起床。

頑張って一九八四を読んだ。案外直接的な(古典的な)ディストピアだったな。一番面白いと思ったのは付録にもあったように、国家が人民の思想を支配しようとしたときにどんな言語になるかという考察だった。むしろこれだけで一本ディストピアSFが書けそうな題材なのに背景として扱われており(扱われ方は巧みだが)表舞台にはほとんど出てこず、しかし付録で主役を張るのが不思議な感じ。
思想を制限しようとする時に言語に含まれる単語を削る方向に進むというのはさもありなんという気がする。具体的なその手段として、形容詞においてはある語を定義した時にその反対語は否定語をつければいいだけなのでどちらか片方しかいらない、というのもリアリティがあってよかった。形容詞は感覚と思想を担う品詞なので。
ディストピアものはどうしても現実と比較するという観点が出てきてしまうが、小説内の直接的暴力、記録の改竄、生殖のコントロールあたりは現実にも行われることとして、(言論ではなく)言語の改変だけがまだ達成されていない項目なのでその辺りにSF的面白さを感じたのかも。最近だとプログラミング用語のmaster/slaveが廃止されるという話があったが、私はこういう行動はもっと慎重であってもいいと思う。使う人がどんな単語を選ぶかというのは一番小さな思想の単位であるはずだから。それゆえに強制的にでも廃止させたいのかもしれないが。
大神をクリアした!
いいゲームだった……。謎解きは楽しかったしアクションもちょっと苦労したがほとんど悩まずに進められたし、走っているだけで楽しいのが何よりよかった。シナリオも笑いあり涙ありという言葉がぴったりで事前評判通りクライマックスにはちょっと泣かされた……。泣いたが……最後に主人公(狼)が相方(コロポックル)を地上に置いてライバルキャラ(月の民)と一緒に天界に帰ってしまうのがNTRで嫌だった……俺はずっとイッスンと一緒にいたかったのに……。いやっストーリー上これが相応しい終焉の構図だとは理解している……。だが……だが……。ウシワカあの場で死んでもよくなかったですか……?
テクスト論云々と言いつつ私は本の後書きや解説を読むのが好きなので、ゲームにはこの余韻がないのを少し残念に思っていた。が、最近クリア後に開発者インタビューを漁ればいいと気がついた。大神はプロデューサーとディレクターが2006年の発売当時、平日毎日更新していたブログが残っておりお腹いっぱいになった。abemaブログ。時代を感じる。記事に貼られている公式サイトの情報はコンテンツがなくなってリンク切れになったりする中で、こういうブログがずっと残っているのは大袈裟な表現かもしれないが、歴史的に貴重な資料なんじゃないか。