文学史における物語の筋論争(19/06/01)