小鳥遊紡の消失
社長「君にはIDOLiSH7の担当から降りてもらう、」
社長「というのが今回の事務所の再編計画案だよ。」
社長「君には今後、候補生達の教育を任せたいと思ってるんだ。」
社長「もちろんこの仕事を任せるのは君だけじゃない。というより、君には候補生養成チームのリーダーになって欲しいんだ。」
社長「IDOLiSH7を軌道に乗せた君の手腕を、ぜひ活かしてくれないかな。」
小鳥遊事務所の社長たる父からのメッセージを、紡は身動きもせず見つめていた。窓の外は既に日が落ちている。はっ、と画面を確認すると、メッセージを開封した時刻は一時間も前のものだった。
社長がそんな提案をした理由には紡にも心当たりがあった。
メンバーを失ったIDOLiSH7をどうしていくのか、結局紡には答えを出すことができなかった。ナギが無事ノースメイアから戻ってきたからよかったものの、本来はノースメイアに旅立つ前に、ブラックオアホワイト後の計画を紡から提出するべきだった。ナギの脱退が決まってからでは遅いのだ。IDOLiSH7のためを思うからこそ、最悪の事態を想定する。それができなかった自分はマネージャー失格だったのかもしれない。
けれどもどうしても考えられなかった。今の形でないIDOLiSH7を。ずっと見守ってきたからこそ。
距離を置くべきなのかもしれない。少なくとも父はそれが最善だと考えている。小鳥遊紡がIDOLiSH7のために最善の選択をすることが仕事であるのと同様に、小鳥遊音晴は小鳥遊事務所に所属するアイドルと事務員のために最善を尽くす選択をすることが仕事なのだから。
小鳥遊紡「少し時間をください。」
紡にはそう返すのが精一杯だった。
* * *
あまりよく眠れなかったが、翌日には事務所での作業の他にも、午後にMEZZO”を都内のスタジオに送り届ける仕事が入っていた。最近はMEZZO”の仕事はほとんど万理が担当していたので、二人の送迎は随分久しぶりだ。
小鳥遊紡「環さん、予定通り壮五さんと一緒に15時頃学校に着く予定です。大丈夫そうですか?」
環さん「おう。」
環さん「任せろ。」
環さん「補習にもならなかった。」
小鳥遊紡「良かったです!一織さんにもお礼を言ってくださいね。」
環さん「おー。」
環さん「久々にマネージャーと話せてうれしいぜ。」
小鳥遊紡「?」
小鳥遊紡「MEZZO”のお仕事は万理さんにお任せしてますけど、IDOLiSH7のお仕事でいつもお話ししてますよ?」
環さん「んーそうだけど」
環さん「昔はもっとラビチャしてくれたじゃん。」
環さん「曲が出た時とか、新しい仕事入った時とかさ。」
環さん「あと寮にごはん持ってきてくれたり。」
環さん「俺、結構楽しみにしてたけど、最近は」
環さん「あ」
環さん「待った」
環さん「やっぱ今のなし」
環さん「(落ち込む王様プリンのスタンプ)」
環さん「(回転する王様プリンのスタンプ)」
環さん「(燃える王様プリンのスタンプ)」
環さん「ワガママよくないよな。」
環さん「マネージャーも忙しいもんな。」
小鳥遊紡「環さん…。」
環さん「今日喋れるから別にいい。」
環さん「オレが助手席乗るから!」
環さん「そーちゃんにもそう言っといて。」
小鳥遊紡「わかりました!」
小鳥遊紡「(笑うきなこのスタンプ)」
一瞬、社長から何か聞いているのではないかと思ってしまった。環はいつも鋭い。
デビュー当初に比べ、メンバーとのラビチャが減ったのは事実だ。差し入れどころか、近頃は残業続きで、家で自炊さえできていない。ずっとこのままでは、いられないのだろう。紡も、IDOLiSH7のメンバーも。
環を迎えに行く前に王様プリンを買っていこう。落ち込みかける心を無理矢理奮わせてワゴンの鍵を握り、紡は立ち上がった。
* * *
MEZZO”を送り届けて事務所に戻るともう退勤の時刻だった。もう少し仕事を片付けてから帰ろうと思い、デスクに座る。スマートフォンを確認すると、運転中に大和からラビチャが届いていた。
大和さん「マネージャーいる?明日の現場ってマネージャーが担当?」
小鳥遊紡「今事務所に戻りました!」
大和さん「おー。遅くまでお疲れ。」
大和さん「そろそろ帰んな。」
小鳥遊紡「今やってる仕事が終わったら帰ります!」
