今日やったこと!揚げ焼きしたポテトとビールを飲みながら某コンペ某環境を某々環境に乗せ替える!おわり!!!

私が受験勉強で学んだ最も大切なこと、それは一日ずっと同じ教科をやり続けないということだ。肩も凝ったし最悪。でも環境乗せ替える作業自体は終わったからそれだけが唯一の救いだ。今後生産性爆上がりの礎になってください。ならんか。ならんな。
こんなコード絶対他で書いている人がいるのに探し方が悪いというか意味がわかってないから遠回りしている感じが本当に嫌だ。今年一年ずっとこういうことをしている。

教養という概念があまり好きではない理由

  • 結局のところ教養とは具体的にどんな知識を指すのかよくわからんまま話が進むから
  • その結果学問体系に主観的な優劣をつけることにつながりかねないから
  • 主観的かどうかに関わらず、知識の体系同士に優劣をつけることは危ういと思うから
  • 知識が専門化、深化、多様化することは現代社会の避けられない方向であるにも関わらず、(例えば高等教育機関で身につけるような)狭義の共通の知識を社会の基盤とすることがそもそもナンセンスだと思うから
実際のところ教養という概念というより教養主義がよくわからないのかもしれないという気がしてきた。個人の教養を身に着けたいという意志については特に何も思わないというか、私だって身に着けたいとは思っている。身につけたい知識の一部分が一般的には教養と呼ばれるものに属するだけで、漠然と教養を身に着けたいと思っているわけではないが。
本日の麻雀
疲れている頭でやってもしんどいだけなのでやるべきでなかった。手牌が悪い時には字牌を抱えるという概念を覚えた。できるわけではない。