友人諸氏と立て続けに会ったが全員に「アイドリッシュセブン四部らしいけど大丈夫?」と聞かれ(まだ読んでないので知りません)半数に「円居挽全然ツイッターに浮上しないけど大丈夫?」と聞かれた(円居挽の母ではないので知りません)

さよならよ、こんにちは (星海社FICTIONS)   円居 挽

その可能性を買っている

作品管理画面を眺めるのが好きだ。こう書くと承認欲求振り回され人間かよと思われそうであまり言いたくなかったのだがその思考が既に自意識強火人間の発言なので脇に置くとして、自分のpixivの作品管理画面を見るのが好きだ。
評価されている作品もあればそうでない作品もあって、どうしてなんだろう?って考えながら眺めるのが好きだ。勿論私はマーケティングの知識などないのでそれらはただの妄想なのだが、タグによってどう変わるかとか別作品と関連付けたらどうだろうとか、見てると結構オモロイのだ。
本題。二年前の今頃出した本の再録をした。これがびっくりするほど閲覧数が伸びない。原因が全然わからん。表紙はカットしてお出した方がよかったのかな。
待って。絶対!絶対勘違いして欲しくないのだが!これは愚痴じゃない!ここははてな匿名ダイアリーでもないぞ!
ちょっとそうなるかもなという予感もしていた。というのも、二年前に出したこいつのサンプルはびっくりするくらい閲覧数もブクマ数も伸びたのだ。サンプルの閲覧数が本編の十倍。いいオチだ。オチがつくのはいいことだ。
このサンプルの評価が伸びたのも面白くて、これは多分収録ページを長めにとって、まるで一つ短編のように出したのがよかったんだと思う。しかもちょっと万人受けしそうな温かみのある終わり方になってる。で、本編を読んでもらうとその温かみは序章に過ぎず、そう簡単にはいかないよねと話が展開していくのだが。このやり口は正直気に入っているが同人誌はそこまではけなかった。これはまぁある程度想定内で、一つは明らかに東京のイベントに出なかったのが原因。あとはやっぱり、通販って面倒だよ。BOOTHだから一冊あたりの送料も高いし。
それで、だ。繰り返すようだがこの一連の話は愚痴でも反省でもないので湧き上がったこの念は本当にただの念なのだが、再録した今となっては思うのだ。「サンプルを出す時に全編を出せたら、もっと多くの人に読んでもらえたのになぁ」と。
ここ半年程、原稿戦士の友人諸氏に「どうして作品を紙の本にするの?」と尋ねて回っていた。というのも、私自身は結構インターネットにラブなのだが、自分でもそのラブの根源がどこなのかよくわからず、それを探りたいがためにちょっと話相手になってもらったのだ。それがここまで来てようやくわかった気がする。多分私は自分の作品が誰かに刺さる「可能性」が欲しいのだ。
ちょっとこれはどこの青い鳥が飛ぶSNSで見たのか忘れたが、ある作品が読者の胸を打つ可能性というのはどんなに作品が世に出て時間が経とうが世間の評価が固まろうが、決して0にはならない。ただ人の目に留まる可能性が時間と共に減衰していくだけだ。商業出版においては、そこに電子書籍やSNSといったツールが介入してきて連載再開あるいは復刊という運びになるという話も近頃は多く、よかったですなぁ本当に(といった趣旨のツイートだったと思う)。でもこれは同人においても同じで、いくら原作との設定違いが出てきても今の作者からすると絵が下手でちょっと直視が厳しくてもキャラの髪が当時は短かったことが判明しても以下略、その作品が誰かに傷を残す可能性は0じゃない。売り切れにさえならなければな!
紙の本とインターネットは何が違うんだろう。装丁に拘れる?紙の本の方がゆっくり読んでもらえる?それでも絶対にこれだけはインターネットに利があると断言できるのは閲覧数だ。なんなら閲覧数だけだ。でも単純に読んだ人が増えて欲しいわけじゃない。もしかしたらいつか誰かの胸を刺すかもしれない、そういう可能性をその作品に残しておいてやりたいのだ。商業ではそれはツールの力を借りなければできないことだった。でも同人作品でそれをするのは簡単だ。そう、ワールドワイドウェブならね。
だからできることなら、サンプルを読んだ5000人に、最後まで読ませてあげたかった。5000人もいたら数人くらいは胸に傷が残る人もいたかもしれない。でも今や再録してもそれは敵わない。出会いは一期一会だからな。
私はアイドリッシュセブンに来る前にどこに出ても恥ずかしくないマイナージャンルで活動していたのだが、イベントに出て頒布数が一桁だった思い出がある。それはまぁ負の感情ではなく、結構な感動だった。だって同人誌作るのって一ヶ月とか二ヶ月とかそれよりもっとかかるんですよ。でもこの中身を目撃する人は世界中に一桁!一桁か!それって凄いことだな。
いやじゃあ何人なら満足なの?と思って当時はそれ以上思考を進められなかった。でも可能性の話なのだ。今一桁だったとしても、これから先にいつか誰かの胸を刺すかもしれないって思ったらやっていけるだろ。
で、この話にはオチがある。冒頭の再録した同人誌だが、閲覧数対のブクマ数が異常に多い。物理在庫が大量に余っていたので(あと絵を直視できないので)ちょっと迷ったが、本にした当時もらった感想を思い出して嬉しくなったので再録することにした。ありがたいことです。
すばらしい新世界を読んでいたら、複数の場面を次々と切り替えていくという表現が出てきた。章の最初の方は転換から転換が長いけれどこれが徐々に短くなっていって、最後の方は一つの台詞が終わるとすぐ次の場面に飛ぶ。同時に展開する場面が3つ以上あるので誰が何言ってるんだかよくわからなくなる。サスペンス物の映画やドラマをイメージしてもらえるといい。多分小説にもそういう技法があるんだろう。
カッコいいと思ってるのか。思ってるんだろ。
読みづらいぞ。
古典を読んでいると、自由だなぁと思うことがままある。起承転結とか三幕構成とか、そういうのない。私はプロットを立てるのが苦手なので、たまにストーリー構成の教科書的な本を読んでみたりするのだが、そういう本に言わせたら凄い量の駄目出し食らいそう。
でもこういうものの方が同人の参考にはいいのかもしれない。
前述の教科書は冒頭によく「この本はエンタメをかくための手法だ」という旨の断り書きがある。純文学にハウツー本があったらちょっとウケる。
同人はエンタメではないのかもしれない。他人を楽しませるために作るものではないので。体系としての純文学について詳しくないのであまり突っ込んだことを言えないのだが、同人の、時にストーリーの本筋から離れたコマや一文にかける情熱も純文学らしいといえば純文学らしい。そして存外読者が心を揺り動かされるのはそういった部品だったりする。実際、すばらしい新世界の場面転換が新世界の雑踏的雰囲気を醸し出すことに失敗しているかというと全くそんなことはない。カッコいいよ。大変結構。
同人は純文学か、もしくは詩にも近いと思う。この場合、エンタメに対応する単語は物語かもしれない。「詩」は得意な方なのだが、物語を作ってみたいという欲もまた別にあり、難しいな。変化を描くのが苦手なのがいけないんだろう。
追記メモ:マイナーポエット、日本の文学史における物語の筋論争(19/06/01)