小鳥遊紡「明日の件ですよね。すみません、私は同行できそうになくて…。事務所の者にお願いしてます!」
大和さん「えー。」
大和さん「お兄さんは寂しいですよ。」
小鳥遊紡「そう言われましても><撮影は八乙女さんとご一緒ですよ!」
大和さん「そう言われてもなー。」
大和さん「女の子がいないとなー。」
小鳥遊紡「大和さんはずっと変わりませんね…。」
大和さん「どした?」
大和さん「なんかあったのか?」
小鳥遊紡「あの。」
メンバーには結局まだ何も言えないでいる。一番に相談するべきは、きっと大和なのだろう。
小鳥遊紡「これは他の方にはまだお話していないんですが」
小鳥遊紡「社長から、異動の提案をされているんです。」
返信にはしばし間が空いた。
大和さん「あー。」
大和さん「タマとかリクが寂しがるだろうな。」
小鳥遊紡「はい…。」
小鳥遊紡「大和さんはどうですか?」
大和さん「マネージャーのそういうとこ。」
小鳥遊紡「?」
大和さん「俺はどう?って聞いてくんの、いつも。」
大和さん「嫌じゃなかったけどな。」
小鳥遊紡「でも、昔それで大和さんに怒られたことありますよ。」
大和さん「そうだっけ(笑)」
大和さん「俺は、なんていうか」
大和さん「お兄さんは大人だからさ。」
大和さん「仕事ってそういうもんだよな。」
大和さん「マネージャーのためなんだろ?」
小鳥遊紡「一応、キャリアアップになるとは言われてます。」
大和さん「そっか。」
大和さん「あのさ」
大和さん「俺が家の打ち明け話した時、」
大和さん「なんでここにマネージャーがいねぇんだろうなって、思ったよ。」
大和さん「Re:valeとかいるのにさ(笑)」
小鳥遊紡「その件は、本当にすみません…。」
大和さん「あ、いやすまん。マネージャーを責めてるんじゃないんだ。」
大和さん「なんていうか」
大和さん「俺達遠くまで来たよな。」
小鳥遊紡「はい…。」
大和さん「俺、マネージャーのことちょっと好きだったよ」
大和さん「あー」
大和さん「待って。」
大和さん「違う。」
大和さん「イチとかソウだってそうじゃん。」
大和さん「いや」
大和さん「よくないな、こういう言い方は。」
大和さん「俺は好きだったよ。それだけ。」
小鳥遊紡「たまに皆さんが、私を普通の女の子みたいに扱ってくれるの、嬉しかったです。」
小鳥遊紡「でもそれじゃやっぱりダメなんだろうなって思うんです。」
大和さん「八乙女のことか。リクから聞いた。」
小鳥遊紡「はい…。」
大和さん「そうだな…。難しいよな。」
大和さん「あ、でもマネージャーが俺達のマネージャーじゃなくなったらフリーじゃん。お兄さんと付き合っちゃう?」
小鳥遊紡「(怒った王様プリンのスタンプ)」
大和さん「(笑うきなこのスタンプ)」
大和がわざと冗談を言ってくれたのがわかっていた。今年の初夏、大和と三月が大喧嘩をした頃はちょうど事務所の再編が終わりかけで、紡は所内の業務に忙殺されていた。いつも行うIDOLiSH7のマネージャー業まで人に任せていた程だ。
全ての事の顛末は後から聞かされた。その夜、紡は少しだけ泣いた。不甲斐なかったのだ。IDOLiSH7が始まった頃からずっと気にかけていた大和の苦悩に、最後まで寄り添えなかった自分が。
大和は本当に紡のことが好きだったのだろうか。紡にはよくわからない。
けれども全て、もう、終わったことなのだ。
* * *
その週の土曜日。
特段平日と変わらない仕事をこなし、昼過ぎに岡崎、姉鷺とのグループチャットを立ち上げた。来月始めにTRIGGERと共にゲスト出演が決まっているNEXT Re:valeの最終調整だ。
個別にメールで連絡するのも手間だからと言って、姉鷺が立ち上げたこのグループチャットは、紡にとっても楽しみにしている仕事の一つだった。
岡崎さん「――今回の打ち合わせはこんなところですかね。来年もこの時期に宜しくって、プロデューサーが仰ってましたよ。」
姉鷺さん「気が早いわねぇ。その頃にはこっちがあんた達をゲストに呼んでやるわよ。」
紡はその言葉で思わず固まってしまう。社長にはまだ返事ができていない。この二人になら、相談に乗ってもらうのもいいかもしれない。
小鳥遊紡「お二人共、もう少しお時間宜しいですか?」
