荒野の作曲家

「それでは今週のモモチャンチャンネルはここまで。お相手はRe:valeのモモと!」
「アイドリッシュセブン、逢坂壮五でした」
「また来週、ばいばい!」
数秒の無音。「OKです、お疲れ様でした」という声でモモはヘッドホンを外した。スタジオとつながるマイクからディレクターが言う。
「逢坂さん、ありがとうございました。来週分チェックしますんで、モモさんはそのままそこで待っていてもらえますか?」
「了解でーす。壮五、ありがとね。トークすごくよかったよ」
「こちらこそありがとうございます。僕も楽しかったです」
向かいに座る壮五もヘッドホンを外し、ペットボトルのお茶を一気に飲み干した。三十分ほとんど喋り通しだ、喉も渇くだろう。
モモがパーソナリティを務めるこのラジオ番組は、隔週でゲストを呼ぶ構成になっている。アイドリッシュセブンを招くのは三月に続いて二人目だ。MEZZO”のラジオについているリスナーを意識して、今週は音楽紹介を中心に据えた構成にした。いつもとは少し毛色が違うが、モモは手応えを感じていた。
「僕も少し待たせていただいてもいいですか? 事務所から迎えが来てくださるみたいなので……」
「どうぞどうぞ! ここにお座りになってくつろいで。お飲み物はももりんでよろしいですか?」
「えっ、いえ、飲み物は……。あっ、いや、もう座ってます!」
数秒遅れて冗談をそれと理解した壮五が、背筋をぴしりと伸ばして答える。力みすぎだ。モモは苦笑する。パーソナリティーとの掛け合いよりも、ゲスト本人のトークを意識して番組を回したのは正解だったようだ。
「壮五もラジオは随分慣れたんじゃない? MEZZO”の番組、オレもユキも聞いてるよ」
そう言うと、壮五は猫のような目を丸くした。
「ユキさんが、ですか!?」
「モモちゃんのことはどうでもいいかぁ……」
「あっ、そんな。違います、決してそういう訳では」
「冗談、今のも冗談だよ、壮五!」
そうは言うものの、ユキが同業者の番組を欠かさずチェックするなど実際珍しい。配信が始まればその日の夜には聞いているのだ。ファンと言っても過言ではない。モモの番組の次のゲストが壮五であることを岡崎が告げた時も、ユキは随分羨ましがっていた。
「壮五の音楽トーク、マニアックで面白いんだってさ。暴走してる時の環のツッコミもいい味出してるって」
「ぼ、暴走……。でもユキさんにそう言っていただけるなんて嬉しいです、本当に。環君にも伝えておきますね」
感極まる、といった様子で壮五は言った。モデルにバラエティにと最近は引っ張りだこのMEZZO”だが、やはり音楽に直接関わるあのラジオ番組は壮五にとっても思い入れのある仕事なのだろう。スタジオの外と接続するマイクのスイッチが切れていることを確認して、モモは尋ねた。
「作曲の方はどう? 上手くいってる?」
壮五が作曲を始めるようになったきっかけを、モモは詳しく知らない。アイドリッシュセブンとの収録後に、ユキが明日の天気でも聞くような気軽さで「そういえば壮五君の作曲は順調なの?」と尋ねたので、何も知らなかったモモは随分驚いた。驚いた顔をしたのは壮五を除いたアイドリッシュセブンのメンバーも同じで、どうやら彼らの中では、これはちょっとした秘密のつもりだったようだ。
壮五が曲を作るだなんて驚いた、と帰りの車の中で漏らすとユキは首を傾げた。「似合っているじゃない」と。確かに壮五が音楽好きなのはよく知っている。ギターを演奏するところも番組で見たことがある。けれども作曲となるとまた訳が違うだろう。一から曲を作るのと、既に存在している曲を聞いたり歌ったりするのは全く別のことだ。そう捲し立てたがユキにはよくわかっていないようで「モモが構えすぎなんじゃないの」と言われてしまう始末だった。
「作曲と言っても、すぐにできるものでもないので……。まだ練習しているだけなんです。知ってる曲をコピーしたり、コード進行を勉強したり」
ほら見たことか。モモはここにいないユキに心の中で抗議した。ユキは自分ができるから、そんな風に簡単に捉えるのだ。けれども壮五は続けてこう言った。
「でも楽しいです、すごく」
何を思い出したのか、壮五はくすりと笑う。
「最初は僕の部屋で一人で練習していたんです。でも、環君がそれに気がついて練習の度に部屋に聞きに来て。そうしていたら他のメンバーも僕の部屋に集まってきたんです。部屋は狭いし、僕は緊張するしで困っちゃって……。だからリビングでヘッドホンをつけて練習しようかと思ったんです。多少音が漏れても、一階はナギ君が防音工事をしてくれましたし。でも弾いてると、大和さんが僕のイヤホンジャック抜いてくるんですよね。それで諦めて、今はリビングで普通に弾いてます」