今年読んだ本五冊

高慢と偏見
多面的に今年面白かった本はぶっちぎりでこれですね。ご高名はかねがね……って感じですけどどういう話か知ってます?私は知らないで読み始めたんですが……。ラブコメです。圧倒的筆力で描かれるラブコメ。読んでる途中で笑っちゃったもん。キングレオの冒険もそうなんですけど、「本格ミステリだと思ったらBLだった!」とか「古典文学だと思ったらラブコメだった!」みたいな驚きに弱いんだよな。まぁ古典文学というカテゴライズはこの場合不適かもしれませんが。
DINER
まぁ当然のごとくダイナーRの雰囲気掴むために読み始めたんですが……それは置いておいてめちゃくちゃおもしろかったな。2018年度エンタメ部門一位ですね。まぁエンタメはかなり読んでるときの精神の調子に左右されるんですけど。でもこういう女男バディモノ(主役は女)好きなんですよ。おまけに動物も出てくる。完璧だな。続編で女が男を助けに行くところまで完璧。
死体と飯の描写が上手い小説はいい小説。そう思いません?
星か獣になる季節
これもアイドル関連の勉強用に……と思って読み始めたら一文一文の文章の圧が強すぎて怖くなってしまった。出来事に対して乗せていい適切な量のエモがあるでしょうが!詩人の書いた小説、こういう風になるのか。そういう意味ではちょっと同人小説っぽいですね。勉強になるな。
性食考
本当に驚いたんですがこのテーマでまとめられた先行文献なかったの……?これは絶対に刺さるオタクいますよ。異類婚姻譚とか贄概念とか神話と童話とかみんな好きだろ。私はナメクジに溶かされるトカゲのところが一番エロいと思ってます。
ゼロ年代の想像力
これの前に動物化するポストモダンを読んで全然共感できねぇ……という前振りがあったので俺達のオタク論という感があり大変よかった。出てくる作品もかなり見たり読んだりしたことがあったので実感として話についていけたのも嬉しかったな。最後で「オタクよ、コミュニケーションを取れ!」みたいなこと言われたのはびっくりしましたが……。放っといてくれ。
ミステリがランクインしなかったな。2019年はエンタメ方面ではSFを履修したいです。今は最後にして最初のアイドル読んでます。アイドルは自己複製ができるので生命体、了解!
あとフランケンシュタイン→批評理論入門→ピグマリオンが面白かったのでこの辺りも勉強したいですね。小説神髄読みます。

