Move on, my frined.
「天はもう、俺から学ぶことをやめた方がいいね」
楽屋で突然そう言われて、内緒だよと言われて見せてもらっていた台本から顔を上げる。Re:valeの百は肘をつきながら窓を眺めて緊張した風もなく、けれども大事な話だと言外に伝える声でそう言った。芸能界ではよく聞く声だ。目の前の彼とその相方は、アメリカから帰ってくるたびに一流のアイドルの顔になっていく。
それに伴う先輩諸氏のくだらないいじめや、同時期にデビューしたグループ達のやっかみは言うまでもない。けれどもそれを物ともせず、Re:valeはトップアイドルへの階段を段飛ばしで駆け上がっていった。何かに取り憑かれたような、狂ったような速さだった。確かにそれは数年後自分に降りかかるであろう状況で、そこから学ぶべきことは多かった。けれども彼がそういった話をしようとしている訳ではないことは、天にもよくわかった。
「百さんから学ぶべきことは、まだたくさんあると思ってますよ」
「天に褒められると照れちゃうな」
そんな自然な笑顔が楽屋で出てくることが、天が学びたいと思っていることなのだ。安々とは剥がれないアイドルのトップコート。Re:valeの百は、Re:valeに必要とされる百であり続ける。楽屋や打ち上げといった下準備や後片付けは、寧ろ彼の輝きが活きる場ですらある。本番はユキに助けられてばっかりだからね、と明るく言ってのける。それは真実でないと、周りの誰もが知っている。
手慰みにペンを回しながら百は問う。
「天は今いくつだっけ」
「17です」
若いねと、そう言われるのではないかと反射的に身構えていた。近頃では誰もがそうやって、九条鷹匡の隣に立つ天を目先だけ心配する振りをして、侮っては立ち去っていく。今に見ていて。しかるべき時がきて、しかるべき人物が隣にくれば、貴方達なんて影も見えないほど遠くまで追い越していくから。
しかし六歳年上の先輩は、ペンを机に置いて、それから慈しむように微笑んだ。
「17は、いい歳だね。一生憧れられるものが見つけられる年齢だよ」
彼が17の時に見つけたものなんて聞くまでもない。憧れというものは抱いたことがないけれど、ひょっとしたら目の前の人物に抱いてるものこそがそれに近いのかもしれない。百は足を組み替えて、今度は天を正面から見据えた。
「天は何のためにアイドルになったの?」
テレビ向けの回答では、誤魔化せないと思った。
「……僕のファンのためです」
嘘はついてない。自分と一緒に生を受けた、一番最初のファンのため。今頃どうしているのだろう。喘息は少しは落ち着いただろうか。学校にはきちんと通えるようになっただろうか。兄がいなくなって、毎日寂しがってなどいないだろうか。もう二度と会うことはできなくても、早くアイドルとしての自分の姿を届けたい。
「そっか」
彼はそれ以上何も聞かない。そういうところが、大人だと思う。
「俺は俺のアイドルのためだよ」
「会った時はアイドルではなかったでしょう」
「そうだね。俺がアイドルにした」
うん、と小さく俯いた彼からはアイドルとしての塗装が少し剥がれた。この人は知らない。彼とその相方がここにいる元凶を。自分の養父がしたことを。そのことを思うたびに少し胸が痛む。それを知ってもなお、この人は自分に笑いかけてくれるだろうか。
「天にももうすぐ、隣に立ってくれるすてきな仲間ができるよ」
「仲間、ですか」
できるだろうか、自分にも。彼とその相方みたいに、信頼しあって、狂いあって、どこまででも走り続けられる、そういう仲間が。
「できるよ。勿論そうしたら、Re:valeは可愛い後輩の天をサポートしてあげる。でも、俺から学ぶのはやめた方がいい」
偽物だから、そう聞こえた気がするけれど、聞こえなかった振りをする。それが大人の作法だと思っていた。けれども偽物だというこの人がここに立っているからこそ、天は彼を尊敬しているのに。天の知る芸能界は、そんなに甘い世界ではない。
「俺は天と友達になりたいな」
差し入れのお菓子をはい、と渡される。抹茶味は少し苦手だったけれど、それを受け取った。憧れに似た感情は殺された。けれども立ち止まれば蹴落とされるこの一本道の泥沼のような世界で、天には初めての友人ができた。
Photo by Birgith Roosipuu on Unsplash