楽しげに話す壮五につられて、モモも頬を緩めた。家族みたいだ。この後輩グループの日常に思いを馳せる時、モモはよくそう思う。これがバラエティのトークなら間違いなく採用するのだが。けれどもあの家の面々はそれを許さないだろう。壮五はきっと今、一番温かい場所で、一番優しい人達に守られて、少しずつ、彼の中の一番大切なものを育てている最中なのだ。
「……ちょっと羨ましいな」
思わず口から本音が溢れる。
「モモさんは作曲されないんですか? ギター、弾かれますよね」
「まぁ、ちょっとだけね。でも作曲なんてダメだよ。壮五とか、ユキとか……。生まれた時から音楽に囲まれて、ずっと音楽のこと考えてさ、そういう人の特権なんだよ。オレ、物作るセンスとか全然ないもん。小学校の作文で、先生に『素直に書きすぎだ』って怒られたことあるからね!」
笑い話にして取り繕おうとしたものの、壮五は顔を曇らせた。
「僕だってそんな……国語で褒められたことはないですけど……。モモさんのことも、センスがないだなんて思ったことはないですよ」
失敗したな、とモモは思う。三月とは違って、壮五は自虐的冗談など処理できない。ゲストにこんな顔をさせてはMC失格である。モモが何か言う前に、助け舟はスタジオの外から入った。
「逢坂君、お迎え来たみたいだよ」
「あ、はい」
壮五は立ち上がり、少し迷ってからこう言った。
「Friends Dayの収録の時に、ユキさんが言ってました。途絶えない情熱こそが才能だって。僕はそれで、やってみようって思えたんです」
そう言った壮五の目は子供のように輝いていた。アイドリッシュセブンにはまたユキ派が増えたようだ。Re:valeとの付き合いではよくあることである。ユキは最初こそ誤解されがちだが、話せば話すほどに魅力がわかる。観察眼のある後輩達で何よりである。
「おこがましいことを言ってすみません。今日はありがとうございました」
「こちらこそ! また来てね」
壮五が頭を下げてスタジオから出ていく。迎えに来たのは、さっき名前を飲み込んだまさにその人だった。モモに手を振るので、にっこり笑ってガラス越しに手を振り返した。ちょうどディレクターから声がかかったので、モモは正面を向き直してヘッドホンを握る。仕事再開だ。
途絶えない情熱こそが才能だと言うのなら、やはり自分には音楽の才能はないのだ。作曲をしてみたい訳ではない。好きなものと正面から向き合える情熱が羨ましくて、もう戻れないその時間が懐かしいだけだ。こんなことは決して口には出せないけれど、音楽と体育とどちらが好きかと問われれば、モモの答えはきっと小学生だった頃と変わらない。
ただユキの音楽を愛している。それだけだ。モモには最初からそれしかない。

*    *    *

収録を終えたモモは、そのまま相方の家に車を向けた。今日はユキの家からスタジオに出掛けたので、荷物が置いたままなのだ。家主は午後から、オフという名の作曲業である。様子を見て、しばらくしたら自宅に帰るつもりだ。
リビングではユキがノートに向かって作業中だった。
「あ、おかえり。モモ」
「ただいま。調子どう?」
「悪くない」
「お、本年度のボーナス」
「ふふ、そうね」
締切まではまだ余裕があるし、頭の中にイメージはあるから大丈夫だとユキは言う。基本的に作曲期間は悲観的なユキがそう言うのだから、きっとそうなのだろう。ユキがほとんど苦しまずに曲を生み出すのは一年に一度あるかないかの珍事で、二人はそれを「ボーナスが来た」と呼んでいる。
新曲はスポーツ飲料とのタイアップが決まっている。岡崎はCMの出演までRe:valeが取ってこれなかったのを悔しがっていたけれど、それを報告されたユキはあからさまに安堵していて、隣りにいたモモは少し笑ってしまった。スポーツ飲料のCMでは、ユキはマネージャー役にでもなるしかなさそうだ。
「話の続き、スタジオでもいい? 今いい感じなんだ」
「作業するならオレもう帰ろうか」
「だめ」
「じゃあここで待ってるよ」
「だめだって言ってるだろ。メロディが上手くいったら、そのまま歌詞も書くから」
そう言われてしまってはモモには断れない。名目上、歌詞は二人で書くことになっている。けれどもユキが一人で作るなら、本当はその方がいいのだ。TO MY DEARESTの歌詞を書きながら爆笑された傷はモモの中でまだ癒えていない。小学二年生の国語2は伊達ではないのだ。