ミステリ風味二次創作、あるいは虚月館のこと

※「虚月館殺人事件」のネタバレを含みます


「ミステリ二次創作ミステリしてない問題」という問題がある。名前は今つけた。つまりはミステリの二次創作であるにも関わらず探偵が事件を解決していないではないかという主張だ。それ自体は問題とも言えないナンセンスな指摘である。サッカー漫画の二次創作もサッカーしてないしバトル漫画の二次創作もバトルしてない。二次創作における主題の大部分が性愛を始めとした感情の混沌であることは残念ながら疑いようもないのである。
しかしながら、ここで一つ疑問を提示したい。私達は二次創作でミステリをかき(書き/描き)たくないのだろうか。謎、伏線、そこから沸き上がる意外な真相。今までやられてばかりだったそういう体験を、自らの読者にも叩きつけてみたいとは思わないだろうか。
ちょっとそこのamazonで、検索ボックスに「ミステリー 書き方」とでも入れてみて欲しい。それなりの数のHow to本が出てくる。トップには綾辻行人やら有栖川有栖やら日本推理作家協会のメンバーが名を連ねる「ミステリーの書き方」なる信頼できそうな一冊が輝いている(幻冬舎・2010年)。最近の例を挙げれば、新潮社の小説誌yomyomではミステリに精通した編集者により「読みたい人、書きたい人のミステリ超入門」なる連載が行われている。
ミステリというジャンルはこの国のエンタメのかなり大きな一角を担っている。刑事ドラマなども視野に含めれば、死体と殺人が消費する可処分時間は大したものだ。性愛に次ぐジャンルといっても差し支えないとすら思う。そもそも謎を提示し、解決するという流れそのものはミステリに限らずエンターテイメントの主流であり、それを突き詰めたミステリというジャンルのHow to本に需要があるのも納得である。
でもなぁ。多分ちょっと違うのだ。
今をときめくミステリ作家の円居挽は、昨年の秋頃以下のように呟いている。

@vanmadoy
新人賞突破するとかでなく、ミステリ作品の二次創作でそれらしいものを書けるようになるための講座とか需要はありそうだな……(やらんが)
2017年11月24日

やらんのかい!でもその通りだ。「それらしいもの」で、いいのである。ミステリ作品の二次創作に限らないが、ただちょこっと「ミステリ風味」の二次創作がかいてみたいのだ。ミステリをかくのは難しい。先に挙げたHow to ミステリも、中身を見てもらえれば圧倒される。歴史のあるジャンルだけに過去の作品へも膨大な勉強が必要だ。「二次創作でオリジナリティ溢れるミステリがかけるならとっくに作家になっとるわ」。ご尤もである。けれどもそう身構えなくてもいいのではないか。ミステリ風味二次創作のトリックに新規性はいらないし、600ページに渡る煉瓦長編をかきたいわけでもない。ただいつもの二次創作にちょこっとミステリ風味のエッセンスを付け加えてみたいのだ。
さて、ではいざかこうとした時にミステリ風味二次創作の何が障害になるのか。二つ程提示してみたいと思う。
その一。読者は必ずしもミステリに精通していない。今一度、円居挽のツイートを引用させて欲しい。

@vanmadoy
ミステリを書く上で重要なのは読者メタですね。つまり「ここでこう書いたら、読者はこう考えてくれる筈」「こう騙されてくれる筈」ということがシミュレートできないとキツいわけですわ(ただ、これは意識的なトレーニングでどうにかなるとも思ってます)
2017年11月24日

