起床。前の夜に不安に思うことがありダイレクトに反映した夢を見て「脳の単純さ!」と叫んで起きた。これは嘘。やんなって二度寝しました。
もそもそと「月は~」を読み終わる。終盤また面白くなった。せっかく日記書いているし感想書くか。以下は私が故意に歪曲したあらすじなので(感想と言ってあらすじを書く行為が嫌いなのだ)まともなあらすじはインターネットで調べてほしい。
「月は無慈悲な夜の女王」はやれやれ系コンピューター技師の主人公マニーとスーパーコンピューターのマイク(ホームズの兄マイクロフトから名付けられている)が月世界を舞台になんやかんやするバディ系小説だ。
魅力的なのはやはりマイクだ。マイクはジョークを覚え、人格を増やし、女性とのやり取りを覚え、マニーとのやり取りを丁寧語から普通の言葉に変え、最終的に息子(子機コンピューター)を作り、「人間」として成長している。
この物語は三部に分かれているのだが、私が二部に魅力が欠けると感じたのも当然で、二部は地球が舞台だからマニーとマイクのやり取りが少ないのだな。物語の終盤、マニーとマイクが偶然引き起こした月世界独立戦争(なんやかんやとは戦争のことだったのだ)は月世界の全面勝利で幕を引く。
で、マイクはどうなったかと言うと、最後の地球の反撃に巻き込まれてマイクは死ぬのだ。
あ~……。
殺すなよ~!と素直に思った。オタクだから。機械を無闇に殺すな。殺すなら人間を殺せ。
実は人間も死んでいる。同じタイミングでもう一人主要人物のマニーの同志が死ぬのだが、独立を果たして満足し弔われる彼の死とマイクの死は対象的だ。
マイクの死はマニーとその周囲の数人にしか共有されないとても個人的な出来事だ。マイクの死とは機能停止を意味しているのではなくて、あくまで人工知能としての死だから。要するに喋らなくなっちゃったってことなのだ。
文庫版解説でも述べられているが、このようなテーマの割にはかなり政治色が排された小説だと思う。だからこそキャラクタの物語としてマイクの死は構成上の要求という気がする。正直、途中からこういう形に終わりそうだと思っていた。マイクが「マン、ぼくのそばにいてくれ……」みたいな弱気なこと言ってた辺りから(かわいい)。
すぐに華竜の宮を思い出した。いいSFは人工知能殺しがち。
あと月世界が地球にもつ圧倒的優位の理由として「上空にある」ことが挙げられており、だから月からの攻撃は高低差を利用して「石をぶつける」というものなのだがこれが絵的に美しいな。宇宙から眺めると月と地球の関係は勿論「上下」ではないのだが、地球から眺めた時その比喩が成り立つところが。タイトルにもその辺りの印象が反映されているように思える。あっ「月は無慈悲な夜の女王」というフレーズは本文中には出てこない。ていうか今調べたが英題は”Harsh Mistress”なのか。女王じゃないじゃん。
それはそうと1976年出版だから仕方がないかもしれないが翻訳が読みづらくないか(もとの日本語が大きく変わらなかったとしても翻訳の技能が40年で進歩するのはどういう原理なんだろうか?)。
これはそもそもそういう文体ではないのだが、私は昔の翻訳作品に見られる「翻訳文体」が結構好きだ。どういうのと言われると説明しにくいのだが、なんだか堅苦しく、自然な日本語ではないやつ。
そういう文体の文章を書くので珍しいなと思っていた同人作家さんが、実際に翻訳小説を多く読んだ経験があるという話を聞いて、面白いなと思った。翻訳文体を読んで翻訳文体になるなら、それは一般的な日本語とは違う一つの文語みたいだな。
同人作家の文体が何で決まるのかに興味がある。絵を描く同人の方は上達のプロセスが明らかで、好きなプロ作家の真似から入ると思う。でもおそらく同人作家は隣に本を置いて模写をする、という形ではないだろう。そうすると文体というのは必ずしも「今好きな作家」や「創作のもとになっている作家」では決まらないのではないだろうか。
今から部屋を片付けて少し本を読んで創をして寝る(未来の日記)。