「どうしたの、入りなよ」
スタジオの入り口でまごつくモモにユキが言う。マッキントッシュのデスクトップとギターが数本。キーボード。窓はない。一面に据え付けられた本棚にはびっしりとCDや譜面が並んでいる。このスタジオが、ユキの家の中では最も物の密度が高い空間かもしれない。修羅場に追い込まれたユキが部屋を行き来しなくても済むように、音楽に関わる物は全てここに収納されているのだ。だからこのスタジオには、モモの私物は一つもない。
ユキの心臓を握らされているみたいだ。この部屋に入るとモモはいつもそう思う。あるいはここが心臓の内側なのだろうか。部屋の脇に寄せてあったスツールを広げて、そっと腰掛ける。
「喋ってていいの? じゃまじゃない?」
「モモが話してるの聞きながらやった方が捗りそうだから。壮五君との収録どうだった?」
「楽しかったよ! 壮五の音楽トークが炸裂した。オレのとこのリスナーはちょっと置いてけぼりかも。でもそういうのも、たまにはいいと思うんだよね。自分の知らない世界が案外近くにあるっていうか」
「それは聞くのが楽しみだ」
ユキはケースから最近買ったエレキギターを取り出して、アンプにつないだ。本当に話を聞きながら作業をするつもりらしかった。
「……オレがさぁ、曲作れるようになったら嬉しい?」
「どうしたの、急に」
「収録終わった後、壮五とそういう話になったから」
「あぁ、なるほど」
ギターの弦を張ったり緩めたりした後、ユキは言う。
「どっちでもいいよ、別に」
肩透かしを食らった。椅子から飛び上がって大喜び、などとは想像していなかったし、仮定の話を真に受けられても困るけれど。それでももう少し、喜んでもらえるものかと思っていた。
「もっと批評してくれる人の方がいいって言ってなかったっけ」
「言ってないし、モモが作曲するようになっても、結局一人で作ることには変わりないから」
「オレが作曲手伝えるようになったら一人じゃないじゃん」
「隣に並んでいるだけだ。最初と最後は、いつも一人なんだよ。誰が一緒にいても、それは同じだ」
ユキはやけにきっぱりと言い切って、どうして、とモモは思う。モモの知っているRe:valeはそうではなかった。二人で同じ譜面を覗き込んで、二人で何度も話し合って、そうやって曲を作っていた。けれども結局モモは、あのRe:valeのファンでしかなかったのだ。他でもないRe:valeだったその人が、一人だったのだと言う。悲しみとも苦しみとも違う、澄んだ諦観を横顔に湛えて。今も変わらずにそこにあるので、モモは何も言えなくなってしまう。
「モモだって昔、曲作ってたじゃない。野菜を食べてイケメンになる歌とか、毎日歌ってたでしょ」
「何の話!?」
ギターで数フレーズ聞かされて、モモはようやく声を上げた。
「うわ、懐かしい」
かつて徒歩二十分の場所にあった格安スーパーの精肉売り場で聞いたその歌詞は、あの手の曲に特有のナンセンスさと中毒性があった。まだ髪の短かったユキがカゴを下げながら「肉を食べても元気にならない人もいるけどね」と呟いたから、モモが即興で歌詞を替えて歌ったのだ。それを聞いたユキが吹き出した。一時スーパーへ行く度にそれを歌っていたのは、モモがそれ以外の手段を何も持たなかったからだ。
「トマト、じゃがいも、プチトマト……だっけ。なんでトマト二回出てくるんだろう、って思ってた」
「よく覚えてたね、そんなの……」
普段こういったことを覚えているのはモモの役割のはずだ。ユキがふふん、と得意げに笑う。
「モモが僕のために作ってくれた曲だからね」
「あんなの曲なんてもんじゃないでしょ」
「そう?」
Re:valeの音楽を替え歌などと一緒にしないで欲しい。
「あ、待って。今のいいかも」
そう言うが早いか、ユキはギターを抱え直して短いメロディを弾いた。言われてみれば先程の曲と似ているが、モモにしてみればそれはほとんど別物だった。弾むようなリズムだけが似ている。何かを待ちわびている、そういうフレーズ。ユキはそれから手元を止めてちょっと考えて、似たフレーズを付け足してもう一度繰り返した後、サビと思しきパートを続けた。鳴り響くホイッスル。疾走感。モモはそれでわかった。試合が始まったのだ。それを少し離れた場所から見ている。荒唐無稽なトマトとじゃがいもとプチトマトの歌は、ユキの手でタイアップの名に相応しい一曲へと生まれ変わった。
