起床。

今日はあまり集中できず立ったり座ったりして、ずっと押入れのことを考えていた。
家に押入れがある。改めて眺めてみるとかなりでかい押入れなのに、引っ越し直後にダンボールと小さな衣装棚を放り込み、同人誌がぴったりはまるという例のプラケースを買ってこの前設置してそれきりだ。同人誌に関して今私がやるべきは収納ではなく選別だとわかっていたのに、それから逃げて本棚からケースに場所を移した。ダンボールにしまわなかったのはいつでも取り出せる、本として扱っている、というポーズを取りたかっただけだ。明白なる逃避行動だ。わかっているのに……。
同人誌ケースは脇に奥として、部屋に置いているハンガーラックを片付けて代わりに押し入れ内に服を吊るしたかった。横に突っ張り棒を渡すと相当な長さが必要になる上空間に無駄も出るので躊躇していたが、縦に渡せば都合がいいと気がついた。ニトリで安いし質もサイズも十分そう。いいぞ。
気分が上向きになったのでハンガーラックを片付ける準備として、外出自粛になってからずっと面倒がっていたコートをクリーニングに出すという用事を完遂した。コートのクリーニングってびっくりするほど高い。散髪屋の値段とブラジャーの値段に並ぶ私の価値観にそぐわない金額だ。そもそも私のような人間はクリーニングに出すべき服を買うべきでないんだろう。コートをクリーニングに出すという行為を知ったのも成人してから大分経ってからだったな。こういう常識に対して「義務教育で教えろ」という定型句があるが、税金のこともクリーニングのことも中学校で教えられたって絶対必用な時まで覚えてないんだから意味ないんだ。実学だけを学ぶ場所じゃないんだから。
クリーニングに出して図書館に寄って満足して帰った。ニトリは、このアイディアをもう数日置いておいて、尚これでいけそうだと確信ができたら行く。
ふと思ったが、仕事の途中に突っ張り棒のことを考えたり数日アイディアを捏ねくり回したりするのは趣味の萌芽とも言えるんじゃないだろうか。絵を描くことと文字を書くこと以外に趣味らしい趣味がないので、そうなら嬉しいな。まぁそれで十分だと思っているのだが。絵を描いていない時間、字を書いていない時間、つまり今については、将来の創作のために準備をしている時間なので創作をしている時間の一部と見做して自分を慰めている。皆さんはどう思いますか。なんの役にも立たない無価値な人間だと思いますか。それもまた一興だな。
「専門知は、もういらないのか」読み始めた。読まなければいけないだろうな~と思ってはいたが1ページ進むごとに落ち込む……。