図書館に向かっててくてくと歩いていたら、ふと今や自分の世界はアカデミックな世界とは最早接続されることはないのだ、巨人の肩からはふり落とされてしまったのだということを考えて泣けてきた。あらあら。周りに人もいないので涙が流れるに任せていたのだが、図書館の入口の鏡で己を確認してみるとまあまあしっかり酷い顔である。顔を洗って眼鏡も拭かないと。眼鏡をかけたまま泣くとレンズが内側から汚れてテカるのだ。知っていたかな? 私にしてみればよくある事なので普段は客観的に姿を確認することすらしないのだが、やはり成人の目玉から体液が漏れていると結構ヒくな。
実際、そこそこ頻繁に人と話しているのに途中で涙が溢れてきて、相手をギョッとさせてしまうのだった。その度に、そこまで驚かなくても……と思っていたが、これはすみません、改めて確認しましたが、ドン引きです。
涙腺が弱いのだった。
これは「涙脆い」とは違うと思っている。「涙脆い」を岩波国語辞典から引くとこうだからだ。
ちょっとした事にもすぐ感じて涙を流しやすい。そういう性質だ。
全然違う。感じ入って泣いている訳ではない。図解するとこうだ。
ニューロンが信号を感知→涙腺が刺激を受ける→涙の分泌
↑涙脆い ↑涙腺が弱い
感情が大きく動いている訳ではないのに涙が出てしまうのである。無論科学的にはニューロンが受ける信号の大きさと涙の排出量を関数化しその形状を比較する必要がある訳なので、主観だが。自称クールなのだ。信じてほしい。
ドン引き、失礼、心配してくれる相手の心の動きもわかる。これほどの大量たる涙の分泌という変数なのだから、逆関数を当てれば、私が相当量の感情を動かしているとシミュレートされる。つまりこれは人の心に備わる同情という機能だ。
しかし泣きじゃくる相手が3歳児ならばどうだ。よくあることと否されてしまうこともあるだろう。つまりこの関数には成人、女性、といったパラメータが暗黙的に加わっているのである。本来は個人差というパラメータで表現されるべきではあるのだが、それを赤の他人がモデルに組み込むことは叶わないため、外観から推察しやすいパラメータで代替えされているのである。ところが私のパラメータは外れ値なので、皆をびっくりさせてしまうのであった。皆がびっくりしている様を、私という器をコントロールすることに失敗した一回り小さな私が内からクールに眺めているのであった。貴方の涙と私の涙の価値は違うから、そんなに心配してくれなくて構わないのだが……と。ちなみに身体のアクションとして涙の排出はしているので声は震えておりまともな発声はできない。
いつからこのパラメータが世の平均と乖離するようになってしまったかはわからないのだが、少なくとも10年前から涙腺が弱い旨のツイートがある。
誤解を招くこの病を表現するため長年苦節があったのだが、図書館からの帰り道にはたとよい例えに辿り着いた。アルコールである。酒を摂取すると顔が赤くなって、やたらと周りに心配されるが「大丈夫なんだよ、これ体質ですぐ赤くなっちゃうだけ。酔ってないんだよ」って言う人がいる。あれなんだ。まぁその人が実際に酩酊状態にあるかどうかは外からはわからないのだが。もしかすると内からも。