起床。
Amazonを見ていたらオススメ作品+あなただけのタイムセールコンボに嵌められてあの胃を3巻以降買ってないことを思い出してまんまと買った。食欲と性欲の混同って本当にいいテーマですよね……。ちょっとくらいならいいですよとか言って舐めてかかってたら半身持っていかれて反省してくれ。早く。
出雲編冒頭は巨女!ぬいぐるみ化!幼女化!性癖やりたい放題!といった感がすごくて笑った。巨女出す必要あった?でもそういう遊びの部分が絶対全体にいい影響を与えているんだろうな。ラブコメって無駄の文化なのかもしれない。実際巨女はあった方がいい。間違いない。
満腹先輩の喋り方が典型的おなごでないところがかわいい。トーンがずっとガサガサしていていいなぁと思ったがレイヤー分けが面倒そうなので私には無理だ。作者さんが使っているというペンが配布されていたのでダウンロードしてみたが、こっちもガサガサになるよう気を遣ってるんだなということがよくよくわかった。今更ながら、プロフェッショナルと同じソフトを使っていて同じペンをボタン一つで試せるってちょっと面白いな。ペンの配布から上がる知名度があってもいいのではないか。
僕ヤバも更新日だったことを思い出して読んだ。ラブコメ・デイだ。一応ユキオレの完結をもってラブコメの研究は決着をみたが、最近ラブロマンスを読む機会が何度かあり全然趣味でないことがわかるにつれ、ラブコメの再評価が行われている(主語:全て私)。
僕ヤバは犬回(ラブコメにおいて犬が出てくる回)だったので興味深く読んだが、キャラクターの家族構成と同じ様に、動物と共に生きているという設定がキャラクターに与える影響って中々大きいと思う。
最近そのように思い至ったのは、キャラクターより実際の人間相手が先だった。私の幼少期は、犬猫の類と触れ合う機会はほとんどなかったのだが(アマガエルのオタマジャクシやアメリカザリガニとならあった)、ツイッターには頻繁に犬猫の話題が流れてくる。私はそういった時、犬猫の写真にパンダの写真と同じ温度で「可愛い」と思うことはできても、「辛い時に寄り添ってくれた」という思い出には、共感は勿論、理解を示すこともできない。事実を疑っているというと流石に言い過ぎだが、全然質感をもって想像できない。私は幼少期を脱した後、鳥類、両生類、昆虫、等、平均的な日本人よりは様々な動物および植物に触れ合う機会があったのだが(哺乳類に触れ合う機会があまりなかったのは彼らが夜行性で野生下では珍しい分類群だからだ)、そういう体験をもってしても犬猫の触れ合いが与える体験の代替えにはならなかった。
先日友人と話していて、実際に赤子をもった経験のある創作者にしか書けない文章があるかもしれない、という話題になったが、犬猫との触れ合いもそれに近い代替不可能性をもっている気がする。
……というような話をRe:valeで書きたかったのだが、モモが幼少期に犬と共に暮らしていないという事実(メルドリ)を覆す強い幻想をどうしても築けなかったのでここに供養した。翻って犬や猫とともに暮らすような経験をキャラクターに与えようとした時、それは決して「さり気ないもの」にはならないのではないか。例えが悪いが、性的マイノリティが物語に登場した時に現代の読者がそこに何らかの意図を感じてしまうように、「パパとママが犬好きだから飼ってて、面倒だけど頼まれてたまに散歩に連れて行ってるんだよね……」と言われて登場するような主人公と相互作用しない犬なら、そこに登場しなくてもいいと感じるはずだ(というよりは勿論、登場しないはずだ)。それは二次創作でも同様で、原作にその根拠がないのだとしたら、幻の動物を召喚する作業は結構大掛かりな足場を必要とするものになるだろう。
ちなみに同様に幼少期のふれあいがその後の価値観に大きな影響を与えると予想されるものにはソファがあり、この仮説は犬-ソファ仮説と呼ばれている。