序章 Re:valeの周りに頻繁に動物が登場することの指摘それが数々のシーンで印象的であること 互いを動物に例えるシーンの整理 Re:valeの二人から動物への感情の吐露があるシーンの整理 (主な出典:メインストーリー、SILVER SKY、Twelve Fantasia!、十二支、RabbiTube) 動物各論 狂犬は今どこにいるか ~隠された暴力~ (主な出典:SILVER SKY、Re:vale警察) 猫はいつ拾われたか ~春原百瀬の歴史~ (主な出典:メルヘンドリーム、夏のデート対決) 猫カフェは繰り返される ~現代を生きる動物~ (主な出典:3部、お仕事、boOURS! in 雪まつり、RabbiTube) リバードとはなんだったのか ~歌詞の中の動物たち~ (主な出典:SILVER SKY、奇跡、t(w)o…、100%ハピネス) カースは何故白い竜でなくてはならなかったか ~物語の中の力の構造~ (主な出典:星巡りの観測者) 終章 Re:valeと野生 ジョークです
Category: アイドリッシュセブン
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ラビチャ・ラビTVの読み返しをしたいのでそのメモ用記事 全394枚(カウントから省いているカード:研修生と事務員とアイナナ警察ストーリーカード) 全部読み終わったらおすすめラビチャプレゼンを書きたい 数字はカードID
ラビチャ讃歌
1番:君の書き言葉を教えて ・環のスタンプ癖 ・ナギの顔文字:-) ・十は写真をよく送りよくぶれる ・モモの顔文字癖 リリース時からラビチャはそこに存在していたので気が付きにくいが、会話を主体とするノベルゲームに、キャラクターの書き言葉が別にあるって結構すごいことだ。同じでもよかったはずなのに。さらにその文体に一回きりでない「癖」があるのがキャラクターとリアルにチャットをしているような感覚を助けている。 さらにナギはラビチャでよく「OH…」って言う→マネージャーにも伝染るとか、一織がスタンプでよくログを流す→他の人もそれを知っているのでスタンプでログを流そうとすると「一織みたいなことをしている」と言われるとか、癖を通して今読んでいるラビチャの外の広がりまで感じさせてくれるところも好きだ。 2番:チャットの表現、諦めないで ・動揺して「途中で送っちゃった!」になるモモ(Re:vale警察) ・複数の視点人物が同一の現象に別々の認識を抱いてそれをマネージャーに話している(警察シリーズ全部、あとメッゾとかオフ高校生とか) ・スタンプでログを流す人々(一織、楽警察、他) ・グループチャットでは送信と受信の時差で話についていけない人が出る(大和SONGS) 警察シリーズ大好き人間みたいになってしまった。事実だけど。複数の人物が同一の事象に別の認識をもつの、完全に叙述ミステリの手口だ。 チャットをソーシャルゲームの中に実装するということにどの程度歴史があるのかわからないが、まぁ私が観測している範囲で書くと電車男、黒子のバスケ二次創作、今は亡きPixivチャットストーリー機能とインターネットや各種アプリから生じた形式の創作みたいな流れがあり、それは普通表現の制約になると思う。例えばラビTVなら黙っている状態を「一織:……」で済ませられるところを、ラビチャでは例えば「紡:一織さん?どうしました?」といった方法で表現しなければいけない。それを制約でなくユニークさと捉えてちゃんと時代のコンテンツとしてチャット形式にすることで生まれる表現と向き合うのは、目新しいことではないけれど立派なことだ。 3番:小鳥遊紡という色を知ったよ 無色ではない小鳥遊紡のことを知りたければラビチャを読むしかない。何しろラビチャの性質上全話に登場して喋っているんだから(VD冬のデートSPの最終話を除く)。 まぁ流石に、元気いっぱいで明るく仕事熱心な女の子といった正当派女性視点人物の印象が180度変わるようなことはない。それでも姉鷺さんと相当仲良くしていたり、ずっと筋トレを頑張っている姿を見られるのはラビチャだけ。 男性アイドルをプロデュースするソーシャルゲームにおいて製作者とユーザーが視点人物に何を描き何を重ねるかは様々で、アイドリッシュセブンの中でさえ八乙女楽から紡への好意の扱い方は転換されたと見ることもできる。ラビチャの中で改めて「小鳥遊さん」と呼ばれるのにはぐっときた。それでも小鳥遊紡はただの透明な視点じゃない。そういう描写がないため私も忘れがちだが、本編でも小鳥遊紡はプロデュースだけではなくライブの演出に関わっているという設定になっているし、三部~五部を見ていると、小鳥遊紡とあの温かい寮の元をアイドル達がいかに飛び立っていくかというのはこれから描かれる気もする。希望的観測を含む。 刮目せよ、小鳥遊紡に。ラビチャで予習をしておけ。 (ラップパート)シルスカ シルスカラビチャの信者なので延々とシルスカラビチャの話ができるんですがあれこそはキャラの表情が動くラビTVでは到底実装できなかった空気だったと思っておりそもそもその本来覗けないものを覗けるという事象がラビチャでしか実現できないしまたその事象と海辺からホテルの一室を見上げたなびく白いカーテンだけが見えるそういう連想表現つまりラビチャはそこにないものを周囲を埋めることで空白として描けるそういうことです具体的にはあのエンディングの余韻がスマートフォンのその向こうの世界の存在を示しておりところで二次創作って余白を埋める時そこに発生するものなのであの後にあの後の二次創作がばんばん出てきたのは道理って感じなんですけどわかるよノベライズは全部虐殺したかったんだよなその余韻をね情報格差を是正するためにはここまでの徹底的暴力が必要なのかと知って驚いたまぁだからシルスカラビチャはある意味失敗だったんだろうなでもあの時あそこに三ヶ月だけ開いていた秘密の花園があったことは事実だしその後に生まれた衝撃も創作物も消えないし同じストーリーを描いたから同じものが表現できるかといえばそれは表現の為せることを馬鹿にし過ぎなので私はあのリアルタイム感に立ち会えて本当に幸せだったよでもその後に来た人ももう何も恐れることはないよなんと言っても徹底的虐殺だったからさ……………… ラビチャ、ずっとそばにいてね 参考:小鳥遊紡の消失 2022/3/26 一部追記、修正
ももてんのすすめ
ももてん(モモ+九条天)に関する情報まとめ 【ラビチャ・ぷちなな】 ・百日常1話 わざわざ言及するまでもないことですがももてんがデートしている。いきなり飛ばし過ぎじゃないか? 新人マネージャーが最初に出会うモモはどのモモだと思います?日常シリーズです。日常シリーズはすべての基盤、インフラなんですよ。この時点でももてんは勝利している、そういうことです。 ・天LD3話 てんてんがRe:valeという箱庭の観測者であるということが明言されます。 ・百日和2話 てんてんがその箱庭を開けようとして失敗するが敬愛する先輩の誕生日なので手心を加えてあげており、優しいです。 ・天お菓子4話 「どちらの選択肢を選んでもモモの話をする九条天」というユキムーヴメントするてんてんが見られます。 ところでユキとてんてんは同じ顔文字を愛用している^^ここはテストに出ます。・天プリン4話 ももてん事象に対して古典的ツンデレやってるてんてんが見られる。ユキディスも見られる。入手難易度に見合う高濃度ももてんが突然供給される。怖い。 ・天ゴシハロぷちなな こんな人に気を許した九条天見たことあります!? ・千クリマジ2話 楽と天とはなかなか難攻不落と言った後にそれでも天はモモとは猫カフェに行くなどとぼやいており普通の文脈なら嫉妬する相手はモモのはずなのに何故か突然てんてんに嫉妬するユキが見られ読解が困難。可愛いですね。 ・ユキハロウィンパレード2話 モモと天君が似た系統という発言をするユキがいます。可愛い系という意味か……?でも献身の男という意味でも似た系統かもしれない……と考え込んでしまう。 ・楽干支5話モモにお姫様抱っこされるユキとそのとばっちりを食ってお姫様抱っこをされそうになる天というすごい情報がさらっと出てくる。モモにお姫様抱っこされるとさすがにいつもの九条天ではいられないらしい。どういうことですか? ・百雪まつり3話 モモと天と龍之介の三人で猫カフェに行きます。3年をかけた伏線回収。本当に繊細で美しいてんてんから百への感情の一旦に触れられます。ももてんってあるのよ。 ・千RabbiTube1話 百と天の行きつけの猫カフェが何故か専用背景で登場。てんてんと猫とのエピソードもあります。 【Twelve Fantasia!】 ・バックステージ ユキも天も動物に例えると長毛の猫などという発言をするモモが見られます。てんてんにユキを重ねる男、怖い。あとお互いの仕事のスタンスを尊敬しあっている会話があり、大変善いです……。 ・栃木 天を癒やすためにわざわざTRIGGERとユキ引き連れてアルパカ牧場行くモモが観測できます。 モモとてんてんには動物好きという共通点がありますが(天日和2話等)ユキも結構動物が好きだと思います。これは公式か妄想か忘れました。 ・大分 Re:valeと漫才する九条天だ! ・愛媛 酔っぱらいのモモと酔っぱらってない九条天だ!!! ・他共演あり(同じ空気を吸っているという意味です):茨城/群馬/京都/岡山/長崎 【その他】 ・Girl’s Style 2017/4
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Re:valeラブコメ論