姉鷺さん「思ったより早く終わったから大丈夫よ。」
岡崎さん「どうかされましたか?」
小鳥遊紡「実は」
小鳥遊紡「来年は、IDOLiSH7の担当を外れることになるかもしれません。。。」
岡崎さん「えっ、そうなんですか!」
岡崎さん「内勤になるとお会いする機会も減っちゃいますね…。」
岡崎さん「でもまたお話させてくださいね!」
姉鷺さん「ちょっとあんた、気が利かないわね。」
姉鷺さん「まだ悩んでるから、アタシ達に相談したいんでしょ?」
小鳥遊紡「はい…。こういうことは、初めてなので…。」
岡崎さん「あ、すみません。自分早とちりを。」
岡崎さん「手を離したくない、って仰ってましたもんね。」
小鳥遊紡「でも、わかってもいるんです。IDOLiSH7は前よりずっと大きくなって、ずっとこのまま私一人じゃ、ダメだって。」
岡崎さん「そうですね。でも、マネージャーが変わってから事務所内外の扱いが変わって、上手くいくようになったアイドルも、人気が下がってしまったアイドルも、たくさんいますから。」
岡崎さん「タイミングには気を使わないと。」
小鳥遊紡「そうなんですか。。。」
岡崎さん「でも、いつかはお別れが来るかもしれないって思うと、それだけで寂しいですよね。お気持ちわかりますよ。」
小鳥遊紡「はい…。」
小鳥遊紡「姉鷺さんは、担当するアイドルが替わったことはありますか?」
姉鷺さん「当たり前でしょ。アタシこの業界、結構長いのよ」
姉鷺さん「TRIGGERの前も別のグループのマネージャーだったんだから。」
岡崎さん「お別れする時、どんな気分でした?」
姉鷺さん「別にあんた達が思うほど悲惨じゃないと思うわよ。」
姉鷺さん「死に別れる訳じゃないんだから。事務所で会うこともあるし、活躍しているところはテレビでも見れるしね。」
小鳥遊紡「そうですか…。」
姉鷺さん「でも最近は、そうね。」
姉鷺さん「八乙女事務所からフリーになって、TRIGGERとの距離は今までのグループと少し違う気はするわ。」
岡崎さん「今のTRIGGERが姉鷺さんの手を離れたら、やっぱり落ち込むんじゃないですか?」
姉鷺さん「そうかもしれないわ。でもね、マネージャーがいくら悲しんでも、TRIGGERは変わらない。」
姉鷺さん「そういうアイドルでいて欲しいのよ。あの子達はそれができるわ。」
岡崎さん「それは確かに、僕も同じですね。」
岡崎さん「3人目のRe:valeだなんて、あの二人は言ってくれますけどね。そんなはずないですよ。あくまで僕達はアイドルを支えるのが役割ですから」
液晶の前で紡は俯いた。紡とて、自分が8人目のIDOLiSH7だなんて傲慢はとても口にできない。メンバー達は自分を特別だと言ってくれるだろうけれど、それではいけないのだ。マネージャーとしての自分の代わりなど、世界に何百万人といるはずだ。
それでもきっと、姉鷺の言う通り、何も残らない訳ではない。自分が初めてのIDOLiSH7のファンだった事実だけは変わらない。
窓の外を見下ろすと、休日を楽しむカップルや家族連れで溢れていた。IDOLiSH7に出会わなかった自分がこの街角のどこかを歩いているような気がして、紡はしばらくその人通りを眺めていた。* * *打ち合わせを終えてからもパソコン作業に没頭していると、ラビチャの通知音が鳴った。メンバーからのラビチャにはすぐに反応できるように専用のコール音を設定しているのだ。時計を見るとすっかり夜である。今日はまたコンビニで夜ご飯を買うしかないようだ。
一織さん「マネージャー、今宜しいですか?」
小鳥遊紡「はい!」
一織さん「NEXT Re:valeの収録が近付いていますので、改めて前回の放送の反響をまとめておきました。データをお送りします。」
小鳥遊紡「ありがとうございます!」
小鳥遊紡「一織さんにはいろいろお願いしてしまい、すみません。。。」
以前は一織と二人三脚で行っていたプロデュース業だが、紡の仕事が増えるに連れて最近は何かと一織に頼ってしまうことが増えた。SNS上のリサーチとて、紡が上手く他の事務員に任せられればそれで済むはずの話なのだ。
けれども三月がファンの反応で落ち込んだことを思い出すと、このような繊細な仕事はどうしても上手く人に頼めない。その点、一織なら安心して任せられる。