「……すごいなぁ」
「うん?」
「本当にすごいなって。なんでそんなこと一瞬でできちゃうんだろ、かっこいいな」
ユキが音楽を作る過程を、モモが眺めることはあまりない。ユキの音楽は完成形になってモモの前に現れる。だからきっと、慣れない出来事に酷く興奮してしまったのだ。それで馬鹿みたいに喋り続けた。
「だってさ、さっきまでただのスーパーでよく聞くみたいな曲だったのに、ユキが弾くとちゃんと意味ができるでしょ。それってすごくない? 音だから、言葉みたいにはっきり伝わらないじゃん。それでもなんか、皆が同じものをイメージできる。同じものっていうか、違うのかな。それぞれが自分の中にある記憶を思い出す、みたいな。自分自身が忘れてるようなことも。なんでそんなことできるの?」
難しいことは何もわからない。どこがどう他の曲と違うのか。それは音楽史上どんな意味をもっていて、何が新しいことなのか。
息切れしてしまって、ぶつ切りのように言葉を終える。
「……ユキの音楽が、ほんとに好き」
結局モモに言えることはそれしかない。捲し立てている内にユキの顔は段々と伏せられていって、ついには見えなくなってしまった。
「……お前って……本当に……」
そこまで言ってユキは口元を覆う。呆れているのかもしれなかった。拙い言葉がもどかしい。
壮五が羨ましかった。マイクに向かって生き生きと語っていた数時間前の姿が脳裏をよぎる。音楽がわかれば、もっと上手く伝えることできただろうか。もっとユキと話せるようになっていただろうか。
防音されたスタジオを沈黙が満たす。やはりリビングに戻っていたほうがいいかもしれない。モモがそう考えだした頃、突然ユキの足がリズムを刻む。たん、たん、たんたん、つたたん。そしてギターが鳴り出した。
Re:valeの片割れとしてのモモは、すぐさま隣に置いてあるレコーダーのスイッチを入れるべきだった。それくらいしかモモにできる仕事などないのだから。けれども聞き惚れてしまった。目の前で音楽が紡がれていく様に。サビが始まって、体が揺れる。曲に合わせて笑って、手を叩きたくなるような。
あぁ、きっと誰もがこの曲が好きになる。日本中のテレビから流れて、田舎の高校で、都会の街角で、この曲を口ずさむに決まっている。大勢の人に愛されるために生まれてきたのだ。その誕生の瞬間をモモは今目にしている。
こんな贅沢を他に知らない。
「……どう?」
音楽が止んでも、モモはしばらく黙っていた。言葉にならない。ユキの問いかけに答えようとした声がかすれていて、初めて喉が乾ききっていることに気がついた。
「……頑張ってる誰かの一番大事な試合を、隣にいる人が応援する歌」
「うん、そうね」
イメージ通りだったようで、俯き気味のまま満足気にユキは微笑んだ。本当はこんな風に感想を言うことも、怖くなる時がある。まだこの世界に生まれてきたばかりの、赤子のように柔らかくて不安定なそれに形を与えてしまって、歪めてしまうのが怖い。実際、モモの感想を聞いてユキが曲に手を入れてしまうこともある。そんな時は少しだけ、何も言わなければよかったと思ってしまうこともある。
それでもモモは、もうただのファンだった頃には戻れない。世界で一番早くRe:valeのユキの音楽に出会うのは、Re:valeのモモの義務であり、権利だ。出会ったら好きになってしまうし、好きになったら口に出したくなってしまう。こんな人が目の前にいて、何も言わない方がどうかしている。今までどれだけ救われてきたかということ。出会えてどれほど嬉しいかということ。どれだけ、この音楽を愛しているかということ。
けれどもモモが口を開くと、ユキは「待って」と、それを遮った。
「もう少し直すから、そうしたら聞かせて。今日の僕はもうキャパオーバーだから」
「そうなの?」
こんな僅かな時間であんな音楽を生み出して、そうでない方がおかしいのかもしれないが。ユキはようやく顔を上げて言った。
「……うん、別にいい。モモが音楽を作っても、作らなくても、どっちでもいいよ。やってみたいなら応援するけど。それでもし完成したら、一番に聞かせて」
「一曲作るのに一生かかりそう」
口にしたそばから、モモはその言葉を後悔した。一生かかっても、Re:valeに相応しい曲なんて作れそうもない。けれどもユキは気にした様子もなく言った。
「別にいいよ」
そしてギターがほろりと鳴った。
「一生待ってる」

Published On: 2018年11月20日