Re:valeのラブコメらしさはどこにあるのだろう。こう問いかければ、その問い自体に意味があるのかと首を傾げる人もいるかもしれない。何故ならRe:valeが初期から「お笑い芸人のコンビ」のようなイメージで描かれ、コメディの要素を担っていることは制作サイドからも明言されているからだ(都志見 2017)。しかし、この背景はあくまで「コメ」の要素でしかなく、さらにアイドリッシュセブンというユーモラスな作品の中で、殊更Re:valeを際立たせるものとは言えないのではないだろうか。ではその本質を「ラブ」の方に求めればよいかというと、そのような言動も火事の元である。良識あるオタクはそんなことをしてはいけない。ラブは貴方の正義の中にある。そもそもラブコメは果たして「ラブ」と「コメ」の加算からなる用語なのだろうか。私達はラブコメという言葉を用いる時に、「恋愛を扱ったギャグ調の作品」以上の何かを読み取りはしないだろうか。濱野(2011)から引用させてもらおう。 >ここで確認しておきたいのは、ラブコメ作品の構造的特徴である。それはひとことでいえば、主人公とヒロインの間の恋愛関係を、いつまでも無限に先延ばしていく点にある。これはあまりにも当然のことなのだが、ラブコメという物語を続けていくためには、幸せな恋愛関係は最後の最後まで完成させてはならない。 勿論現代においてラブコメをエンターテイメントの一ジャンルとして見た時に、それが含む作品は広義に渡っており、必ずしもこれに当てはまるラブコメが全てではないという反論もあるだろう。しかし、ラブコメの笑いがどこから生まれるかと考えると、なんらかのゴール(恋愛の成就なりセックスなり)へ到達しそうで到達しない、その読者の認識と状況の落差が笑いを生み出すと考えられる。この「『コメ』による『ラブ』の遅延」(日高 2016、以下同)はある程度ラブコメの本質的な性質だと捉えてもよいだろう。Re:valeとラブコメの接点は寧ろこの「遅延」にあると言えるのではないだろうか。 Re:valeは成長しない。 二部で展開された、Re:valeが根本的に抱えるファンとアイドルの非対称性という問題はRe:valeが今の形で続いていく以上解決策はなく、モモが自らの悩みや苦しみと決別できないことはSILVER SKY 特典ラビチャにおいてはっきりと述べられている。Re:valeにおいてループ構造がキーワードであることはモチーフを持ち出すまでもなく理解できることである。同じデュオでも、MEZZO”が物語の中で関係を進展させていくこととは対象的だ。 Re:valeにこのような立ち位置が与えられているのは、アイドリッシュセブンという作品からの要請でもある。日高はラブコメが「コメ」による「ラブ」の遅延を求める要因として、月刊誌から週刊誌への移行や連載の長期化といった、作品の外部からの要請を挙げている。これはまさしく二部において完結したRe:valeの関係性が三部において繰り返し、延長、遅延されることに相当する。アイドリッシュセブンは、基本的にはIDOLiSH7とマネージャーの成長譚である。その際、二部からトップアイドルとして君臨したRe:valeは、作品内の公的な立ち位置として相対的には「大人」であり、そこから成長し得ないのだ(まだ数字でいたい 2017)。 これは三部において、IDOLiSH7と同年代のグループであるTRIGGERが社会の圧力と戦ったことと対比すると理解しやすいかもしれない。日高はラブコメとは一線を画す用語の一つとして、「ロマン」という言葉を挙げ、「社会や歴史といった大状況に翻弄されるドラマ性」と特徴づけており、この中では「『恋愛』が描かれる場合もコメディ調ではなく大真面目に「真実の愛」や「運命の愛」といったものが主題化される」と述べている。これになぞらえれば、TRIGGERの戦いこそロマンであり、そこではTRIGGERのメンバー同士の、あるいはTRIGGERとファンとの愛は前へと進んでいく。一方のRe:valeはどうか。三部第20章で示されたのはお互いのエゴのぶつかり合いである。 TRIGGERの戦いは公的なもの、Re:valeの戦いは私的なものなのだ。 しかしこの繰り返し、前に進まない構造にこそRe:valeとラブコメの親和性がある。アイドリッシュセブンにはラブもコメも数あれど、「コメによるラブの『遅延』」が成立しているのはRe:valeだと宣言することは、決して贔屓目ではないだろう。 これらはラブコメ、あるいはRe:valeが軽い感情を扱っているということは決して意味しない。ラブコメにおいて「ドラマティックな悲劇性や陰惨な情念」が「むしろそれらはセンチメンタリズムの系譜として温存され、少女マンガの主要な構成要素」となったのと同様に(日高)、Re:valeにおいても重たい情念は構成要素としてそこにある。特に三周年特別ストーリーではそれが顕著に表れている。このストーリーは作中で大神万理らが言うように「実質こけら落とし」、つまり二部のシリアスな要素の集大成であったこけら落としのセルフオマージュである。しかし、モモの嫉妬や互いの相互不理解という構成要素はそのままに、極めて明るく演じ直されているのだ。 シリアスな感情を抱えたままそれでもなお、それを笑いにまで昇華させるポテンシャル。それこそがラブコメの絶対王者、Re:valeの真の実力と言うべきものなのである。 参考文献 1 都志見文太インタビュー『spoon.2Di』第23巻、2017年 2 濱野智史「ビデオボーイ、テレフォンガール:メディア論から『電影少女』を読む」桂正和『桂正和 桂特録』集英社、2011年、p.68 参考URL 3 日高利泰「ラブコメの条件―用語法と概念の成立に関わる歴史的考察―」『マンガ研究』第22号、2016年 4 まだ数字でいたい「いい大人ですので。」Pixiv、2017年 参考URL