一織さん「構いませんよ。プロデュース業はやはり私の性に合っていると思います。」
小鳥遊紡「そう言っていただけると、ありがたいです…。」
一織さん「そういえばその件で、あなたには先に報告しようと思っていたのですが」
一織さん「マネージャー?」
一織さん「起きてます?」
小鳥遊紡「すみません!」
小鳥遊紡「ぼーっとしてました。」
一織さん「あなたらしくないですね。」
一織さん「実は、大学に進学しようかと思っているんです。」
小鳥遊紡「そうなんですか!」
紡は胸を撫で下ろした。一織も環とは違った鋭さがある。何か見抜かれているのではないかと思ったのだ。
しかし、どのような選択をするにせよ、いつかは大和以外のメンバーにも話さなければいけないことだ。その時どんな風に切り出しせば、メンバーを一番傷つけないで済むのだろう。紡にはまだそれが描けなかった。
一織さん「大学の資料をお送りしておきます。」
小鳥遊紡「はい!でも、基本的にはお任せします。」
小鳥遊紡「お仕事との両立という問題はありますが、一織さんなら大丈夫だと思います。」
小鳥遊紡「(はしゃぐきなこのスタンプ)」
一織さん「そうですね。芸能活動にも理解がある大学ですよ。」
一織さん「あなたも一緒にどうですか。」
小鳥遊紡「私ですか!?」
小鳥遊紡「考えたこともなかったです。。。」
一織さん「高校を卒業してからすぐに事務所に入られたんでしたよね。」
小鳥遊紡「はい。その時は事務所も余裕がなかったので。。。」
一織さん「逢坂さんも同じようなことを言っていましたね。家を出た時には大学に入れるなんて想像していなかった、と。」
一織さん「でもあなたも逢坂さんも、まだ若いんですから。」
小鳥遊紡「そうですね…。」
小鳥遊紡「考えてみます。」
小鳥遊紡「(落ち込む王様プリンのスタンプ)」
一織さん「なんで落ち込んでいるんですか、あなたは。」
小鳥遊紡「一織さんがいてくだされば、IDOLiSH7は大丈夫ですよね。」
一織さん「もちろんですよ。」
一織さん「どうかしましたか?」
紡がマネージャーを降りることで、陸や環は落ち込むかもしれない。けれども、一織がメンバーにいてくれれば、IDOLiSH7は指針を失わない。きっと変わらずにいられるだろう。
小鳥遊紡「一織さんにお聞きしたいことがあるんです。」
一織さん「なんでしょう?」
小鳥遊紡「IDOLiSH7がブラックオアホワイトで総合優勝をするまであと何年かかると思いますか?」
一織さん「唐突ですね…。」
一織さん「2年です。」
一織さん「あと2年下さい。」
小鳥遊紡「2年後、IDOLiSH7は4周年ですね。」
一織さん「はい。」
一織さん「Re:valeはアイドル界のトップをとるのに5年かかりました。ですが今、世間はアイドルブームで、私達には追い風が吹いています。IDOLiSH7がトップを取るためにそれ以上の時間は必要ありません。」
一織さん「2年でRe:valeもTRIGGERも追い越します。私が七瀬さんを、IDOLiSH7を、トップアイドルにしてみせますよ。」
小鳥遊紡「わかりました。」
小鳥遊紡「私、一織さんのこと信じてます。」
* * *
凝り固まった肩を解して、デスクに備え付けられた棚を見上げる。棚には七色のファイルがずらりと並んでいた。仕事に関係するラビチャはバックアップとして紙に印刷し、このファイルに綴じることにしているのだ。表紙にはその仕事の写真を一枚選んで貼ってある。
これを作るのも、業務中の紡のちょっとした息抜きだった。けれどもこのファイルも重要な社内資料として、プライベートな部分は伏せた上で後任に引き継ぐことになるのだろう。
社長へ連絡するために、ウィンドウを立ち上げた。文字を打つ指先から自分が消えていくような錯覚を覚える。ネイルは淡いピンク。IDOLiSH7のマネージャーになった時から、色の濃い服やメイクは身につけないようにしている。IDOLiSH7が、他のどんな輝きにも負けないように。ちょっとした願掛けだ。
小鳥遊紡「社長、お返事遅くなりました。先日伺いましたIDOLiSH7の担当の件でご連絡です。」
Photo by Mike Yukhtenko on Unsplash