この読者の思考の想定というのが難しい。というのも、二次創作の読者層は本来のミステリよりも横に広いのだ。例えば「地の文は嘘をつかない」というのはミステリ読者にとっては暗黙のルールだが、それはミステリ風味二次創作の読者には必ずしも共有されない。その中で作者はどのように伏線を張るべきか考えなければならない。
その二。トリックは主役ではない。
本格ミステリが人間を描けていないという過剰な主張は脇に置くとしても、ミステリの評価にトリックやフェアネスなど独特の基準があることは一般的に同意を得られるだろう。しかしミステリ風味二次創作はそうではない。懸命に物理トリックやアリバイを練った所で「それで何?」である。おそらく主役になるものは他の二次創作とそう変わらない。キャラクターであり、感情である。ミステリ風味の仕掛けを通して、そのキャラクターや感情が魅力的に伝わらなくてはいけないのだ。
これらの問題、特に一つ目の問題に対する解答例として、少し「虚月館殺人事件」(以下虚月館)の話をさせて欲しい。虚月館というのは円居挽によって執筆されたFate/Grand Order(以下FGO)というソーシャルゲームのシナリオだ。詳しいストーリーの解説は他に譲るが、これがなかなか興味深いミステリ風味二次創作なのである。シナリオの中で事件が起き、FGOプレイヤー全員による犯人当て投票が行われ、最も得票率の高い犯人が見事真犯人と一致すればガチャが引けるアイテムがプレゼントされる、と、こういうソーシャルゲームらしい仕様もある。話が脇道に逸れるが、京大ミステリ研時代に犯人当てで酷評されてきた円居挽がこのシナリオを通して千二百万人を超える読者に挑戦状を叩きつけるという展開はなかなか胸が熱くなるものがある。
さて読者はソーシャルゲームのプレイヤーだ。出自ジャンルも読書量も様々だろう。この全員の読者メタのシミュレーションをどのように行ったか。端的に言えば、円居挽はこのシナリオのルールそのものを懇切丁寧に説明することで、ミステリに慣れない読者の問題を誘導した。実際、このシナリオがミステリ初心者に照準をあわせたものであることはFGO運営サイドである奈須きのこによって明らかにされている。冒頭から探偵役はプレイヤーに「諸君には天井のシミや壁の木目、あるいは机の汚れが人の顔のように見えた経験はないだろうか?」と語りかける。登場人物の一人が描く人物相関図はあくまで主人公の認識に基づき、必ずしも信頼できないことは、伏線の域をこえて丁寧に強調されている。極めつけに章題はノックスの十戒と来た。ここまでくればミステリに慣れた読者であれば叙述・誤認トリックを想像することはそう難しくないだろう。しかし、ミステリに慣れた読者にとって退屈かというとそうでもない。シナリオの中で探偵役は、誤認を見破るだけでなく動機を想像することでも犯人に辿り着けると述べる。つまりフーダニットとワイダニットの二重構造になっているのだ。このワイダニットの想像は誤認トリックに比べると難易度が高めに設定されており、また動機の追求があることで登場人物の感情表現にも奥行きが加えられている。
第二の問題の解決については虚月館独自の問題を含み、一般化は少々難しい。この物語の主役がヒロイン・ジュリエットと主人公の感情の動きにあることは間違いない。何しろ描き下ろしのスチルまであるのだ。月の下で語られる二人のロマンスには一読の価値がある。しかしここで一つ問題がある。ジュリエットは立ち絵や喋り方こそFGOのキャラクターであるものの、それは主人公が実在の人物に対して自分の知っているキャラクターの認識を当てはめているに過ぎず、厳密に言えばFGOのキャラクターとは言えないのだ。これは探偵役などを除くほとんどのキャラクターでも同様であり、主人公でさえも実在の人物に憑依するという形を取っている。虚月館のFGO二次創作らしさというのは寧ろ、主人公が完全には物語の当事者になりきれないという構図にあるのかもしれない。
虚月館から得られる示唆がある。強い新規性が求められない叙述や誤認トリックは、物理トリックやアリバイトリックに比べると扱いやすいかもしれない。また、感情を描くことに直結するワイダニットは二次創作向きだろう。ただ、虚月館の手法が一般的にミステリ風味二次創作に転用可能かというと、勿論それは難しいだろう。そもそも円居挽はプロの作家だ。虚月館を執筆する上で円居挽自身が得た示唆もいろいろあるだろう。ぜひともノウハウを開陳して欲しいものである。
稚拙ではあるがこの随筆はそういう需要の存在を提示するという意味合いで書いた。仕事になるのならば、ある日円居挽が講座を開いてくれる日が来るかもしれない。
冒頭で性愛あるいは感情の混沌が二次創作の主流であると述べた。それらが読者の心に生み出すのが「共感」のようなものであるならば、ミステリが与える「驚き」もまた、創作が人の心を揺り動かす原動力の一つだろう。奇しくもここはミステリ二次創作の館「奇想館」。集う人々は個々の作品は勿論、ミステリという枠組みにも大なり小なり愛着があるのではないだろうか。ミステリが、驚きが、二次創作の場においても大衆的なものになると面白いなと思うのである。

初出:奇想館大阪篇

190525追記参考文献